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織田有楽斎 利休を超える戦国の茶人
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織田有楽斎 利休を超える戦国の茶人

岳真也(著者)

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織田有楽斎 利休を超える戦国の茶人

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 大法輪閣
発売年月日 2020/10/15
JAN 9784804614304

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2021/02/03

以前読んだ、天野純希さんの「有楽斎の戦」と違ってまるごと一冊有楽斎の話。 天野さんの作品での有楽斎は戦が怖いが故に大好きな茶の湯に傾倒していく姿が描かれたが、こちらの有楽斎は少し違う。 『天下とは力づくで、武をもってしか、取れないものなのだろうか。もしや知恵や博識、遊芸なぞの他...

以前読んだ、天野純希さんの「有楽斎の戦」と違ってまるごと一冊有楽斎の話。 天野さんの作品での有楽斎は戦が怖いが故に大好きな茶の湯に傾倒していく姿が描かれたが、こちらの有楽斎は少し違う。 『天下とは力づくで、武をもってしか、取れないものなのだろうか。もしや知恵や博識、遊芸なぞの他の器量……そう、おのれのごとき「へたれ」にも、そこに近付く道があるのではなかろうか』 有楽斎は戦場で様々な武功を上げるいわゆる武人としては全く役立たずで「へたれ」であったが、愚かな人ではなかった。 様々な情報を収集し、身内であっても贔屓目に見ることなく冷静に俯瞰する目を持ち、現在から将来の情勢まで見据え、自分の居場所を見つけることが出来る人だった。 『大兄』と呼ぶ信長に可愛がられたのも、有楽斎が謀反を起こすような気概のあるタイプではないと舐められていたのではなく、その洞察力や茶の湯(=文化や教養)の力を見抜いていたからではないだろうか。 信長の死後、秀吉の掌で良いように転がされ次々脱落し力を失っていく織田家の面々を見て、改めて自分の立ち位置を見据え固めていく有楽斎は「へたれ」どころか強かではないか。 茶の湯という強力な武器を持ってはいたけれど、それがなかったとしても彼は別の道を見つけて生き延びて行ったのではないかと思える。 織田家の血筋、様々な人脈、洞察力観察力、そして茶の湯。自身の持つものをとことん利用して秀吉、家康の時代を乗り切った。 有楽斎の茶は、利休や古田織部のような様式美を追求するようなものではなく、ゆったりと寛げる空間と作法などの決まりのないゆるさ。だからこそ家康も光秀も心の中を打ち明けられたのかも知れない。 「麒麟」の言葉が出てくるところなどは大河ドラマを意識しているのだろうか。 幼い頃から憧れていたお市の方の忘れ形見、茶々・初・督(江)の三人を常に気にしていて、特に自分とは敵対関係になってしまった茶々とその息子・秀頼を助けようと、家康と豊臣方との仲介役として何度も大坂と伏見を行き来するところなど、天野作品では見られなかった頑張りが描かれていた。 本能寺の変後、秀吉は信長の嫡孫・三法師を掲げることで天下を取ったが実権は織田家に返還することはなかった。そして家康は秀吉の死後、嫡男秀頼の後見を頼まれながら、実権は自身の息子・秀忠へと継承していく。 そんな姿を冷静に見ていた有楽斎の賢いところは政治に関心を持たなかったこと。権力にそばにはいたが、信雄や信孝のように野心を抱くことはなかった。 有楽斎は自身の器量・立ち位置を熟知していてその中で見事に立ち回った。 大坂城落城後に有楽斎が家康に、茶々や秀頼が家康の要求通りに茶々が人質として江戸へ行き秀頼が改易を受け入れたら戦は避けられたのかと尋ねるシーンがある。その時の家康の言葉にまたも例の大河ドラマを思わせるような内容がある。さてドラマはどのような最終回となるか。 有楽斎がどう動こうが筋書きは変わらなかった。それは家康の強かさであり意志の表明でもあった。であれば有楽斎の出来ることは後の世を見守り、お市の方が残した娘たちを見守り、形式や作法にとらわれない有楽流の茶の湯を楽しむことだった。 一人の主君に忠義を貫いて共に死ぬのも武士、野心を抱いて主君だろうが主筋だろうが殺してのし上がって戦い続けるのも武士、その時その時、あるいは時代の先を見据えて付いていく主君を変えてうまく時代を乗り切っていくのもまた武士。 調べてみたら、有楽斎の直系の子孫は途絶えているが養子を迎えながら明治の時代まで続いていたようだ。また余計な野心で秀吉に良いように転がされ、一時は窮地に陥った信雄の子孫も明治の時代まで続いている。なかなか興味深い。

Posted by ブクログ

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