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だれがなんの目的でつくった? 謎の遺物 これは真実か!?日本歴史の謎100物語1
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩崎書店 |
発売年月日 | 2010/12/31 |
JAN | 9784265024513 |
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だれがなんの目的でつくった? 謎の遺物
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北海道の忍路環状列石からは、大規模な土木工事で集落を造成し計画的に配置し、長期的な定住を前提としてクリの栽培を行い、丸木舟で航海に出て、翡翠、琥珀、黒曜石などの公益を遠隔地の人々と行っていた。古代都市といってもいいような大規模で機能的な集落を営んでいた。 秋田県鹿角市の大湯環状列石のストーンサークルは中心部から日時計状組石中心部を見た方向が、見事に夏至の日に太陽が沈む方向と一致する。野中堂環状列石から万座状列石を見た方向も夏至の日の日没方向になっている。 それは北海道、東北地方のストーンサークルはすべて一致することから、あきらかに共通する意思のもとで作られた。 一方東日本を中心とした地域のストーンサクルは、冬至に太陽が沈む方向を向いている。 東北地方から出土する遮光器土偶の外見からは、宇宙服、サングラスを掛けているのか、それとも裸の外見なのかは不明ですが、遮光器土偶と同じ外見で進化した宇宙人をモデルにして作成されたとしか思えません。 何かを模写しはじめないと土偶を制作できるわけがないですから。 また土偶の数々がとても精緻な技術の工芸的な芸術作品でもあること。 三世紀半ばから七世紀末頃までに亡くなってしまった古墳まで含めると、当寺作られた古墳は三十万基とも言われる。 その数は今のコンビニの件数を何倍もはるかに上回る数が作られた。 紀元前5500年前から4000年前までの1500年間の集落のあとであることがわかっている、三内丸山遺跡。 果樹園のようなものをもっていて栽培を行っていたと考えらえる。 豊富な海の幸に恵まれていて、漁が盛んだったことがわかる出土品。 大型掘立柱建物や、長さ30メートルにも及ぶ巨大な竪穴住居跡。 新潟県の糸魚川産のヒスイの大珠、北海道産のナイフで加工された黒曜石。三内丸山という「都市」を中心に、海を越え山を超え物流が行き交う、大交流が当時の日本にあったことが証明されている。 海沿いの高台に5階建てビルほどの高さの建物。周囲には一〇〇戸もの竪穴住居、大人数を収容できる長さ三〇メートルのロングハウスが立ち並び、そこに海から山から遠方の人々が物資を運んでくる。食料は豊富で、人々はヒスイなどで身を飾っていた。 匂いを発生させる生ゴミ類は風下にあたる谷に「分別」して捨てられていた。川の増水時などには大量の水が引く時に海へとゴミを運び出されていた。土器や釣り針などはは他の場所で見つかっている。不燃物と可燃物の分別も行われていた。 最盛期には五〇〇人いたとされる三内丸山。ひと、モノ、祭り。 これは「文明」とよんでもいいのではないか。と本には書かれています。 そして縄文文化の世界中どことも違う重要な特徴。それは「戦争」のあとがないこと。武器も、濠も見つかっていない。 縄文人たちは争い合う必要がなかった。戦争をする必要がなかった。森に、水に、海に恵まれていたから。 その平和で豊かな暮しの営みが一五〇〇年続いた。 しかし平和でエコロジーで豊かな縄文文化、縄文社会も、西からやってきた勢力により滅ぼされていってしまった。 縄文時代の人々たちには精緻な技術の土偶や、巨大な建物を作るだけの土木技術をもっていた。しかし、西からやってきた勢力たちのように、その技術を侵略や、争いに使おうという「発想」すら思いつかなかったことが十分にわかります。 お人好しなご先祖様の縄文人達。
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