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バトラー入門 の商品レビュー

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5件のお客様レビュー

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2024/09/24

フェミニズム/ジェンダー理論家であるジュディス・バトラーとその著作『ジェンダー・トラブル』(1990年)についての解説本。 SNSで面白いと言ってる人がいたので読んでみたが、この分野は全く予備知識がなく、用語や文脈を含めて、読むのにかなり苦労した。(Wikipediaなどを適宜参...

フェミニズム/ジェンダー理論家であるジュディス・バトラーとその著作『ジェンダー・トラブル』(1990年)についての解説本。 SNSで面白いと言ってる人がいたので読んでみたが、この分野は全く予備知識がなく、用語や文脈を含めて、読むのにかなり苦労した。(Wikipediaなどを適宜参照しながら読んだ) なお、著者曰く「非公式ファンブック」とのことで、この分野の入門書という訳ではない。 内容を要約すると、 『ジェンダー・トラブル』は、今ではジェンダー論の古典として認識されている。でも、元々はフェミニズム文脈の本。当時のフェミニズムにおいて「女性」という枠に捉えられていなかったレズビアンをはじめとする性的マイノリティも、きちんと考えないといけないよ、というフェミニズム内での問題提起として書かれた。当時の時代背景や、同時代のフェミニズム論者の主張を織り交ぜつつ、『ジェンダー・トラブル』の成り立ちや、誤解されがちな点を解きほぐしている。   門外漢なので内容の良し悪しを論じることはできないけど、いろんな疑問が湧いてきて、良い意味で刺激があった。あと、著者のバトラーとその思想に対する愛は、確かに感じた。 ただし、文体は基本「である」調なのに、唐突に「〜なんだ。」みたいな口語調の文が挟まれるのには、最後まで慣れなかった。これに関しては、違和感しかなかった。 感想は以上。以下は蛇足。 ---------- この分野の本を今後読むかは分からないけど、その時のために、以下、個人的なメモを残しておく。 ●用語がわからない 知識がない中で読み終えた感想としては、用語にピンと来なくて入りづらいというのが、第一印象。本書で扱うフェミニズム自体が欧米の社会運動の輸入なので、日本では社会背景から違っているし、用語は日本に合うようにした方がいいと感じる。 例えば、ブッチ/フェム(男性的なレズビアン/女性的なレズビアン)、ヘテロセクシャル(異性愛者)、ホモフォビア(同性愛嫌悪)など、日本語でも通じる言葉があるのに、わざわざ分かりにくい英語を使ってるのは、一般人の理解のハードルを上げているように思える。 逆に「家父長制」なんかは、日本語訳に失敗していると思う。家父長制という言葉で思い出すのって、サザエさんで波平が食卓の中心に座ってご飯を配膳されたりビールを注がれたり、みたいなイメージになる。でもフェミニズムにおいては、社会全般のあらゆる男性特権を総称する言葉らしい。 うーん、この用語で本当に議論が噛み合うのか? ●クィア理論 あと、用語でいうと「クィア理論」。理論というからには、現状の何かを説明するための体系であり、インプットがあるとアウトプットとして何かしらの予測を出すものだろう。(相対性理論を使うと、天体の軌道を説明/予測できるみたいな。)でも、本書を読んでも、ネットを検索(軽くだけど)しても、クィア理論が何を説明していて、何を予測できるのか、初心者に分かる説明は見つけられなかった。 まあ、自然科学とは違うのかもしれないが、思想なのか理論なのか、もう少し明確にならないものか、と思ってしまう。現時点で判断は保留だけど、何となく理論というより、思想の集合体を表しているように思える。 ●ジェンダー論の方向性 本書でも書かれているとおり、フェミニズムの基盤としての「女たち」が多種多様なので括れない、という指摘はそうなのかもしれない。でも、それを推し進めて、あらゆる人の権利を守ろうと手を広げていくと、一人一理論みたいになってしまい、収集つかなくなるように思える。(現にLGBTは後ろにどんどん追加されてるし、ジェンダーレストイレやトランス選手のオリンピック参加みたいなのは、フェミニズムとガッツリぶつかっている) だから、今後必要になるのは、広がったジェンダー論を集約していく理論なのでは?という気がした。(門外漢の霊感なので、根拠はない。) ●個人的な意見 個人的な認識としては、近代までのあらゆる社会で男性優位(に見える)の構造が形成されてきたのだとしたら、そこには何らかの必然性がある(あった)のだと考えられる。それが現代に至り、社会が豊かになることで必然ではなくなり、誰もが自由に生きられる可能性が開かれてきた。それ自体は良いことだと思う。 ただ、多様性の無限のパターンを社会が包摂しようとすると、莫大なコストとなる。このままジェンダーを広げる方向では、いずれ社会がそれを支えきれなくなる。今、社会で起きている軋轢は、その端緒に過ぎない。 だから、ジェンダーを広げることについて、逆に収集をつける方向の理論が必要とされているのでは?という感じ。(門外漢なので、的外れかも知らんけど。)

Posted byブクログ

2024/09/06

『ジェンダー・トラブル』は読んでいたが、本書によって一つの入口を見出すことができた。元本は栄養価が高くて、消化不良だったようだ。 本書は冒頭のブッチ・フェム論から凄すぎ。レズビアンだから必ずしもうまく行くわけではない。不連続であり、多様なんだな。 ポストモダンの意義を初めて実...

