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明治の翻訳ディスクール の商品レビュー

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2019/02/17

 著者の20数年間におよぶ研究の集成といえよう1冊。¥明治初期〜20年代前半までの翻訳テクストから近代小説のナラティヴがいかに獲得されていったかを考える第1部、明治期の著名な翻訳テクストが同時代の歴史性をあからさまに担っていく様子をあとづけていく第2部、男性的主体をターゲットとす...

 著者の20数年間におよぶ研究の集成といえよう1冊。¥明治初期〜20年代前半までの翻訳テクストから近代小説のナラティヴがいかに獲得されていったかを考える第1部、明治期の著名な翻訳テクストが同時代の歴史性をあからさまに担っていく様子をあとづけていく第2部、男性的主体をターゲットとする〈冒険〉への欲望と禁止が明治40年代小説を導き出す扉の一つとなっていたと論じる第3部から成る。  さて、この1冊を読んだあと(あえて複数形で書くが)われわれはどんな〈文学史〉を語り/書けばよいのだろうか。もとより言文一致文体の確立がすべてを「近代」に変えるわけもなく、ポスト政治小説のあり方も一枚岩ではないとしたら、文学にとって「近代」とは何か、「近代文学」の定義とは何かというポジティヴリスト的な問いかけじたいを再考せねばなるまい。明治初期から20世紀初頭までの混沌をわかりやすい物語へと還元せず、とはいえその混沌のままに語るのではない、虚構の物語をめぐる歴史を書くことは、果たして可能なのだろうか?

Posted byブクログ