天路の旅人(下) の商品レビュー
これは簡潔に感想を書きます。 人によってはわかりにくいかもしれないけれど、それは『読んでみて』と言いたい。 凄まじい人生を観た。 自身の生活や目標、大きく言えば価値観にとても影響する読書体験でした。 『自己』を大切にしたいと本気で思えました。
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沢木耕太郎氏は、1947年東京都生まれのノンフィクション作家・紀行作家である。横浜国立大学経済学部を卒業後、入社企業を初日に退職して文筆活動に転じ、1970年に作家デビュー。社会の周縁に生きる人々や事件、スポーツ選手などを題材にしたルポルタージュを数多く手掛け、1979年に『テロ...
沢木耕太郎氏は、1947年東京都生まれのノンフィクション作家・紀行作家である。横浜国立大学経済学部を卒業後、入社企業を初日に退職して文筆活動に転じ、1970年に作家デビュー。社会の周縁に生きる人々や事件、スポーツ選手などを題材にしたルポルタージュを数多く手掛け、1979年に『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。1986年から刊行された『深夜特急』は、自身26歳のときのインドからロンドンまでの一人旅を描いた作品で、若者を中心に絶大な支持を集め、JTB紀行文学賞を受賞。以後も『一瞬の夏』、『凍』、『キャパの十字架』など多彩なテーマで作品を発表し続けている。 本作品は、第二次大戦末期にラマ僧に扮して中国西域へ潜入した西川一三の、8年間に亘るチベット、インド、ネパールへの旅と人生を、西川の著作『秘境西域八年の潜行』と本人への1年間の取材をもとに描いたノンフィクション作品。2022年出版、2025年文庫化。読売文学賞受賞。 私は、好きな書き手を問われれば迷わず沢木の名前を挙げるファンで、これまで読んできた本はエッセイ集を含めて30を下らないが、本書については、文庫化後入手して読んでみた。 作品としては、序章の入り方から、終章の終わり方まで、実に沢木らしいものだったが、驚くのは、何と言っても、西川一三の8年間の旅と生活の凄まじさである。移動の距離(インド国内では鉄道を使っているが、それ以前の内蒙古からインドまでの距離は直線距離でも2,500km)、自然環境の厳しさ(大半の地形は砂漠・土漠や山岳地帯。また、チベット・インド国境のヒマラヤの峠は標高4,000m超で、ここを9回越えている)、文化・慣習・言語の違い等、現代日本に住む私にとっては、にわかには想像すらし難しいものだ。 読了後、私は以前に似たような読後感を持った作品があった気がして、しばらく考えたのだが、それは井上靖の『天平の甍』だった。同書は、奈良時代に戒律を求めて唐へ渡った僧・普照と仲間たちの苦難と理想を描いた歴史小説で、当時はもちろんチベットやインドへは行けなかったものの、その壮絶な旅路が重なって感じられたのだ。 それにしても、西川一三はなぜここまで壮絶な旅をしたのか。。。西川が最初に内蒙古の日本の勢力圏から中国の支配地域に入ったのは、軍にも認められた諜報活動のためだったが、それも軍の命令というより自らの申し出によるものであったし、初期の段階で撤退の指示が出ても、西川はそれを無視して西への旅を続けた。さすがに、日本が負けたと思われる知らせに接したときは動揺するが、それでも(むしろ、それだからこそ)ヒマラヤを越えてインドまで行く道を選んだのだ。一方で、本書には、西川が子供の頃に蒙古服を着た男性から中国大陸の奥地の話を聞いて憧れを抱いていたこと、沢木との会話の中で、西川が「一度行ったことがあるところにまた行っても仕方がありませんからね。行ったことのないところなら別ですが」と語ったこと等が書かれているが、西川という人間の、未知なる世界に対する興味と、それを成し遂げるための情熱・生命力が、人並みはずれたものだったということなのだろう。 そして、本書に加えられたもう一つの面白さは、同じ時期に内蒙古からインドへ旅をした木村肥佐生の存在である。西川と木村は、チベット・インドで一時期行動を共にするが、タイプは大きく異なり、帰国後も対照的な人生を送った。木村は、西川に先んじて『チベット潜行十年』を出版して注目され、また、モンゴルやチベットとの関わりを持ち続けて、大学教授にもなったのに対し、西川は、盛岡で一商売人としての半生を全うした。このことは、沢木が本書で目指した、西川の8年間の旅だけではなく、西川一三という人間を描くために、大きな意味を持ったといえるだろう。 沢木の最長の長編ともされるが(『波の音が消えるまで』の方が長い?)、沢木だからこそ書き得た大作であることは間違いない。 (2025年11月了)
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大戦中の中国の奥地、チベット、そしてインドへと過酷な、しかしその苦難を楽しむと言っては語弊があるが、味わいながら?旅を続ける西川一三の姿が描かれる。 同行者との出会いと別れ、同じ釜の飯を食う、共に苦難を乗り越える。冷たい川を渡るシーンは読んでいてこちらも足が痛くなるような思いが...
