私の好きな孤独 の商品レビュー
長田さんは好きな詩人の一人ですが、詩人らしく一つ一つの出だしが詩のよう。 「本屋さんが好きだ。書店でなく、本屋だ。」 うんうん。
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音楽、珈琲、旅、酒、読書など、明るく前向きな孤独との付き合い方を指南するエッセイ。 「言葉の樹」で心を掴まれる。 風景や色に対しての独特な観点が印象的。 「交響曲第一番」「窓」「本屋さん」 繰り返し読みたくなる。 音楽については解説書の趣き。
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描かれるような文章で、孤独の美しさが語られる。 前半は、短編のような、少し長い広告文のような ラスト一行に心掴まれる文章。 「バーボン、北米のありふれたウイスキーだ。ありふれたものを素晴らしいものに変えるのは、つねに愛着である。」 ふわりとバーボンの香りがたつ。 街を描かれた...
描かれるような文章で、孤独の美しさが語られる。 前半は、短編のような、少し長い広告文のような ラスト一行に心掴まれる文章。 「バーボン、北米のありふれたウイスキーだ。ありふれたものを素晴らしいものに変えるのは、つねに愛着である。」 ふわりとバーボンの香りがたつ。 街を描かれた章では、これから歩く街並みが 少し詩情をもっと眺められるような味わい。 「舞台。都会のプラットホームは、都会の舞台のようなものである。ただしヒーローもいなければ、ヒロインもいない。」 「地下道には、いま、ここというものがない。いま、ここという感覚が失われてしまえば、じぶんなんてものは、あっさり見失われてしまうのだ。」 「誰もいない公園で揺れのこっているブランコには、鋭い悲しみがある。」 どれも、はっと気づかされ、胸をつくような驚きと感動がある。 最後の章は、ジャズが聴きたくなるような音楽と作者の文に 心が揺らぐ、心地よくスウィングする。 その中にも、 「青春の時間は、真夜中を中心にめぐる。そうして後に「何か」としてしか思い出せないような「何か」だけを残す。」 「気持ちのいい沈黙があれば、それだけでいいのだ。たとえ音楽が流れていても、いい音楽であれば、あとにきれいな無がのこる。気に入った街のコーヒー屋では、黙ってコーヒーを飲む。」 「たった一軒のカフェに親しむだけで、知らなかった街が、ふいにどれほど、じぶんに親しい街に変わってゆくことか。朝の清潔な孤独を味わえる街の店に座っていると、そのことが浸みるようにわかってくる。 それが、旅だ。身も知らなかった街の密かな感情に親しくふれあうことが、旅の感情だ。」 孤独、旅、友情、音楽。 たくさんの気づきや、感動に、心揺さぶられる読書時間だった。
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エッセーというより、どれもが一遍の散文詩みたいな文章集だった 分かりやすくはないけれどじんわり沁みる
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前半はエッセイというより、詩や小説のようでどう捉えてよいかわからず少しペース遅めに読んだ。 後半は著者の話が増え読みやすかった。 自分から逃げないことが終始語られていたと思う。 ジャズが聴きたくなりました。
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初めて読む著者。うーん、自分には合わないかな、でも名前は目にしたことあるし。挑戦してみるか。ダメなら途中でやめればいいし、くらいで読み始めたものの、紡がれる言葉の心地良さに気づけば最後まで読み進めていました。ただ、この作品を自分のものとして理解し得たかは別問題。それは読み手の問題...
初めて読む著者。うーん、自分には合わないかな、でも名前は目にしたことあるし。挑戦してみるか。ダメなら途中でやめればいいし、くらいで読み始めたものの、紡がれる言葉の心地良さに気づけば最後まで読み進めていました。ただ、この作品を自分のものとして理解し得たかは別問題。それは読み手の問題であって、書き手の問題ではありません。
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※このレビューにはネタバレを含みます
詩人である著者の日々、思い出、好きなカフェ、ジャズ…短い話がたくさん。どの話もことばが大事に愛をもって扱われていて、好きな文章だった。「奥行きの深い言葉」と解説でも言われているけれど、本来ことばでは切り取ることのできない物事の奥行きを、そうと分かっていてもできうる限りすくい取ろうとするような誠実さを感じる。しかもそこで使うスコップは子供でも分かるような平明なことばと文章なのだからすごい。 この本の中では「窓」が一番好き。 「街は窓でできている。窓のない街はない。街とよばれるのは、窓のある風景なのだ。」 私はたくさん並んだ窓を眺めるのが子供のころからすごく好きで、自分の知らない、知りえない人間たちとその生活が窓から生々しく漏れ出していることに心惹かれてしまう。だから、「窓には人生の表情がある」という一言に心から同意したくなった。ミミズクと少女は出て行ったけど、必ずまたどこかの窓へと宿るだろう。長い長い物語が闇の中へ続いていくような余韻が頭の中で尾を引いている。
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孤独を嘆いてはいけません。 孤独とはむしろ しみじみ味わうものなのですから。 あとがきによると、 本書はソローへのオマージュとして書かれたようです。 ヘンリー・ディヴィッド・ソローといえば、 自然文学のひと、 環境保護運動の先駆者 などというイメージがありますが、 市民的不服従...
孤独を嘆いてはいけません。 孤独とはむしろ しみじみ味わうものなのですから。 あとがきによると、 本書はソローへのオマージュとして書かれたようです。 ヘンリー・ディヴィッド・ソローといえば、 自然文学のひと、 環境保護運動の先駆者 などというイメージがありますが、 市民的不服従の実践と 理論の草分けのひとでもありました。 けれど本書はそういった内容ではなく、 日常の出来事や想い出話、 日頃思うことなどを綴ったエッセイです。 話題は多岐にわたりますが、 なかでも時折さしはさまれる挿話や、 掌編のような小さな物語が秀逸で、 絶妙な趣がありました。 べそかきアルルカンの詩的日常 http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/ べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え” http://blog.goo.ne.jp/besokaki-a べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ” http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2
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この本に収録されている最後のエッセイ「われらの青」を読んで、また、ふと、独りでただ海を見に行きたくなった。 潮のにおいを感じ、潮風に吹かれ、夕暮れ時に水面に揺れるオレンジ色に染まる海をいつまでも眺めてみたい。 長田さんが言ってように、帰りに、砂粒とともに、もう一人の自分を持ち帰っ...
この本に収録されている最後のエッセイ「われらの青」を読んで、また、ふと、独りでただ海を見に行きたくなった。 潮のにおいを感じ、潮風に吹かれ、夕暮れ時に水面に揺れるオレンジ色に染まる海をいつまでも眺めてみたい。 長田さんが言ってように、帰りに、砂粒とともに、もう一人の自分を持ち帰って来れるという淡い期待を抱きながら。
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