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「駅の子」の闘い の商品レビュー

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10件のお客様レビュー

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2024/05/18

読みやすい こういうことがあったこと、日本人みんな知るべきとおもう こんな女をもらったと思われるのが辛い と夫にも言えなかった のが印象的

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2023/09/06

「軍港の子〜よこすかクリーニング1946〜」というNHKのドラマを見て、 戦争孤児の史実を知りたくなり、手に取ってみました。 新書ですが濃厚な一冊。良書です。 沢山の方に読まれるべき、価値ある本です。

Posted byブクログ

2022/11/16

 戦争がおわってから闘わざるを得なかった戦争孤児の事を知ってほしい。1945年の本土空襲が激化した敗戦前夜から敗戦後にかけて、親類に頼ることが難しい空襲被害者たちは、駅舎や地下坑道を占拠し、雨風をしのがざるを得なかった。特に、両親を亡くした子供たちの辛苦は、筆舌に尽くしがたい。生...

 戦争がおわってから闘わざるを得なかった戦争孤児の事を知ってほしい。1945年の本土空襲が激化した敗戦前夜から敗戦後にかけて、親類に頼ることが難しい空襲被害者たちは、駅舎や地下坑道を占拠し、雨風をしのがざるを得なかった。特に、両親を亡くした子供たちの辛苦は、筆舌に尽くしがたい。生きるためには、スリや万引き、泥棒に手を染めて生き延びた子供たち。見捨てられて餓死し、自ら命を絶った子供たち。戦争をはじめた大人たちは、そんな子供たちを汚物でも見るように、犬同様に蹴散らし、面罵する。児童福祉等に関する法整備が進む中で、「狩りこみ」にあい、鉄格子のある建物に軟禁状態で収容される子供たち。一方で、公的支援は乏しく、個人で施設を開設し、子供たちを優しく支援する大人たち。戦争孤児の方々は、口をそろえて親類宅での苦しみを語る。家族と親類との近くて遠い壁は想像を絶する。 閑話休題 敗戦後に闘った日本人 敗戦を知り、徹底抗戦を訴えて特攻の巻き添えにあった航空兵。クーデターを目論んだ、軍部とその犠牲者(半藤一利の書籍「日本のいちばん長い日」)。 敗戦の報を知らされず、樺太・サハリンで抗戦を続け、非難中に殺された民間人たちや南方で発見された小野田寛郎陸軍少尉、横井庄一氏。 敗戦と同時に、ベトナム軍に加わった日本人、中国で蒋介石率いる国民党軍と毛沢東率いる八路軍に組み込まれた軍人や医療従事者などの民間人。その他の国々でも各国の戦士として闘い、もしくは異国で家庭をもって暮らした日本人。 戦争がおわってから闘い続けた日本人が少なくない事はあまり語られない。一方で、占領軍(進駐軍)の流入により日本の女性が辱めを受けると、敗戦後1週間で占領軍(進駐軍)向けの慰安所開設に奔走した日本の政治家たちがいたことも忘れてはならないだろう。

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2022/07/25

時代とはいえ、人間、社会、国の身勝手さを一身に引き受けて、生き抜いた「子どもたち」がいたという事実。

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2022/07/09

絶対に絶対に絶対に戦争を起こしてはいけない。当たり前のことを深く再認識できた。 沢山の戦争孤児たちの壮絶な体験をもっと知るべきだし、絶対に忘れてはいけない。 戦争につながるものはいちいち全力で拒否していかないといけないのだと心に刻む。

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2022/01/16

NHKが戦争孤児となった人たちを丁寧に取材したルポ。 取材に答えてくれた方の切実な思いに涙があふれた。 現代の子供に対するいじめ問題に対して「駅の子」だった方からの言葉は、著者の言う通り賛否が分かれるだろうが、私の心にはとても響いた。当時いじめられていた自分はそうはできなかったけ...

NHKが戦争孤児となった人たちを丁寧に取材したルポ。 取材に答えてくれた方の切実な思いに涙があふれた。 現代の子供に対するいじめ問題に対して「駅の子」だった方からの言葉は、著者の言う通り賛否が分かれるだろうが、私の心にはとても響いた。当時いじめられていた自分はそうはできなかったけれど。 6歳から孤児となり生きていくこと=盗むことであり、犯罪に罪悪感を抱くことがなく、成長し、そして人を殺し死刑囚になった人の話が心に残った。 証言できるということは、今生きているということ、そして、真っ当な道を歩むことができた人であること。 蔑すまれ、疎まれ、それでも懸命に生き、立派になった人達は頭が下がるけれど、そうではない人も多くいたんだろうな、と想像した。 そして、駅の子がみな犯罪に走るのではなく立派になった人がいるとは言え、そうなれなかった人をどうして責めることができようか。 当時の孤児に対する扱いの酷さに、憤りを抱く。 孤児に関わる行政の役人や政治家は何を思っていたのか、気になっていたので、対談の記録は大変興味深かった。