大戦中の中国の奥地、チベット、そしてインドへと過酷な、しかしその苦難を楽しむと言っては語弊があるが、味わいながら?旅を続ける西川一三の姿が描かれる。 同行者との出会いと別れ、同じ釜の飯を食う、共に苦難を乗り越える。冷たい川を渡るシーンは読んでいてこちらも足が痛くなるような思いがした。そして、西川一三自身の飽くなき、旅や未知への渇望の渦に引き込まれるようにして一気に読み終えた。 私の、旅や未知への渇望をくすぐる、そんな面白い、読み応えのある本でした。
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日中戦争の開戦直後から終戦後まで、それまで未踏だったモンゴル、中国北部、チベット、そしてインドと、足掛け8年にわたって旅を続けた西川一三。最初は日本の密偵として、のちに純粋な冒険者として旅を続ける。誰も行ったことがないところに行きたいという一心で、物乞いや托鉢をしながら、心ある地...
日中戦争の開戦直後から終戦後まで、それまで未踏だったモンゴル、中国北部、チベット、そしてインドと、足掛け8年にわたって旅を続けた西川一三。最初は日本の密偵として、のちに純粋な冒険者として旅を続ける。誰も行ったことがないところに行きたいという一心で、物乞いや托鉢をしながら、心ある地元民に救われながら歩き続ける。帰国後は、自分の会社を経営しながら旅の記録を執筆するが、刊行以降は全く語ろうとしない。全く頓着しないその姿勢も不思議。旅先で出会った人々の中には悪い人間もいただろうが、その全てが実に人間臭かったという述懐は、現代人としても考えさせられるところがある。沢木耕太郎らしい旅行記というか評伝でした。
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26才から33才までの足掛け8年間、日本軍の密偵として、戦後は未知の土地を見たいという自身の飽くなき探求心から、蒙古からチベット、インドを放浪した西川という男。 帰国した後は盛岡で穏やかな生涯を送った。 このような壮絶な経験をした人は、どのような気持ちでその後の人生を送ったの...
26才から33才までの足掛け8年間、日本軍の密偵として、戦後は未知の土地を見たいという自身の飽くなき探求心から、蒙古からチベット、インドを放浪した西川という男。 帰国した後は盛岡で穏やかな生涯を送った。 このような壮絶な経験をした人は、どのような気持ちでその後の人生を送ったのだろう。 読みながら、亡父と重なって感慨深いものがあった。
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読売文学賞を受賞した圧巻のノンフィクションでした。 読み終わった今もじんわりと熱を帯びた余韻が残っています。 西川氏と共に旅をしたような…… でもそれも、雪の降り荒ぶ中、自転車を引いて歩き去る西川氏と共に霞んでいくような… そんな読後感を噛み締めています。 要約じゃこの良さ...
