大宮氷川神社と氷川女體神社 の商品レビュー
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今は「見沼」だが、かつては「御沼(みぬま)」だった。大宮氷川神社には、見沼の名残といわれる神池が。浦和の氷川女體神社は、いつの時代もその見沼とともにあった。野尻靖「大宮氷川神社と氷川女體神社 その歴史と文化」、2020.4発行。
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埼玉の一ノ宮である大宮氷川神社と氷川女體神社の起源と変遷。こういう切り口は正史にはない歴史の諸相が知れます。今は羽振りの良い氷川神社も江戸期を通じて維持費の捻出には苦労が絶えず、富籤をしても売上不振でうまくいきません。また、吉田神道のバックを得て威光を高め、神社内寺院を追い出した...
埼玉の一ノ宮である大宮氷川神社と氷川女體神社の起源と変遷。こういう切り口は正史にはない歴史の諸相が知れます。今は羽振りの良い氷川神社も江戸期を通じて維持費の捻出には苦労が絶えず、富籤をしても売上不振でうまくいきません。また、吉田神道のバックを得て威光を高め、神社内寺院を追い出したりしています。従来、4柱を頂いていたものを明治政府が1柱にしたり、神主家を追い出して公家の神主を据えるなど明治の神社政策は強引で恣意的です。一方、氷川女體神社は縄文時代の水路の要衝に立ち、船の神様を神体としていること。見沼は御沼という聖地であり龍神信仰があることなど古代史に思いを馳せました。
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