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動物たちの江戸時代 の商品レビュー

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6件のお客様レビュー

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2025/10/26
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

動物にスポットをあて、江戸時代の勉強になった。 以下びっくりな点 ⚫︎生類憐みの令で犬を食べなくなったとは ⚫︎カワウソを食べていたなんて ⚫︎牛と馬の立ち位置が変わっていく様 牛が労働力から食用へ ⚫︎鯨の供養の話で、鯨はそのままでは生きていけないが人間に食べられることによって役だっているということにしていた→人間のエゴ 他にも色々読みながらへーと思いながら、読み進めた。

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2025/08/26

面白かった。 一昨年に慶大の慶應義塾史展示館で行われた同大文学区古文書室による企画展 「動物たちの江戸時代」の展示を元に書き下ろし、書籍化したもの。 犬、牛、馬、鹿、猪、鷹、鶴、猫、鳥、獺、熊、鯨 愛玩動物だけでなく、使役動物、畜産動物 生き物関係の法律、オフィシャル施設、また生...

面白かった。 一昨年に慶大の慶應義塾史展示館で行われた同大文学区古文書室による企画展 「動物たちの江戸時代」の展示を元に書き下ろし、書籍化したもの。 犬、牛、馬、鹿、猪、鷹、鶴、猫、鳥、獺、熊、鯨 愛玩動物だけでなく、使役動物、畜産動物 生き物関係の法律、オフィシャル施設、また生き物を扱うガバメント機関や プライベートの商業、 江戸時代の鳥屋については、よく文献なんかを漁るんですがその他の生き物も気になるんですよねぇ。本書、そこらへんをさっくりと、素人にもわかりやすく面白いところがまとめられていて、とても楽しかった。 犬の江戸時代 牛と馬が支える江戸の暮らし 狩られる鹿・猪たち 江戸大名屋敷の獣肉食 鶴と鷹の江戸時代 江戸のペットビジネス 薬となった動物たち 鯨と江戸時代人

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2025/06/23

江戸時代に生きた動物たちは、人とどのように 関わっていたのか。史料や浮世絵などから浮かび上がる 実体を、歴史の専門家たちにより解き明かし、紹介する。 カラー口絵4ページ ・序 第一章 犬の江戸時代 第二章 牛と馬が支える江戸時代の暮らし 第三章 狩られる鹿・猪たち――徳川将軍の「...

江戸時代に生きた動物たちは、人とどのように 関わっていたのか。史料や浮世絵などから浮かび上がる 実体を、歴史の専門家たちにより解き明かし、紹介する。 カラー口絵4ページ ・序 第一章 犬の江戸時代 第二章 牛と馬が支える江戸時代の暮らし 第三章 狩られる鹿・猪たち――徳川将軍の「鹿・猪」狩り 第四章 鶴と鷹の江戸時代――徳川将軍と「御鷹之鶴」 第五章 江戸のペットビジネス 第六章 薬となった動物たち 第七章 鯨と江戸時代人 Interlude1~5 ・おわりに ・編者・執筆者紹介 かつて食べられていた犬は、生類憐みの令の時代を経て、 保護から愛玩へ。お伊勢参りの參宮犬の話も紹介。 牛は車を牽き、馬は人を乗せ荷物を振り分けて背に負う。 人の暮らしに添い、共に歩んだ存在。 牛や馬の墓や馬の医術の存在や、御用牧についても。 Interlude1では、出土馬骨から分かる日本在来馬の姿。 将軍家の御鹿狩と御猪狩の実態にある軍事訓練。 獲物の種類と数の変化は、森林伐採等の環境の変化が。 Interlude2では、大名屋敷遺跡のゴミから分かる獣肉食。 御鷹之鶴は贈答儀礼の対象。鶴や白鳥は餌付けされ、 鷹の生餌の鳥なども飼育していた。 丹頂鶴は縁起が良いが、味は黒鶴(ナベヅル?)が美味。 江戸時代のペットたち。犬や猫の墓や供養塔が建立される。 ハツカネズミた金魚の流行、鳥や虫たちが飼われ、売買した 鳥屋は現在のブリーダー的な存在と食肉販売を行っていた。 動物園の先駆けの花鳥茶屋(観物茶屋)の花屋敷。 Interlude3では、狆飼育の本で知る狆の流行と飼育・交配・ 病気などへの対処。隠居大名柳沢信鴻の日記にあるペットロス。 江戸時代の肉食は薬喰い。獺(獺肝)、熊(熊胆)、 一角(ウニコール)の薬効とは? Interlude4は象。実は何回も来ていた象の話。 組織的な捕鯨業が全国各地で展開した江戸時代。 鯨に関する書物や文書から分かる、 様々な用途での消費と供養。過去帳もあった。 十返舎一九や曲亭馬琴などによる物語化や伝承。 Interlude5は、動物を用いた芝居や見世物。珍鳥・珍獣、 身近な動物に仕掛け、芸。地方での曲馬芝居についても。 動物への倫理観や道徳心の変化が育まれた、江戸時代。 「生類憐みの令」はその分岐点ともいえます。 現在、犬を食べることが無く、ペットの墓を建立、 動物園で動物に関心を持つなどの、人と動物の関係が、 江戸時代から繋がっていると思うと、興味深いものでした。 それにしても、実に多くの種類の動物や鳥が 食べられていたことには驚かされました。

