1,800円以上の注文で送料無料

深い河 新装版 の商品レビュー

4.2

77件のお客様レビュー

  1. 5つ

    30

  2. 4つ

    27

  3. 3つ

    11

  4. 2つ

    3

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2022/03/22

大津について 『私が棄てた女』のミツと共通する野暮ったさをもつ大津。 この人物から『深い河』のメッセージを紐解いてみる。 大津は生真面目で、あまりに純心な信仰を持つがゆえに、俗世間の価値観で生きる周囲の人物たちからは倦厭され、馬鹿にされる。本人も、それが原因で揶揄われてきた...

大津について 『私が棄てた女』のミツと共通する野暮ったさをもつ大津。 この人物から『深い河』のメッセージを紐解いてみる。 大津は生真面目で、あまりに純心な信仰を持つがゆえに、俗世間の価値観で生きる周囲の人物たちからは倦厭され、馬鹿にされる。本人も、それが原因で揶揄われてきたことをわかっている。不器用ながらも優しい性格の大津は信仰を愚弄され、誘惑をしかけられ、深く傷つけられた。しかし結局、彼は信仰を棄てることはできなかった。 彼と美津子との手紙のなかにある「西洋のキリスト教への疑問」は、遠藤周作が他の著書でも散りばめている最大のテーマである。 これは、遠藤周作自身の異端と正統とで選り分け続けてきた西洋キリスト教の闇に対する投石だ。 遠藤周作はよく日本人に合わない西洋の信仰から、著書を通して日本人に合う信仰を追求したいと述べていた。 大津は、リヨンで留学し神父になることを志したものの、彼自身の信仰は「異端」で「スコラ哲学」の明晰な論理によってその信仰を叱責される。そして神父になることすら許されなかった。 この場面に、「教義」の暴力性が描かれている。 人は、それぞれ生きた環境のなかで宗教心を育み、受けた影響によって独自のオリジナルな信仰心を養ってゆく。 これはキリスト教に限った話ではなく、宗教を信じないという結論に至った人も同様のプロセス経ているといえる。 大津の場合は、「生真面目なキリスト教信者」ではあったけれど、留学をしたことで、彼自身に東洋・日本人的な価値観をもったオリジナルの信仰心が構築されていたことに直面し、ひどく悩み苦しんだ。 西洋神学の中で生きる神父たちには、彼の信仰はジャンセニスムで、いわゆる「偽物」のキリスト教であると映り、一蹴した。 西洋はカトリックが権力構造の中核にあり、「正統性」堅持をすることで、成り立っていた。神学の正統性のためならあらゆる手段を講じて貫き、守られてきた歴史がある。 そのため、端を発する者は皆、教会から消されていった。 権力を保持するために、自分たちが正義である必要があるため、そのレール(教義)に乗らない思想は、排除の対象となっていった。 これはどんな世界にも共通するだろう。 会社に合わなければ、自分で辞めていく、あるいは辞めさせられる、など。 イエスが言っていたこととは真逆の事態が、西洋キリスト教世界では頻発していったのである。 「正しいキリスト教(信仰)とは何なのか?」 キリシタン研究者の宮崎賢太郎氏は「(信教の自由以降の)隠れキリシタンは正しいキリスト教ではない」としているが、 正しいキリスト教とは西洋で構築されたキリスト教のことを示すのだろうか? キリスト教文化が発展したのは紛れもなく西洋であるが、 そもそも、イエスが生きていた場所と時代も、“西洋”に包括される形で、我が物顔で「正統」であると謳ってよいのだろうか。 そもそも、イエスは別に宗教を開きたかったわけでもなかったし、 むしろユダヤ教の「正統」にこだわる律法学者と闘い続けたのだから、 「正統な信仰」にこだわるのは些か欺瞞である。 遠藤周作はこの「壮大な構造組み込まれた綻び」に挑戦し、「信仰」を追求し続けた。 大津に描かれている重要な点は、 彼の「素朴な信仰心」である。 教義だの、権力だの、正統だの、政治的な信仰には収斂されない、ひとりの人間の「神を思う純粋な心」が描かれていることに、大津自身の宗教者としての魅力がある。 キリスト教であれ、仏教であれ、神道であれ、特定の宗教に所属していない者であれ、 それぞれにオリジナルの信仰心が構築されていることに気づかされるのである。 昔、生徒の感想に「正月、神社にいきましたが、お願い事をしていたら○○にお導きください、とか○○を祈ります、とかキリスト教ぽくなりました。私は色々な神様に守られていると思うと幸せです。」 と書いてあった。 信仰はこうでいいと思うし、 遠藤周作はこのような混在した価値観を 教義のために矯正する必要はないと説いてくれているように感じている。 『深い河』の大津の孤独と苦しみで洗練された キリスト教信仰は、 おおらかで優しく、「それでいいんだよ」 と励ましてくれているのかもしれない。 信仰は人に強要され、矯正されるべきものではない。 教育だって同じである。 自分独自のオリジナル性が発揮できるポテンシャルとして、身につけていることにこそ、 真の信仰があるだろう。

