谷内六郎 いつか見た夢 の商品レビュー
本書の中で橋本治が書いています。「しかし、いくら目をこすっても、谷内六郎はすごいのである。すごいくせに、それは週刊誌の表紙だから、ある程度の時間がたつと、まとめてチリ紙交換に出されてしまう。谷内六郎の絵をゴミとして放出してしまう自分が、なんだかとんでもなく贅沢なことをしているよう...
本書の中で橋本治が書いています。「しかし、いくら目をこすっても、谷内六郎はすごいのである。すごいくせに、それは週刊誌の表紙だから、ある程度の時間がたつと、まとめてチリ紙交換に出されてしまう。谷内六郎の絵をゴミとして放出してしまう自分が、なんだかとんでもなく贅沢なことをしているような気分になった。それは本当に贅沢なことなのだ。日本人は、谷内六郎を、平気で毎週消費していた。」言われて見れば「週刊新潮」は、「昭和」という気分をパッケージにした商品だったのかもしれません。中身の「黒い事件簿」のようなドロドロとしたスキャンダリズムと表紙の甘くて切ないノスタルジーのバランスは絶妙でした。 欲望と叙情を食い散らかして、時代は成長の坂道を駆け上がっていたのでしょう。そして、上るべき坂道を見出せない今、振り返ると、谷内六郎の絵(そして、言葉が…いや、人生そのもの…)が、「商品」としてではなく「アート」として、時代の心を揺さぶるのだと思います。先日放送された日曜美術館で、今をときめくアートディレクター佐藤可士和が学生時代、谷内六郎の文庫版の画集に支えられたみたいな話をしていたのが、すごい新鮮でした。でも、かけ離れたような2人のアウトプットは、少年のようなピュアなヒューマニティーという点では共通しているのかな、とも思いました。生誕100年を記念した増補改訂版です。
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10月10日の日曜美術館は谷内六郎さんだった。生誕100年だそうだ。生涯を通しての紹介。なんとこの本が図書館の新刊コーナーにありさっそく借りてみた。 谷内六郎さんというと週刊新潮の表紙絵で見知っている。大正10年生まれ。普通なら徴兵どんぴしゃりの年代だが、幼少時から喘息もちで、...
10月10日の日曜美術館は谷内六郎さんだった。生誕100年だそうだ。生涯を通しての紹介。なんとこの本が図書館の新刊コーナーにありさっそく借りてみた。 谷内六郎さんというと週刊新潮の表紙絵で見知っている。大正10年生まれ。普通なら徴兵どんぴしゃりの年代だが、幼少時から喘息もちで、小学校を卒業すると小さな電球工場に働きに出る。町工場づとめと病気治療の繰り返しで、戦争末期には相模原海軍工廠に徴用もされた。 本には谷内氏の文もかなり紹介されている。週刊新潮の絵には文がついていて、それも紹介されている。文も画と同様ほのぼのとやさしい。それを読むとその絵のモチーフの由来が、なるほど、という感じにわかる。 「妹のいた風景」という文では、育ったのは世田谷あたりで、氏の育つ大正末から昭和初期には自然豊かな所だったようだ。氏の絵にでてくる小川や林は世田谷の原風景かもしれない。「戦争中に十五、六の少女の内に昇天してしまったボクのたった一人の妹が、ボクに絵を描かせてくれるのかと思っています。」と書いている。 表紙は「蝶はいつもストロー持参」(週刊新潮1965年5月29日号表紙) 2021.8.30発行(とんぼの本) 図書館
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