新しい権威主義の時代(下) の商品レビュー
暴力の章からだんだんはっきりと書いていくようになった。ヒットラー、ムッソリーニ、ベルルスコーニ、カダフィ、ピノチェト、トランプ(少し)、プーチンである。取り上げる人が多いので焦点が少しずれてしまう。自分の出身のイタリア中心に話を絞ってそれと関連する人を少し出した方がいいような気が...
暴力の章からだんだんはっきりと書いていくようになった。ヒットラー、ムッソリーニ、ベルルスコーニ、カダフィ、ピノチェト、トランプ(少し)、プーチンである。取り上げる人が多いので焦点が少しずれてしまう。自分の出身のイタリア中心に話を絞ってそれと関連する人を少し出した方がいいような気がするが、絞りすぎると読者層が少なくなるので仕方がないのであろう。
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ヒトラーやムッソリーニのように、民主主義国の歴史において、強権的指導者が台頭、権力を独占し、国を統治したケースを分析し、それらに共通する権威主義の要素とメカニズムを明らかにする一冊(上下二冊)。 権威主義者は、戦後の混乱期などに高まる民衆の”被害者意識”を代弁し、偉大な国家を再...
ヒトラーやムッソリーニのように、民主主義国の歴史において、強権的指導者が台頭、権力を独占し、国を統治したケースを分析し、それらに共通する権威主義の要素とメカニズムを明らかにする一冊(上下二冊)。 権威主義者は、戦後の混乱期などに高まる民衆の”被害者意識”を代弁し、偉大な国家を再建して敵を打ち負かす、”男らしいリーダー”(ストロングマン)というイメージによって熱狂的な支持を得た上で、プロパガンダによる情報操作により、人々の批判精神を奪って従属させ、個人崇拝を強化するとともに、虐殺・拷問といった暴力を正当化して恐怖政治を確立し、さらには国益よりも私益を優先する腐敗行為の輪に有力者を取り込み、分割統治によって相互に競わせることで、自らの権力基盤を盤石にする。 著者は、プーチンやトランプといった今日の「ストロングマン」たちも同様のパターンで行動していると指摘した上で、一時は無敵の強さを誇っても、支持してくれる民衆がいなければ「ただの人」であるストロングマンは、これまでも結局は民衆の抵抗に屈してきたが、その頃には多大な犠牲によって国は荒廃しており、二極化が進む今日の社会において、再びストロングマンの支配を許すのか、それとも過去の誤ちに学び、意見の違いを乗り越えて「連帯」の道を探るのかは、我々の選択次第だと警告する。 あからさまな暴力や虐殺が少なくなっている一方、選挙の操作やインターネットの活用など、権威主義は高度化・巧妙化しているが、基本的なメカニズムはファシズム時代からそれほど変化していないことが理解できる。またレベル感は大きく異なるが、一部の内容は企業のガバナンスにも通じるところがあり、興味深い。
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