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2025/05/29

将軍の鷹狩り・鹿狩り、犬猫金魚小鳥などのペット、動物園的なもの、獣肉、熊の胆等の薬原料…などの事象を解説。 ひととおり面白い。 伊勢参りを犬にさせていた実話。 読了45分

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2025/05/08
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

生類憐みの令で病気の子供のためにスズメとって死罪になる人かわいそう。酔って帯刀してる人に斬り殺されたらたまったもんじゃない。 ゴールデンカムイでもおいしい鶴とまずい鶴がいる、熊の胆の本物の見分け方があったのでテンション上がった。熊の胆一回飲んだことある。黒くて朝顔の種みたいだった。 象1400年台に日本に来てるんだね。早い。

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2025/04/23

[思想的背景] 古来、仏教の「人も動物も皆平等」という思想(例:高山寺の明恵上人が説き、鳥獣戯画や明恵上人樹上坐禅図に表現)が、人間と動物の関係性の根底にあったと考えられます。 [生類憐みの令] 江戸時代、徳川綱吉による「生類憐みの令」は極端な動物愛護令で、特に犬を手厚く保護し、...

[思想的背景] 古来、仏教の「人も動物も皆平等」という思想(例:高山寺の明恵上人が説き、鳥獣戯画や明恵上人樹上坐禅図に表現)が、人間と動物の関係性の根底にあったと考えられます。 [生類憐みの令] 江戸時代、徳川綱吉による「生類憐みの令」は極端な動物愛護令で、特に犬を手厚く保護し、違反者には厳しい処罰もありました。綱吉は「犬公方」と呼ばれ、中野には犬保護のための犬小屋跡を示す碑があります。この法令は武断から文治政治への転換意図も指摘されますが、綱吉死後に廃止されました。 [参宮犬と明治の変化] 人々に助けられ伊勢参りをする「参宮犬」が存在し(明和期頃〜)、犬が信仰の旅をする存在と見なされていました。しかし明治期には、狂犬病対策と政府の「一匹飼い犬以外認めない」方針により多くの犬が撲殺され、関係性が激変しました。 [牛馬の役割変遷] 牛と馬は、江戸時代の荷役や農耕に不可欠な労働力でした。江戸市中にも牛馬小屋が置かれ、史料から馬飼育が必須とされた時期もあったことがわかります。明治期には牛肉食が普及し役割が変化したことは、『安愚楽鍋』にも風刺されています。 [馬骨研究の進展] 出土した馬骨の研究では、都市部で酷使された痕跡が確認されており、同位体化学分析によって馬の移動履歴や飼育形態(牧場からの供給など)の復元も進んでいます。 [将軍の大規模狩猟] 徳川将軍は「御鹿狩」や「御猪狩」と呼ばれる大規模な狩猟を江戸近郊(武蔵野台地など)で度々行いました(特に家光、吉宗が熱心)。吉宗は生類憐みの令で中断されていた狩りを復活させました。 [開発と獲物減少] 狩りには多くの旗本や百姓が動員され、数千頭捕獲の記録もあります。しかし新田開発や森林伐採による生息地減少で江戸近郊の獲物は減少し、享保期以降は猪が主役に。後には遠隔地から生け捕りで動物を運んで狩りを行うこともありました。 [明治期の狩猟演習] 明治時代には、小金原など旧幕府の牧場地が利用され、近衛兵による天覧の大規模な狩猟式演習が行われました(明治6年)。 [鶴と儀礼] 鶴は長寿の象徴として尊ばれ、徳川将軍にとっては儀礼上最高位の鳥でした。正月には献上された鶴を将軍自らさばく「鶴包丁」の儀式が行われ、権威を示す意味合いもありました(豊臣秀吉の頃からの慣習)。 [鶴の政治性と管理体制] 将軍から鶴を拝領できるのは御三家や一部の譜代大名に限られ、政治的な意味合いも持っていました。儀式用に解体された鶴は伝統作法で運ばれ、年間約五千羽の需要に応えるため、幕府は「御鳥場」で鶴を飼育しました。将軍による鵜狩りも行われました。 [江戸のペットブーム] 江戸後期(特に化政期)にはペット飼育がブームとなり、錦絵にも猿回しや鳥連れの姿が描かれました。鳥屋が栄え、浅草の花屋敷(現・花やしき)は植木茶屋から発展し、珍しい動物を公開して人気を集めました。 [愛玩犬の飼育文化] 当時の飼育書(『犬飼養書』『犬秘伝書』等)には、犬の品種改良、交配、育成、病気対処法などが詳細に記され、単なる番犬ではなく愛玩動物として大切にされていたことがわかります。隠居大名の日記にも個人的な愛育の様子が見られます。 [動物の薬利用] 鹿、猪、狸、犬、熊など多くの動物が薬として利用され、『本朝食鑑』などの本草書に効能や調理法が記載されました。特にウニコルン(一角獣)の角は解毒作用があると信じられ、正体(後にイッカクの牙と判明)を知られぬまま高価な輸入品として珍重されました。象も珍獣として輸入され、見世物になりました。 [捕鯨業の経済的重要] 江戸時代には捕鯨業が本格的に発展し、特に九州地方では鯨肉や鯨油が地域経済を支える重要な資源となりました。鯨油は灯火用の燃料や虫よけとしても広く利用されました。 [鯨への畏敬と供養] 捕鯨の発展と共に、殺生に対する贖罪の意識から鯨を供養する習慣が生まれました。各地に鯨供養碑が建てられ、山口県長門市通浦では浄土宗の教えに基づき、鯨に戒名をつけ位牌や過去帳を作る「鯨回向」が行われました。鯨は物語や伝説の題材にもなりました。 [動物の見世物文化] 祭礼市(例:大分市浜之市)や見世物では、曲馬芝居や動物(猫、鼠、猿、犬、熊など)の芸、珍獣(虎/猫、斑、麒麟など)の展示が行われ、人々が多様な動物に触れる機会を提供しました。これらは動物や興行師が全国を移動するネットワークの存在を示唆します。 [総括:関係の多様性] 結論として、江戸時代の人間と動物の関係は、保護(生類憐みの令)、利用(労働、食、薬)、信仰・畏敬(鶴、鯨)、愛玩(ペット)、娯楽(見世物)など極めて多様であり、当時の社会・文化・信仰・経済と深く結びついていました。

Posted byブクログ