『ジェンダー・トラブル』は読んでいたが、本書によって一つの入口を見出すことができた。元本は栄養価が高くて、消化不良だったようだ。 本書は冒頭のブッチ・フェム論から凄すぎ。レズビアンだから必ずしもうまく行くわけではない。不連続であり、多様なんだな。 ポストモダンの意義を初めて実感することもできた新書だった。

Posted byブクログ

2024/08/07

イベントにも行ったし注目してた一冊。 フーコーやヘーゲルといった男性哲学者を援用しての解説書ではなく、あくまでも『ジェンダー・トラブル』と同時代に生きた人々が置かれていた社会的環境・歴史に重きを置いて書いていた印象。 ところどころラップっぽいが、この文体個人的にはバトラーの魅力を...

イベントにも行ったし注目してた一冊。 フーコーやヘーゲルといった男性哲学者を援用しての解説書ではなく、あくまでも『ジェンダー・トラブル』と同時代に生きた人々が置かれていた社会的環境・歴史に重きを置いて書いていた印象。 ところどころラップっぽいが、この文体個人的にはバトラーの魅力を損なわせる感じがして好みではなかった。 パロディ概念があらゆるジェンダーに適用され、自分のジェンダーを真正に生きる人々からは批判されてしまうことや、『ジェンダー・トラブル』は二元体の超越ではなく、二元論が意味をなさなくなるくらいまでジェンダーを増殖させ、撹乱することを目的としていることとかは、パッと読んだら勘違いすることなのでいい確認になった。また理解不能な存在が抑圧されるのでなく非現実化されることなんかも、フーコーとは少し違った形で抑圧理論批判をしていてふむふむと。 とにかくトラブルを共鳴させることなんだけど、そこでのお作法がこれからの左翼の課題かなとも思います。

Posted byブクログ

2024/07/19

メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1814227404686319700?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw

Posted byブクログ

2024/07/16
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

バトラー『ジェンダー・トラブル』の哲学的な内容の解説書ではなく、その著書が書かれることになった同時代のレズビアン・フェミニズムやクィア・アクティヴィズム等の社会運動の背景の解説に多くの紙幅を割いており、それによって結果的に『ジェンダー・トラブル』の意義や偉大さや魅力がものすごく分かりやすく理解できた。 「っていうか」や「はわわ」などを本文中に普通に使う、口語調のめちゃくちゃ砕けた文章はやや冗長にも取れるところがあり、拒否反応を示す読者もいるであろうと容易に想像できる。──序文で否定的に言及される「男性哲学者」たちの著作を好んで読んできた人々がまさに当てはまるだろう。 つまり、バトラーが「ピエロ」でもあったと述べるように、この藤高さんの軽妙な文体や構成は、それ自体がバトラーの思想を体現し、既存の男性中心の規範的で抑圧的な「哲学」(及びその解説書)の撹乱=トラブルを試みんとする、きわめて自覚的で戦略的で政治的なものである。 個人的には、自分がブログで使っているような文体(こうしてカッコでセルフツッコミ入れたりするやつ)に近いものを感じたので、親近感を持って読むことができた。"合って" いた。(ま、さすがに冗長じゃね?と思う箇所がなかったわけじゃないけど……) 本書の前半4割くらいは、バトラー入門というよりエスター・ニュートン入門になっていたんだけど、レズビアンの「ブッチ/フェム」という概念すら知らなかったので、それを巡るレズビアン・フェミニズムの反発とそれに対するニュートンやバトラーの批判の流れなど非常に勉強になった。 本書を読んで、竹村和子が『愛について』第一章であれだけ〔ヘテロ〕セクシズムのありようを強調するところから始めた理由が身に染みた。やはりジェンダー論や「フェミニズム」は本来的に「反-異性愛規範」「同性愛者の社会運動」というセクシュアリティの問題と切り離すことは出来ず、その文脈を引き継いで見事に理論化した『ジェンダー・トラブル』の訳者なら、そうなるに決まってるわ、という納得。 その上で、性差別と同性愛差別だけでなく、人種差別や階級差別といったさまざまな問題が交差するインターセクショナル・フェミニズムという視座の重要性を後半では繰り返し説いており、ポストコロニアリズム、岡真理、反資本主義、アナーキズム、高島鈴とも自分の中で繋がり、やっぱりこの辺はぜんぶひっくるめて大事だし、「私たち」という一人称複数形でつねに取りこぼされる者たちの存在を考え続けざるを得ない必然性があるなぁと理解した。 これらの要素に加えて、個人的にはやはり動物倫理(種差別・ヴィーガニズム)や反生殖主義(非存在差別)もまたこれらの交差性に合流すべきだと強く思った。これは岡真理『彼女の「正しい」名前とは何か』を読んだときにも感じたこと。

Posted byブクログ