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死なないと、帰れない島 の商品レビュー

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5件のお客様レビュー

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2025/11/22

 『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』をヒボさんが読まれていて、私も読みたいと思ったのに図書館になくてガッカリでした。でも、この作品が入りました!硫黄島を“いおうとう”と読めるようになったこと、この作品を読むきっかけをくれたのはヒボさんです。ありがとうございました。  かつての硫黄...

 『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』をヒボさんが読まれていて、私も読みたいと思ったのに図書館になくてガッカリでした。でも、この作品が入りました!硫黄島を“いおうとう”と読めるようになったこと、この作品を読むきっかけをくれたのはヒボさんです。ありがとうございました。  かつての硫黄島は、豊かな自然に恵まれてコメ以外は何でも収穫できたということで約1000人の島民が暮らしていました。しかし、第二次世界大戦勃発、サイパン島が敵手に落ち、空襲が激しくなった1944年、一部の若い男性のみを軍属として残し、島民たちは本土に強制疎開となりました。敗戦を迎えるまでに犠牲になったのは22000人もの尊い命…。1968年にようやく硫黄島を含む小笠原諸島の施政権が日本に返還され、父島・母島の島民は帰島を果たしましたが、硫黄島民やその子孫は帰島が認められていないそうです。そのことに疑問を感じた筆者が、徹底した取材を元に真相に迫ったノンフィクションです。  故郷に思いを馳せる島民の思い、その思いをなきことにするかのように、日本の、そしてアメリカの様々な思惑が…!未だに本当の意味での戦争は終わっていないことを、思い知ることになりました。そんな中でも、天皇皇后陛下が献花に訪れたニュースは、旧島民の方も喜ばれていましたがちょっと私も嬉しくなりました。

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2025/09/28

悔しいが図書館で二度借りても読破できず。 硫黄島は玉砕の島のイメージだったが、 こんなに生き生きした暮らしがあったのだと、知る。 どうして「死なないと帰れない」のかは、理解。

Posted byブクログ

2025/08/30

太平洋戦争末期の1945年2月19日、硫黄島に米軍が上陸、36日間の激戦の末、日本軍は約2万3千人のうち、2万2千人が命を落とし玉砕した。 硫黄島は、もともと、緑と花とフルーツの樹に満ちた島。約1千人が家族のように暮らしていた。 サイパン島が敵手に落ち、空襲が激しくなった1944...

太平洋戦争末期の1945年2月19日、硫黄島に米軍が上陸、36日間の激戦の末、日本軍は約2万3千人のうち、2万2千人が命を落とし玉砕した。 硫黄島は、もともと、緑と花とフルーツの樹に満ちた島。約1千人が家族のように暮らしていた。 サイパン島が敵手に落ち、空襲が激しくなった1944年、一部の若い男性のみを軍属として残し、島民たちは本土に強制疎開となった。 1968年、硫黄島を含む小笠原諸島の施政権が日本に返還され、父島・母島の島民は帰島を果たしたが、硫黄島民やその子孫は帰島が認められていない。 いまだに1万人もの遺骨が家族の元に帰れないことに焦点を当てた「硫黄島上陸」を書いた著者が今度は、この問題に真正面から取り組んだ。 著者は、情報公開請求も駆使しながら、当時の公文書議事録を読み解き、帰島の可能性が閉ざされる過程を執念で追及していく。 1984年、首相の諮問機関である小笠原諸島振興審議会の下部組織「硫黄島問題小委員会」は、火山活動や産業の成立条件から定住は困難と位置づけた。 しかし、著者は、それ以前の1977~78年、都知事の諮問機関である「硫黄島問題調査研究会」で一部島民による「自力帰島」計画が具体化する中で、防衛庁による自衛隊基地化の意向を受けて帰島が阻まれていたことを知る。 著者は、さらにさかのぼって、戦後、硫黄島を、米軍が核兵器を隠す秘密基地や太平洋の中間地点に位置する軍事拠点、さらには栄光の記念碑として位置付けていたという核心にたどり着く。 島民の引き揚げ後の生活は大部分が資本も縁故もなく、窮乏を極めた。 しかし、彼らは、いつか帰島ができると信じていたため、本土で恒久的職業に就こうとしない傾向があり、これが生活を困難にした一因ともなっていた。 彼らは帰島の希望を捨てず、陳情を続けた。 そんな彼らを犠牲にし、安全保障上のメリットを得てきた政府と国民。旧島民の切実な思いに真摯に向き合い、理不尽な行政措置を明るみに出すという側面から戦争を考える著者の渾身の力作だ。

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2025/08/10

8月になると戦争に関する番組が増えてくる。広島・長崎の原爆、特攻、東京大空襲、そして終戦の玉音放送。戦後生まれの自分には、今まで自分ごととして咀嚼することはできていなかった。昨年、沖縄のひめゆりの塔、平和記念館を訪れてから、気持ちが大きく変化を見せた。サトウキビの畑の中で、子供た...

8月になると戦争に関する番組が増えてくる。広島・長崎の原爆、特攻、東京大空襲、そして終戦の玉音放送。戦後生まれの自分には、今まで自分ごととして咀嚼することはできていなかった。昨年、沖縄のひめゆりの塔、平和記念館を訪れてから、気持ちが大きく変化を見せた。サトウキビの畑の中で、子供たちが死んでいく。防空壕に爆弾が投げ込まれる。多くの疎開の子供を乗せた船が爆沈される。悲しく悲惨な戦争。それは沖縄だけでなく、この本の硫黄島でも起こっていた。「死なないと、帰れない島」。はじめ、それは死んだら魂が本土に帰っていけるのかと解釈していたが、違っていた。アメリカの思惑、日本の思惑が絡んで、返還された後もアメリカの支配や自衛隊の事情から、帰還できない元島民たち。死なないと墓参の機会にしか島には戻れない。あまりに理不尽な対応に怒りが湧いてくる。早く元島民たちのふるさとに帰りたいという希望が叶うことを願う。

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2025/08/09

著者の志に胸を貫かれる思いであった。 硫黄島は太平洋戦争末期の激戦地であったことは知っていたが、そこに一般の人々の生活があったことを知らなかった。 知らなかったことに恥じる思いでいる。 今も島民の方々の戦争は終わっておらず、戦争がこれほどの長きにわたって、人々を苛むものであるとい...

著者の志に胸を貫かれる思いであった。 硫黄島は太平洋戦争末期の激戦地であったことは知っていたが、そこに一般の人々の生活があったことを知らなかった。 知らなかったことに恥じる思いでいる。 今も島民の方々の戦争は終わっておらず、戦争がこれほどの長きにわたって、人々を苛むものであるという事実を、改めて噛みしめている。

Posted byブクログ