読売文学賞を受賞した圧巻のノンフィクションでした。 読み終わった今もじんわりと熱を帯びた余韻が残っています。 西川氏と共に旅をしたような…… でもそれも、雪の降り荒ぶ中、自転車を引いて歩き去る西川氏と共に霞んでいくような… そんな読後感を噛み締めています。 要約じゃこの良さは味わえません。 ぜひ多くの方に読んでほしいです。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
帰ってきた日本は異国のようだった。懐かしの日本、よき日本は失われ、損なわれ、破壊されていた。人間らしさが失われていた。これまで旅してきた国や地域の「後進国社会」の方がはるかに人間的だと思えた。(下 p312) 徒歩で過酷な旅を行い、いく先々で信頼を得ながらインドまでの路を進む。今ではできない旅かもしれない。驚くべき出会いと年月。紀行文を凌駕して、ドラマにしか思えない。百魔を読んだ時もあぜんとしたがそれ以上。こんな日本人はもういない。 旅をすることで新しい土地に会い人に会い何かを得て何かを無くしていく。人生もそうなのだろうが、日本に帰ってからも本心は旅を続けたかったのだろう。
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日本から遠く離れたチベットで日本の敗戦を知った西川一三。 その真偽を確認すべくカルカッタへ。 途中、カリンポンでかつての同僚・木村と出会い、木村と共に、東チベットの中国側の状況を探索することに。 西川は密偵としてではなく、自分の知らない世界を知るために、旅を続ける決心をするが...
日本から遠く離れたチベットで日本の敗戦を知った西川一三。 その真偽を確認すべくカルカッタへ。 途中、カリンポンでかつての同僚・木村と出会い、木村と共に、東チベットの中国側の状況を探索することに。 西川は密偵としてではなく、自分の知らない世界を知るために、旅を続ける決心をするが… その旅は突然終わりを迎える… 長かった… 過酷な旅だった。 ただ何か淡々と。 本当に周りの人々に助けられた旅だった。 西川の周りには本当にいい人ばかりだった。 西川の誠実さがそうさせたのだろう。 帰国後も生きるために黙々と淡々と仕事を、元旦を除く、364日こなしていく。 まるでラマ僧の修行のように。 強制送還されていなければ、西川は旅を続けていただろう。 西川は旅が人生の目的だった。 言葉を覚えるのも、旅のためだった。 まだ見ぬ世界へと旅を続けただろう。 『もっといろんなところに行ってみたかったなぁ…』
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日の当たらないところを歩んだ英雄がきっと色んなところに生きているのだろうと思う。 使命感なのか本能なのか。 想像を絶する旅の果てに望んだものは新たな旅だったのかもしれない。、
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☆☆☆2025年8月☆☆☆ 1945年8月。日本の敗戦。 西川一三はこれで密偵としての任務を失ったことになった。 しかし、西川の未知への情熱。まだ見ぬ土地への好奇心は衰えることがなかった。西川はチベットのさらに向こう、ミャンマーやインドへも足を向ける。ヒマラヤを数度往復するその...
☆☆☆2025年8月☆☆☆ 1945年8月。日本の敗戦。 西川一三はこれで密偵としての任務を失ったことになった。 しかし、西川の未知への情熱。まだ見ぬ土地への好奇心は衰えることがなかった。西川はチベットのさらに向こう、ミャンマーやインドへも足を向ける。ヒマラヤを数度往復するその体力とサバイバル能力は恐るべし。 いくつか、心に残った部分を抜粋する。 P32 しかし、西川の心はむしろ奮い立っていた。托鉢をして、一日に得られるに二椀分のツァンパとお茶だけで命をつない、野宿をしながらインドに向かうというこの新しい旅の在り方が、自分を鍛えてくれるように思えたからだ。 P62 確かに密偵の西川一三は死んだ。だが、蒙古人ラマ僧のロブサン・サンボーは生きている。 P102 夜の勤行が終わるのは午後九時頃であり、僧舎に戻って眠りにつき、一日が終わる。西川は、この一日が永遠に続くのがラマ僧の一生だと知っていくことになった。 P219 出会って、別れる。確かに、それを寂しいこととは思うが、西川には新しい土地へ向かおうという意欲の方が勝っていた。 P282 なにより、日本の敗戦を知ったあとの、チベットからインドとネパールに及ぶこのっ四年間の放浪で、どこに行き、どのように暮らそうとも、生きていけるという自信が生まれていたことが大きかった。 このような厳しい環境で旅をした西川。 帰国後に目にした戦後日本には違和感のようなものを感じたことだろう。 やがて盛岡で理容関係の卸業者として生きていくことになるのだが 高度成長の日本、だんだん贅沢になっていく国をどのような思いで見つめていたのだろう。 読書の喜びは、自分とは違う世界や人生を経験できることにある。それが強く感じられる一冊だった。
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