街とその不確かな壁 の商品レビュー
きみと君、ぼくと僕。 影と実体、現実と幽界(果たしてどちらが「実体」「現実」と呼べるものなのか、境はあるのか、そこが肝であるのだけど)。 実際のところ、そう認識すれば境なんてものは曖昧で不確か(そう、不確か)な存在で、あるべき所にあるものがある状態なら人は疑問も不都合さも感じな...
きみと君、ぼくと僕。 影と実体、現実と幽界(果たしてどちらが「実体」「現実」と呼べるものなのか、境はあるのか、そこが肝であるのだけど)。 実際のところ、そう認識すれば境なんてものは曖昧で不確か(そう、不確か)な存在で、あるべき所にあるものがある状態なら人は疑問も不都合さも感じないのだろう。それが影であれ実体であれ。 そういう成り立ちの世界で、自我をーアイデンティティを保たせるもの/こととはなんなのだろう。意識と非意識(無意識ではなく)を行ったりきたりする魂のおこないのようなものは、結局他の人に感知されることでしか保たれないのではないか。 忽然と姿を消した「きみ」は、壁に囲まれた町で「僕」に認知されることで存在している。「僕」もまた、門衛や「きみ」に存在を認められている故にあの世界にいられる。
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自分の年齢が、今の村上春樹を読むのにちょうどいい年齢になってきたからだろうか。上手く説明できないが、かつてないほど至福の時間だった。
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読み終えてしまった。 6年ぶりの新作で、これまでの村上春樹作品同様、あの独特の文体とメタファーに身を委ねれば心地よい読書体験を味わえるということで、約650頁の作品を読みきってしまった。 対比の構造や意味深な出来事、削ぎ落とされた会話と色気。どれもが求めていた村上ワールドだった。...
読み終えてしまった。 6年ぶりの新作で、これまでの村上春樹作品同様、あの独特の文体とメタファーに身を委ねれば心地よい読書体験を味わえるということで、約650頁の作品を読みきってしまった。 対比の構造や意味深な出来事、削ぎ落とされた会話と色気。どれもが求めていた村上ワールドだった。 しかし、おそらく自分の問題なのだが、意味を見出そうとしてしまっていた。想像力を働かせて一つひとつの出来事に意味を探ってしまった。仕事じゃないんだから、全てに意味を求める必要ないのに。 ただただ楽しめばよかったのに。 無邪気に分からないことを受け入れて、いつかまた読み返した時に少しでも分かるようになればいいだけなのに、読んでいる今、意味を見出したいと思ってしまった。 村上作品は喪失の文学であると僕は定義付けしているけれど、それ以上は言語化せずに楽しみたかった。…また読み返してみよう。
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とても良い時間を過ごせました。 世界の終わりと…を初めて読んだのが30年程前。 それから何度も何度も読み、1980年の文學界の 作品もこの発売前に目を通した。 壁に囲まれた金雀枝を喰む単角獣がいる街。 好きなんだなぁ、あの街が
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街とその不確かな壁 著者:村上春樹 発行:2023年4月10日 新潮社 三部構成で、8-184p(第一部)、186-598p(第二部)、600-655p(第三部)。原稿用紙1200枚の大作。 事前に報道されているように、1980年に文芸誌に発表された中編小説「街と、その不確か...
街とその不確かな壁 著者:村上春樹 発行:2023年4月10日 新潮社 三部構成で、8-184p(第一部)、186-598p(第二部)、600-655p(第三部)。原稿用紙1200枚の大作。 事前に報道されているように、1980年に文芸誌に発表された中編小説「街と、その不確かな壁」は、著者ができばえに納得できず、書籍化されなかった幻の作品とされている。僕も読んだことがない。それを長編化して世に出したのが「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」(1985)であり、アメリカを中心に世界的な大ヒット作品となった。 再び「街と、その不確かな壁」を長編小説として書き直せるかも知れないと感じ、2020年初頭から書き始めたのが本作だそうだ。ただし、最初は第一部で終わるはずだった。書き上げて、自宅で半年ほど寝かせていたが、もっと書く必要があると思って第二部と第三部を書き、その段階になって初めて出版社に新しい長編を書いたことを知らせたという。これは、本書のあとがきや事前の新聞インタビューに書かれていること。なお、第一部だけでも、ページ数で計算すると300枚を超える長編となっている。 「世界の終わり・・・」は1985年の出版時にすぐ買って読んだが、40年近く前に1度しか読んでいないのによく覚えている。たしか、「計算士」になるために脳の手術を受けた主人公が、その手術法の未完成部分により、無限ループのごとく夢を見続けなければならなくなることが分かる。決してその夢から覚ることはない、それがいやなら眠る前に自殺するしかない、と博士から告げられる。一方、交互に展開するもう一つの話は、壁に囲まれた脱出できない小さな街で、毎日毎日、「夢読み」をし続けなければいけない主人公の話。どうやら、無限ループの夢の世界が、その壁に囲まれた世界の話であることが分かってくる。そして、危険だがその壁の街から脱出する方法を発見する、つまり夢から覚める方法ということになる。決行しようとするが、最後、彼はきっぱりと止める。そこには、〝大人として〟選んだ道への責任のようなものを臭わせていた。 今回の作品では、別の高校に通う1歳年下の彼女が、ある日突然いなくなり、彼女が普段から空想していた壁に囲まれた街に、主人公が入って行って夢読みをするというシチュエーションになっている。「世界の終わり・・・」と同じく、最後は脱出を1度は決断するが、やはりきっぱりと止める。そこで1部は終わる。事前の報道どおりの話であり、シチュエーションの違いはあれど、大筋では「世界の終わり・・・」と同じである。ただし、その後が大きく違ってきて、読むのが止まらなくなる。 