深い河 新装版 の商品レビュー
河というのが、神聖だったり生死に対して繋がりが深いものというイメージは自分の中で形成されつつあったけど、これを読むと、ガンジス川はそういうイメージをある意味で残酷に表しているなと思った。 最後まで、インドに来た彼ら日本人がそれぞれ抱えているものに光のさすような解決を分かりやすく見...
河というのが、神聖だったり生死に対して繋がりが深いものというイメージは自分の中で形成されつつあったけど、これを読むと、ガンジス川はそういうイメージをある意味で残酷に表しているなと思った。 最後まで、インドに来た彼ら日本人がそれぞれ抱えているものに光のさすような解決を分かりやすく見出すことはされなかったけれど、そのもどかしさと暗さが生き続けていくということだしこの本の終わり方に通じている気がした。
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"女の中には自分を破壊しようとする衝動的な力がある"という一文が印象的だった。「玉ねぎ」というキーワードも独特。女性の中の満たされない気持ちについて考えさせられた。
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2023読書初め 概念的な対比(秩序と混沌など)が各所に散りばめられていて、前者の視点を持つ者は後者へ痛烈な批判をし、後者を受容している者は前者へ違和感をもつという構造が簡潔な文体で表されている。 しかし読んでて個人的に興味深かったのは、この二分法では割り切れるほど現実は単純では...
2023読書初め 概念的な対比(秩序と混沌など)が各所に散りばめられていて、前者の視点を持つ者は後者へ痛烈な批判をし、後者を受容している者は前者へ違和感をもつという構造が簡潔な文体で表されている。 しかし読んでて個人的に興味深かったのは、この二分法では割り切れるほど現実は単純ではないという点だ。 秩序を重んじる典型として描かれる西洋的基督教は、作品内において混沌たる異教を表面上は受け入れつつ、実際はそれらを異物として排除することで自身のカテゴリーを防衛している。またカオスの典型たるガンジス河においても、その混沌性が作品内にては強調されるものの、それは秩序だった一連の儀式によって演出されている。 つまり、実際は秩序と混沌の二分法に分かれているのではなく、両者は互いに支え合っているのであり、不可分なものとして存在しているように思えるのである。混沌の否定は、混沌を認識しているという点ではその存在の「肯定」であると理解すると(なにかを否定するには、まずそのなにかの存在を肯定する必要がある。)、基督教的秩序はカオスの否定=肯定によって自身の秩序性を強調している。 一方ヒンズー教的混沌性は、対とされる秩序性を内部に取り込む=肯定することで表出されている。このように、対とされる両カテゴリーの境界線は強固なものではなく多孔的であり、実際は相互に滲み出ている。 「滲み出す二分法」を今後も分析していきたい。
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深いテーマだった 何となく生まれ変わりがテーマの話かなと思いきや、キリスト教の教義や、愛とは何か、人間の醜さといった色んな要素を詰め込んだ傑作だと思った それだけに…終わり方が呆気なさ過ぎた 遠藤自身の中で、ここまでで自分の伝えたいことを伝えきったのかもわからないけど…
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生活と人生は根本的に違う 生活のために交わった他人は多かったが、人生の中で本当にふれあった人間はたった二人
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厳しい予後を告知されたあとの焼き芋の声と、ビルマでの壮絶な飢えと猛烈な雨と対比される小鳥の声。 日常の変哲のなさ、世界は何も変わらず回っていることを痛感するあの感じは、その人が絶望や苦悩の中にあればあるほど対比される形で迫ってくる。孤独や恐れとして何度も迫ってくる。 美津子の愛の...
厳しい予後を告知されたあとの焼き芋の声と、ビルマでの壮絶な飢えと猛烈な雨と対比される小鳥の声。 日常の変哲のなさ、世界は何も変わらず回っていることを痛感するあの感じは、その人が絶望や苦悩の中にあればあるほど対比される形で迫ってくる。孤独や恐れとして何度も迫ってくる。 美津子の愛の真似事の描写は良かった。玉ねぎの真似事をする大津に、愛の真似事をする美津子。「信仰ー祈り」の大津に対して偽善がいやだと言っておきながら、「愛ーケア」の枠においては美津子も同じことをしている。美津子が大津を気にかけてしまうのは、同族嫌悪なのか、自分に似たものを感じ取ったからなのか。美津子はおそらく、大津のように出来損ないのケアを完遂すると思う。 おそらく、理想的で完璧な思想と現実世界の愚かさとの対比があちこちにされている。聖なるものと俗なるものの対比?こういう対比を取るのは、なぜだろうね。小説の意図としても、我々の宗教的実戦としても。 大津→純な信仰-出来損ないの祈り 美津子→心からの愛-ケアもどき 三条夫→写真家としての理念-歪んだ実践 三条妻→ヨーロッパ-インド 磯辺→本物の人間の絆-亭主関白的関係 磯辺→真の転生-生まれ変わり探し 沼田→本物の自然-人が求める理想的な自然の姿 江波→理想的な人生-現実の俺 木口→本物の飢え、本物の苦悩-??? 西洋のマリア像-インドのチャームンダー母神像 今の時代に磯辺のような夫がいたら私はぶん殴っていると思う。作中ではどうしようもない日本の男として言及されているからまぁ分かるのだけど。 繊細な描写、宗教観の折り合いの文書が見事だった。ただ、フランスのキリスト教神父達の物分りの悪さが際立ってしまっていると思う。善悪二元論に立ったり、キリスト教isNo.1に立ち返る態度があるように描かれているが、実際そんなことないのでは?と思った。どーなんだろ。無知です。
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初読。遠藤周作は二冊目。とっつきにくそうだなという思い込みで敬遠していた。今、自分の年になって読んだから沁みたのかもしれない。インドを訪れる何組かのそれぞれの事情。それぞれの過去や思いは決して重ならない。人は大なり小なり、胸の内に秘密めいたものを抱え込んでいる。してやれなかった後...