Posted byブクログ

2022/03/09

人はどこまでも他人とは分かり合えない、命・人生・宗教なんてちっぽけである、でも、人は他人を心から理解したいと思うし、命・人生・宗教にすがりつく。 それこそ人の醜さであり美しさでもあると思う。 すべての物事に意味があろうが無かろうが、そんなことに関わらずただ時間は自然は流れていく。...

人はどこまでも他人とは分かり合えない、命・人生・宗教なんてちっぽけである、でも、人は他人を心から理解したいと思うし、命・人生・宗教にすがりつく。 それこそ人の醜さであり美しさでもあると思う。 すべての物事に意味があろうが無かろうが、そんなことに関わらずただ時間は自然は流れていく。 心の中でその人が生きているなら、それは転生と同義か!? 神を玉ねぎを感じることができるなら、それは実在してると言っても良いのでは!? 他人を本当に理解はできないことを前提に、理解しようとしたい。自分が意味はあると思うものを大事にし、自分にとって無意味と感じるものでも、他人にとって意味があるならば否定はしない。当たり前のことで難しいが、できる範囲で心がけようと思った。

Posted byブクログ

2022/03/06

第三章 美津子の場合 モウリヤックの「テレーズデルケナウ」 ベルナールはこの地方の青年には珍しく仮大学の法科を出ててん。彼女の家と同じようにカトリックで中あり、彼女の家に撮っても申し分ない婿 美津子はテレーズを闇の森の中に運ぶ小説中の記者がモーリヤックの捜索だと言った。そうして...

第三章 美津子の場合 モウリヤックの「テレーズデルケナウ」 ベルナールはこの地方の青年には珍しく仮大学の法科を出ててん。彼女の家と同じようにカトリックで中あり、彼女の家に撮っても申し分ない婿 美津子はテレーズを闇の森の中に運ぶ小説中の記者がモーリヤックの捜索だと言った。そうしてみると、テレーズは現実の闇の森を通り過ぎたのではなく、心の奥の闇を立ったのだ。そうだったのか。 第六章 河のほとりの町 磯部の言葉には時間があった。人生には予想もつかぬこと、わからぬことがあるのだ。自分だって。なぜインドに来る気になったのかてん。確実には分かっていない。彼女は時々、人生は自分の意思ではなく、眼には見えぬ何かの力で動かされているような気さえする。 第八章 失いしものを求めて 美津子 フランスなんてあまりに秩序立って。混沌としたものがない。カオスがなさすぎ。コンコルド広場やベルサイユの庭を歩いていると、あまりに整然とした秩序を美しいと思う。前に疲れる性格 第九章 河 ガンジー首相殺害

Posted byブクログ

2022/02/11

阿弥陀経を唱える木口のそばで、少女が黒い大きな眼で身じろぎもせず彼を見つめ、離れなかった。 阿弥陀経ののの箇所を唱える時、木口は必ずビルマのジャングルで耳にした無数の小鳥の声を思い出す。

Posted byブクログ

2022/02/04

『影に対して』を読んだのをきっかけに、『海と毒薬』『悲しみの歌』『深い河』を読み返してみた。 悲しみがわかる人間とそうでない人間がいる。 わからないのではなく、わかろうとしないが正しいかもしれない。 私はまだ本当の悲しみを経験したことはないが、 悲しみはわかる。それは、やがて...

『影に対して』を読んだのをきっかけに、『海と毒薬』『悲しみの歌』『深い河』を読み返してみた。 悲しみがわかる人間とそうでない人間がいる。 わからないのではなく、わかろうとしないが正しいかもしれない。 私はまだ本当の悲しみを経験したことはないが、 悲しみはわかる。それは、やがて本当の悲しみを経験することがわかっているからだ。 深い河に出てくる、妻を亡くした磯辺の情景は、 やがて来るであろう最愛の人を亡くした後の気持ちや、世界の見え方を想像させるものだった。 途方もない喪失感と寂しさを経験するのだろう。 でも、それを乗り越えて生きていかねばならない。 この三部作を読み終えて、私の今抱えている悩みや苦しみなど、本当に小さなものでしかないのだということを思った。 今はまだ孤独ではない。 愛する人を失った時、孤独になるだろうか。 私の中にその人が転生すれば、孤独を感じないだろうか。 心の中に生き続けること。 それが転生なのだろう。

Posted byブクログ

2022/01/30

登場人物5人の孤独、喪失感、空虚感を引き合いに出し、それぞれのガンジス河との出会いを紡ぎます。 死ぬために向かう場所。 たしかにそんな場所日本にはありません。 例えば…どこかの都道府県が死ぬためにむか場所として定められたらと想像すると、まるで自分の世界に死が具現化されたみたい...