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2021/08/27

マジョリティの視点ではなく、最も困難な周縁に置かれた人たちの視点から見た歴史は、日本ではあまり語られてこなかった。本当は周縁にいるマイノリティの視点こそが未来のために重要だ。

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2021/04/23

「だけど本当にほしかったのはぬくもりなんですよ」 ■日本人として目を背けてはいけない事実■ 知られざる戦争被害の一つの側面を見た。僕たちの祖先が被害者であると同時に加害者でもあったこと、日本人として知っておくべき内容だと思う。 何の罪もない子供がある日突然、戦争孤児になり、親...

「だけど本当にほしかったのはぬくもりなんですよ」 ■日本人として目を背けてはいけない事実■ 知られざる戦争被害の一つの側面を見た。僕たちの祖先が被害者であると同時に加害者でもあったこと、日本人として知っておくべき内容だと思う。 何の罪もない子供がある日突然、戦争孤児になり、親が死んだことを悲しむ余裕もなく、戦後をどのように生き抜いたか。生きるために何をしたか、何を犠牲にしたきたか。親類、政治、行政、社会…要するに「大人たち」にどのような扱いを受けてきたか。 物言わぬ(言えぬ)弱者に冷酷な大人たち。見方を変えれば、みんな自分のことで精いっぱいだったのだろう。 「あの頃、浮浪児をしていた子どもたちはみんな飢えていた。何に飢えていたかというと、もちろん食べ物には飢えていた。着るものもなくて毎日寒かった。だけど本当にほしかったのはぬくもりなんですよ」 この切実な回想に、平和な時代に何不自由なく育つ子供を持つ親として、胸が締め付けられる。 東日本大震災後、日本人の慎み深く整然とした行動が世界で称賛された時期があった。僕は日本人であることを誇りに思っている。 しかし、そんな理性も慎み深さも、修身も道徳も武士道精神も、戦後生きるか死ぬかギリギリの時代では全く通用しなかったのだ。 著者はそんな時代を生き抜いた人々の実態を丁寧な取材により浮き彫りにしている。その時代のことを語れる人たちはどんどん減少しており、もう5年もすればこのような調査や取材は相当難しくなるに違いない。 そういう意味でも、生の声による戦争の後遺症の記録として本当に貴重なものだと思う。

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2020/08/06

太平洋戦争で親を失い、路上生活をせざるを得なかった戦争孤児たち、終戦後が彼らの闘いでした。「駅の子」とは雨風をしのげる駅を寝床として、生活している子どもたちを指していました。過去を知られたら差別される、思い出したくないといった思いで、これまで語られていなかった数々の戦争孤児たちの...

太平洋戦争で親を失い、路上生活をせざるを得なかった戦争孤児たち、終戦後が彼らの闘いでした。「駅の子」とは雨風をしのげる駅を寝床として、生活している子どもたちを指していました。過去を知られたら差別される、思い出したくないといった思いで、これまで語られていなかった数々の戦争孤児たちの体験がまとめられた本書。戦争の悲劇、戦争への怒りが語られますが、根底には大人が傷ついた子どもたちにどのように接するのか、という現代にも共通する普遍的なテーマがありました。 戦争孤児については他にも『かくされてきた戦争孤児』(講談社)にもまとめられています。

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2020/08/05

終戦直後の上野駅構内には浮浪者、浮浪児が溢れ、毎日のように死者が出ていた。 板橋の孤児院では、冬に何十人もの子供たちが飢えと病気で死んでいった。 この本を読んだ直後、「終戦の翌年、2晩かけて兵庫の疎開先から母親と3人の兄弟と一緒に東京に着いた時、親父は迎えに来てくれなかった」とい...

終戦直後の上野駅構内には浮浪者、浮浪児が溢れ、毎日のように死者が出ていた。 板橋の孤児院では、冬に何十人もの子供たちが飢えと病気で死んでいった。 この本を読んだ直後、「終戦の翌年、2晩かけて兵庫の疎開先から母親と3人の兄弟と一緒に東京に着いた時、親父は迎えに来てくれなかった」という叔父の恨み言を聞いても、なんの同情も湧かなかった。 終戦当時叔父は10歳だったはずだが、当時、親も家もなくして道端に寝ている同い年の子供が大勢いたであろうに、家族の誰も死んでないし、東京の家も焼け残ったし、良い学校にも進学させてもらって、まだ文句を言っている叔父には、笑うほかない。

Posted byブクログ