初読。遠藤周作は二冊目。とっつきにくそうだなという思い込みで敬遠していた。今、自分の年になって読んだから沁みたのかもしれない。インドを訪れる何組かのそれぞれの事情。それぞれの過去や思いは決して重ならない。人は大なり小なり、胸の内に秘密めいたものを抱え込んでいる。してやれなかった後悔は枷のように身を苦しめる。生き延びた意味や、生かされている意味なんてものが果たしてあるのだろうか。身分制度や未整地の道路だけを見て、豊かさは測れない。宗教への理解が幸せにつながるとも思えない。答えは決してでないが、それでも考えてしまう。幸せとは、生きることとは。を。
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単純な話ではないし、好きな作品だと呑気には言えないし、読むのがしんどかったけれど、 とにかく読んで良かった。に尽きる。 あまりにも重たいもの、強いもの(意思)を背負ってしまった人々がインドを訪れる。 インドを訪れ刺激を受けた、救われた、どこかでそんな本なのかなと思いながら読むこ...
単純な話ではないし、好きな作品だと呑気には言えないし、読むのがしんどかったけれど、 とにかく読んで良かった。に尽きる。 あまりにも重たいもの、強いもの(意思)を背負ってしまった人々がインドを訪れる。 インドを訪れ刺激を受けた、救われた、どこかでそんな本なのかなと思いながら読むことを決めました。 が、あまりの濃度の高さに、読み進めるのになかなかエネルギーを要しました。しんどくもあった。 途中、目を背けてはいけないのに背けたくなるほど辛い場面があり、やや億劫になりつつも内容の重たさとは裏腹に読みやすく、困ったことに没入感があり、読むのをやめようとはなりませんでした。 今思えば、謎の使命感さえ芽生えていたような。 普段読む本は読みながら心がどこか和らぐような、寂しくも読み終わった後に軽やかに前向きになれるような作品が多いのですが、今回の作品はそれらとは全く違う世界で、自分の中では新しいものでした。 読むのが辛いと思いながらも、目を背けてはいけない、読まなければ、と思ううち上辺だけなのかもしれないけど、インド、ガンジス川、そこで暮らす人々、訪れる人々、歴史、文化、宗教(各々が信じたいもの)と言うものが徐々に心の中に広がり、見向きもしていなかった世界が自分の中に芽生えた感覚です。 登場人物もいい人ばかりではないし、残酷で悲しい、そして理解できない影があったりする。 けれど、それぞれの人々がインドや出会う人々に与えられたエネルギーにより、変化が起こっていく。 信じるもの、について 人間とは、そんな壮大なテーマについて ついつい考えを広げさせられる作品でした。
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この良さがわかるにはもう少し大人にならないといけない気がしている 生も死も富も貧も、全てを呑み込んで流れていく深い河の前では、人間は無力と思わざるを得ない そんな圧倒的なものに、きっとほんの少し触れることができた 世界は広くて包括的、自然は偉大、そして無力な人間の揺るぎない信仰に...
この良さがわかるにはもう少し大人にならないといけない気がしている 生も死も富も貧も、全てを呑み込んで流れていく深い河の前では、人間は無力と思わざるを得ない そんな圧倒的なものに、きっとほんの少し触れることができた 世界は広くて包括的、自然は偉大、そして無力な人間の揺るぎない信仰には同じ強さを感じる
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遠藤周作さんの『沈黙』が面白かったので、著書の宗教観が気になって読んでみた。 結論からすると、宗教観は分からなかったが、それが一つの答えなのかもしれないとも感じた。物語としては、中途半端な感じは否めないが、登場人物がそれぞれの価値観でインドへ向かい、矛盾を感じながらも日々を過ごし...
遠藤周作さんの『沈黙』が面白かったので、著書の宗教観が気になって読んでみた。 結論からすると、宗教観は分からなかったが、それが一つの答えなのかもしれないとも感じた。物語としては、中途半端な感じは否めないが、登場人物がそれぞれの価値観でインドへ向かい、矛盾を感じながらも日々を過ごしていく。その矛盾と向き合うことが宗教観を感じる一歩かなと思った。 ガンジス河は、神の愛の河は、どんな人も拒まず受け入れて流れていく。そこに、「深い河」の意味があると思うが、反芻して考えてみたい。
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