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天正伊賀の乱 の商品レビュー

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7件のお客様レビュー

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2023/12/20

断片的な史料を博捜し、比較的信頼できる記述を元に乱の実像へと迫ろうとする内容。前史におよそ半分を割いている事もあり、戦国時代の伊賀国の通史としての側面もある。北畠当主としての信雄の動向も詳しく、興味深い内容だった。

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2023/05/12

伊賀、そして隣接する甲賀は忍びの者の出身地として有名だ。しかし、著者が本文中でたびたび「信頼できる史料では確認できない」と慎重に書くほど、その実態は闇の中だ。北畠(織田)信雄が敗退した第一次天正伊賀の乱を契機に、信長が第二次となる伊賀征伐を行ったことで、奇しくも住民自治による地方...

伊賀、そして隣接する甲賀は忍びの者の出身地として有名だ。しかし、著者が本文中でたびたび「信頼できる史料では確認できない」と慎重に書くほど、その実態は闇の中だ。北畠(織田)信雄が敗退した第一次天正伊賀の乱を契機に、信長が第二次となる伊賀征伐を行ったことで、奇しくも住民自治による地方の運営が衰退した。しかも、本能寺の変によって信長亡き後も、伊賀者による国の再興はならなかった。その後も、天下人による中央集権が強化されたことが興味深い。

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2021/11/23

天正伊賀の乱でより信頼のおける資料を精査している。伊賀守護の力が弱かったため、惣一揆となり、有力者による合議制によって、第一次天正伊賀の乱は信雄軍を撃退できたことがわかった。 その後、第二次天正伊賀の乱では、信長の総攻撃を受けた際には、惣一揆だからこそ、柱となる存在、人間がいな...

天正伊賀の乱でより信頼のおける資料を精査している。伊賀守護の力が弱かったため、惣一揆となり、有力者による合議制によって、第一次天正伊賀の乱は信雄軍を撃退できたことがわかった。 その後、第二次天正伊賀の乱では、信長の総攻撃を受けた際には、惣一揆だからこそ、柱となる存在、人間がいなかったため、一枚岩を維持できなくなり、切り崩されたことがわかった。 また伊賀者の立場の低さや、神君伊賀越えの検討など、伊賀を巡る事情を知ることができた。

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2021/08/18

これまで依拠されることの多かった「伊乱記」を脚色が多く信用できないと退け、信頼性の高い史料から天正伊賀の乱の実像を描く。 角度の高い史実を明らかにしようという姿勢は素晴らしいと思うし、当時の伊賀地域の惣国一揆などの状況について理解が深まったが、背景事情の説明が長く、肝心の天正伊賀...

これまで依拠されることの多かった「伊乱記」を脚色が多く信用できないと退け、信頼性の高い史料から天正伊賀の乱の実像を描く。 角度の高い史実を明らかにしようという姿勢は素晴らしいと思うし、当時の伊賀地域の惣国一揆などの状況について理解が深まったが、背景事情の説明が長く、肝心の天正伊賀の乱自体はあまり確実にいえることは少ないね、という感じでちょっと物足りなさも残った。

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2021/06/18

伊賀の乱自体より前後が詳しい。神君伊賀越えは大したことない?守護仁木氏は存在感がない。土豪の屋敷跡が多い伊賀。回りが山々で狭く、ひしめき合っている。忍の実態はどうだったの?

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2021/06/09

何となく思った以上に夢中になり、素早く読了に至った感だ… “旧国名”というモノが在る。「伊賀」もその一つだ。 「伊賀」は、現在の三重県の北西側、内陸部である。名古屋・大阪間の近鉄線であれば、三重県の東寄りの海側から奈良県方面に向かって行く途中に通る辺りが「伊賀」の一部だ。JRであ...

何となく思った以上に夢中になり、素早く読了に至った感だ… “旧国名”というモノが在る。「伊賀」もその一つだ。 「伊賀」は、現在の三重県の北西側、内陸部である。名古屋・大阪間の近鉄線であれば、三重県の東寄りの海側から奈良県方面に向かって行く途中に通る辺りが「伊賀」の一部だ。JRであれば名古屋から三重県側へ南下した亀山から内陸に進み、京都府の南端側や奈良県に至る途中に通る辺りが「伊賀」の一部だ。 そういう具合で、名古屋圏と大阪圏とを結ぶ移動の途中に通る場所に「伊賀」は在る。「山間…」というイメージの場所が多い中で「伊賀」を通り過ぎた経験は在る。が、「伊賀」の地域に立寄って歩き廻ったというような経過は現時点では無い… この「伊賀」だが、戦国時代には織田信長の次男である織田信雄による侵入を撥ね退け、やがて織田方の大軍が四方八方から攻め込む「天正伊賀の乱」という激しい戦いで制圧されたという、少し独特な歴史を負っている。 本書はその「天正伊賀の乱」という経過に関して、「伊賀」の乱の“以前”や“以後”の事柄も含めて詳解している。或いはなかなかに「マニア!」な内容かもしれない。が、かの織田信長が足利義昭を奉じて上洛するに至る経過で「伊賀」に在った諸勢力の動きも情勢に影響を投げ掛けていて、意外に看過出来ない。そして、息子達を使って本拠地に近い諸国を押さえようとした信長の動きとも「伊賀」は関連が深い。更に小勢力が乱立していたような「伊賀」は「“戦国大名”の時代」という中でやや独特な状況に在った。そしてそれは「天正伊賀の乱」という経過の後に変質を余儀なくされてしまう。 或いは本書は「伊賀」という切口で、“戦国”という様相を呈した各地で地元の小勢力が結集した自治が行われていて、強大化する戦国大名の勢力伸張の中でそうした“自治”の側による抵抗やその鎮圧が在り、やがて豊臣政権期から幕藩体制へ移る中で“自治”が姿を消して行くという、「16世紀から17世紀の地方の様相」を明らかにしているような側面が在るかもしれない。 必ずしも有名でもないのかもしれないが、「伊賀」にも室町幕府の体制下で“守護”に任じられていた人物、そういう役目を受継いでいた一族は在った。が、「伊賀」は小国で、そういう人達が実力を蓄えて戦国大名と化すような様子は視られなかった。その他方に「争えば互いに拮抗…」という小勢力が方々に在り、彼らが申し合わせて“自治”というような体制が築かれる。 現在、「伊賀」という地域は「山間…」というイメージの場所で、中小規模の街が幾つか連なっているようなイメージではあるが、様々な勢力が見受けられる伊勢、大和、山城、近江というより大きな諸国が周囲に在る内陸国で、「伊賀」の諸勢力はこうした周囲の各地の勢力と合従連衡または敵対しながらの経過を歩んだのだ。 本書は「半ば伝説…」というような事項―例えば「伊賀の忍者」の活躍のようなこと…―を極力排し、「16世紀から17世紀の伊賀」を淡々と描き出しながら、「16世紀から17世紀の地方の様相」に歩み寄ろうとしている感だ。なかなかに面白かった! こういう本を読むと…「伊賀」という地域を訪ねてみたいという想いも沸き起こってしまう…

Posted byブクログ

2021/05/13

織田信長の次男信雄の侵攻を撃退した伊賀国に、2年後、またも織田の大軍勢が――。強大な外敵と伊賀衆が繰り広げた攻防を描く。

Posted byブクログ