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交叉する身体と遊び あいまいさの文化社会学
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交叉する身体と遊び あいまいさの文化社会学

松田恵示(著者)

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交叉する身体と遊び あいまいさの文化社会学

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 世界思想社/
発売年月日 2001/05/10
JAN 9784790708728

交叉する身体と遊び

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2013/11/01

「『<男>と<女>の役割を演じてみようよ』。性役割の演技を、まさに『演技 (play)』として楽しむ豊かさをここでは最後に強調してみたい」 111ページ 役割だとか仮面だとか、そういったものは必要であるし、人間の面白さであると思う。人間は一面的な存在などでは決して無いし、多面的...

「『<男>と<女>の役割を演じてみようよ』。性役割の演技を、まさに『演技 (play)』として楽しむ豊かさをここでは最後に強調してみたい」 111ページ 役割だとか仮面だとか、そういったものは必要であるし、人間の面白さであると思う。人間は一面的な存在などでは決して無いし、多面的であり、一つの世界足りえる。 一つの世界が絶えるときというのはしばしば、そのことを忘却しているということが多いのだろう。砂漠の真ん中につったって、外に海だとか川だとか、あるいは緑があるということを忘れてしまっているという状態。それは外部的にも起こりえるし、自分の内側でも起こりえる。 砂漠に突っ立っている自分自身を消去するのではなく、それ以外の自分を思い出すこと――これが存外に難しい。しかしたいていの場合、解法というものは、つまり解放というものはそういうものなのだと思う。つまり、砂漠から1人で抜けだそうと思うよりも、視点を移してみること。その他の役割を思い出すこと。作り出すこと。仮面をすげ替えること、仮面を作り出すこと。 ところで、仮面というメタファーはよくできていてしかも厄介である。コロコロと付け替えれるように思わせておいて、そのためには発動条件が存在している。それは物理的な環境の変化なのかもしれないし、あるいはそれ以外なのかもしれない。そして仮面というものは極めて顔に近いものでありながら、それを認識するためにはより視点を広く持つ必要がある。すなわち天からの視点がなければいけない。仮面を仮面と認識できないし、砂漠以外に場所があると認識することもできない。 天からの視点というものを思い出すためにはどうしたら良いのだろうか。この問はすなわち本書のテーマである「遊び」ということを自覚するためにはどうしたら良いのか、ということに繋がる。繋がる、というかそのものだ。「遊び」の自覚性を得るためには天の視点が必要であり、しかもそれでいて仮面と皮膚のごとき近接性が必要だ。没頭のない遊びなんて単なる天から飛び出た目玉でしかなく、それがニヒリズムと呼ばれるものなのだから。 遊びと戯れるものは何になるのか。遊びでいつづけるということはおそらく大変に難しいことに違いない。聖なる状態でいつづけることよりもあるいは。

Posted by ブクログ

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