登場人物5人の孤独、喪失感、空虚感を引き合いに出し、それぞれのガンジス河との出会いを紡ぎます。 死ぬために向かう場所。 たしかにそんな場所日本にはありません。 例えば…どこかの都道府県が死ぬためにむか場所として定められたらと想像すると、まるで自分の世界に死が具現化されたみたいで今まで抱いていた死生観がガラッと変わりそうです。 そのガンジス河は生や死、孤独、罪…全てを包み込んで流れていきます。 そして、その信仰心の先にあるもの神であり、著作では玉ねぎとも呼ばれているもの。それは、自分の外側ではなく、自分の内にあるもの。 恐らく言葉にできない何か。 はい。宇多田ヒカルのディープリバーもっかい聞いて考えます。

Posted byブクログ

2022/01/24

母親が知人からの感化を受けて読んでいたので、一応、息子としても母親の読んでいるものくらいは、読んでおこうと思って手に取る。既に読んでいた事に気づいたのは100頁ほど読み進んでから。 遠藤氏の、「弱さの中の」キリスト教信仰については非常に強い共感を持っているのだけれど、当作品にお...

母親が知人からの感化を受けて読んでいたので、一応、息子としても母親の読んでいるものくらいは、読んでおこうと思って手に取る。既に読んでいた事に気づいたのは100頁ほど読み進んでから。 遠藤氏の、「弱さの中の」キリスト教信仰については非常に強い共感を持っているのだけれど、当作品においては、どうしても無理筋な展開と感じてしまう。

Posted byブクログ

2022/01/18

初めて読んだとき、自分の在り方について考えさせられた。 その後も数回読んだが、その度に思うこと考えさせられることが異なり私にとっては大事な一冊。 が、宗教的な色合いも強く人におすすめするにはやや抵抗がある。

Posted byブクログ

2022/01/08

日本人旅行者それぞれの物語をなぞりながらインドを訪れ、深い河(ガンジス河)で交錯する。著者晩年の作品ということもあり、生涯描き続けた日本人にとってのキリスト教、信仰というテーマも、ガンジス河で終着しているかのようです。深い作品。

Posted byブクログ

2021/12/05

この本にはキリストのメタファーが色々出てくるが、ガンジス河もその一つであるように思う。「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、 悲しみの人で病を知っていた。」 聖書は続ける。 「だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪...

この本にはキリストのメタファーが色々出てくるが、ガンジス河もその一つであるように思う。「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、 悲しみの人で病を知っていた。」 聖書は続ける。 「だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」 生も死も生活の苦しみも全てを受け入れ流れる深い河は、汚く汚れ悪臭を放つ。それでも人々は全てを受け入れる深い河へ向かう。インドに救いや人生の答えを求めて旅立つ若者(この本では様々な人生バックグラウンドを抱えた壮年期以降の人物が多数登場するが)は絶えないが、この旅する人々は、カトリックで洗礼を受けながら終生、魂の行き所を求めて彷徨っていたかのような遠藤周作その人自身の人生を物語っているように思える。 美津子は後半で自分の求め続ける正体不明の何かをXと表現するが、物語の終焉から見るに、そこには大津の「玉ねぎ」がいつか代入されるのだろうと予感される。 そして大津は、遠藤周作自身である。母に着せられたような信仰というのは遠藤周作自身が生涯拭えなかった宗教観で、宗教多元論者で異端的であると批判もされたが(欧州で遠藤が体験した苦労は想像にかたくない)、その自身の心の叫びを大津に代弁させている。 それでは美津子とは遠藤周作にとっての誰であったのだろうか。十字架上のみすぼらしい男から大津を奪ってやると画策し誘惑し、ほんのひとときは思いを遂げたかに見えるがその大津は得体の知れない玉ねぎとしてのキリストに再びとらわれ帰ってゆく。 日本人のキリスト教観をこの本に探ろうとする人は多い。人は誰しもXを求めて生きているが、そこに代入されるものとしてキリスト教もあれば神社仏閣やアニミズムに帰着する人も多いだからこれこそが日本人の持つ多様性だとうそぶくのが、大方の見方になるのだろう。 ただ日本人がキリスト教に至ることはあってもキリスト自身に出会うことは稀である。遠藤文学を読むにつけ、遠藤はキリスト教とともに生きたが、キリストとともに生きたのだろうかと、いつまでも拭えない気持ちが残るのだ。

Posted byブクログ