読むのを楽しみにしている人が多いので、それ以降は伏せておく。ただし、少しだけ知りたい人は、下記、ネタ割れに納得済みでどうぞ。 第二部は、脱出を止めたはずの主人公が、なぜか現実世界に戻っている。その種明かしは、長い二部ではされず、三部で判明。一部や「世界の終わり・・・」で、現実世界と壁の内側世界の同時展開の話が、最後に結びつくように、今回は、二部と、一部&三部が、最後に合体する。 現実世界の二部で、主人公は図書館の館長へと転職する。これは事前報道にあった。 三部は、再び壁の中に戻る。そこで、主人公はイエローサブマリンのパーカーを着た少年と出会い、合体する。 その少年には、二部の現実世界で出会っていた。このあたりで、二部の現実世界に戻った主人公が何者なのかが明かされていく。 長い二部では、随分と考えさせられるものがあった。現実世界と、壁の内側の世界。「こちらの世界」「あちらの世界」とも表現されている。昔の村上春樹作品なら、主人公の理想や憧憬も含む「あちらの世界」のことをまるで理解せず、関心すら持たない「こちらの世界」オンリーの人々に対して、冷たく突き放すような言い方をよくしていた。しかし、今回の村上作品にそれはない。これは著者が年をとり、人生経験をつんだからなのか、あるいは本人がいう2000年に書いたシドニーオリンピックのノンフィクションを書いたあたりから上がった「筆力」の違いなのか、よく分からない。 相変わらず村上作品は難解な部分が多いが、それは「1Q84」の時にたくさん出たような解釈本に任せておけばいい(どうせ今回も自己満足的な解釈ものばかりだろうけど)として、この作品においては、人は誰しも、「こちらの世界」と「あちらの世界」を行ったり来たりする、そんな心を描いているように思える。著者自らが、小説の中に造っていた「壁」を、今にして取り除こうとしているように感じられるのである。
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人の意識というのは複雑だ。自分で自分のことがよく分からない、うまく呑み込めないということは、きっと誰にでもあると思う。村上作品は常に読み手に対して、自分の意識を掘り下げていくような作業をやんわりと要求するが、今回ももちろん。長い間彼の作品を読んできた読者にとっては、やはり時の経過...
人の意識というのは複雑だ。自分で自分のことがよく分からない、うまく呑み込めないということは、きっと誰にでもあると思う。村上作品は常に読み手に対して、自分の意識を掘り下げていくような作業をやんわりと要求するが、今回ももちろん。長い間彼の作品を読んできた読者にとっては、やはり時の経過とか著者の年齢とかをどことなく感じて(良い意味で)、個人的には落ち着いて読める長編だった。 コロナ禍の間にこもって書いた、と著者。疫病という概念が登場するから、明らかにコロナ禍に付随したさまざまな要素や環境の影響はあるのだろうが、この3年の諸々をすべて捨象しても、人の意識、意識下の問題として誰もが自分の経験に引き寄せて読めると思う。 1980年の著者自身が失敗作だと言った同名作品が核。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を本棚の奥から引っ張り出してこざるを得ない。
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周りとの違和感を感じるところに 凄く共感した 自分の居場所はここであっているのか 私はどこにいればいいのか 居場所を見つけたくなりました
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読み終えてしまった。 あの街にまた入り込めて、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のときとは違った見方ができ、とても素晴らしい読書体験だった。 物語を読むという行為が愛しく思えた。 自分という一人の人間としっかり向き合って、細部まで観察して、納得しながら生きていきたい...
読み終えてしまった。 あの街にまた入り込めて、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のときとは違った見方ができ、とても素晴らしい読書体験だった。 物語を読むという行為が愛しく思えた。 自分という一人の人間としっかり向き合って、細部まで観察して、納得しながら生きていきたいと思った。
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3世代の自分、そしてあちらとこちら側からの映写される像が重なり合うことで不在の形が浮かび上がってくる。
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待望の新作であり貪るように読み進めた。 自身の影と共に生きる日常とも呼べる世界、自身の影を無くすことでそこで暮らす権利を得られるもう1つの世界という2つの世界を舞台として、一生の恋人とも呼べる相手を若くして喪失した主人公に据える本作では、基本的な村上文学の意匠がふんだんに登場す...
待望の新作であり貪るように読み進めた。 自身の影と共に生きる日常とも呼べる世界、自身の影を無くすことでそこで暮らす権利を得られるもう1つの世界という2つの世界を舞台として、一生の恋人とも呼べる相手を若くして喪失した主人公に据える本作では、基本的な村上文学の意匠がふんだんに登場する。パラレルワールド、深層へと”降下する”というモチーフ、思春期の無垢な恋愛・・・。 それでも村上文学を読むのは、それぞれ固有の物語として、シンプルに物語の面白さがそこにあるからであり、どのように着地するのかあまり予想がつかない中で読み進める読書体験はやはり一級のものであると思う。 個人的には後半のキーパーソンとして登場する、現実世界に自らの行き場を持たずにもう1つの世界への移行を強く希望する少年が強く印象に残った。それは長くフィクションという形で空想の世界を作り上げてきた作家本人からの温かいメッセージのように受け取った。
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