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民俗学 の商品レビュー

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5件のお客様レビュー

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2024/11/10

宮田登著『民俗学 (講談社学術文庫 ; 2593)』(講談社) 2019.12発行 2020.6.19読了  「まえがき」にも書いてあるが、本書は民俗学の基本用語のいくつかをトピックとして取り上げ、若干の解説を加えるという体裁を取っており、故に体系的な仕上がりにはなっていない。...

宮田登著『民俗学 (講談社学術文庫 ; 2593)』(講談社) 2019.12発行 2020.6.19読了  「まえがき」にも書いてあるが、本書は民俗学の基本用語のいくつかをトピックとして取り上げ、若干の解説を加えるという体裁を取っており、故に体系的な仕上がりにはなっていない。各用語のヨコの有機的な関連が分かりづらく、私にとってはまだ難しい「入門テキスト」だった。  本書は1990年に刊行された本を原本としており、今から30年前に出版されたものである。農作は衰退し、それに伴う民俗文化や年中行事もほとんど見る影を失ったが、コンビニや百貨店の「商戦」で垣間見る程度で、本来の意味が失われて久しい。民俗学は、外来仏教の伝来以前の民俗を探究する姿勢を持つが、我々には仏教すら身近なものではなくなっている。いきなり「ハレ」とは何かと問われてもピンとこない。現代から少しずつ遡っていき、原初の形へと到達するような流れで書いてくれないと、民俗学はますます一般人の関心から遠のいてしまうだろう。  そのような中で、一つ面白かったのが「カミサン」「オッカサン」の語源だ。「カミサン」「オッカサン」は「カカ座」からきており、「カカ座」とはイロリで主婦が座る定位置を指していた。主婦のことを山の神と言ったりするように、主婦は家の継承という意味で大切にされ、また山の神という表現から分かるように怖れられてもいたのだろう。  夏目漱石著「夢十夜」の第四夜では「神さん」が登場するが、まずこうした一連の意味の推移を前提にしていると見て間違いない。「爺さん」もどこか来訪神めいているし、子供も「七歳までは神のうち」と言ったりする。第四夜を民俗学的視点から捉え直すのも面白いかもしれない。 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I030100900

Posted byブクログ

2024/10/28

〈kindle版〉 本書は1990年に放送大学の教材として刊行されたもので、著者の宮田登氏は筑波大学名誉教授、元日本民俗学会の会長を務めた民俗学の大御所である。したがって、一般に民俗学を基礎から学ぶにあたって、誰もが疑問に思う以下の諸点を分かりやすく解説したテキストと言える。 ①...

〈kindle版〉 本書は1990年に放送大学の教材として刊行されたもので、著者の宮田登氏は筑波大学名誉教授、元日本民俗学会の会長を務めた民俗学の大御所である。したがって、一般に民俗学を基礎から学ぶにあたって、誰もが疑問に思う以下の諸点を分かりやすく解説したテキストと言える。 ①民俗学の泰斗と言われる柳田國男、南方熊楠、折口信夫の学問的な視点の相違。 ②「常民」とは何か。③「ハレ」と「ケ」 ④仏教と民俗学 ⑤都市の民俗学 とりわけ、私は①の3者の学問的視点の差異については、大変勉強になった。 常民の「ハレ」と「ケ」の伝承民話を蒐集して国史学の政治的偏重を排し、農村生活者の心的現象を「生活誌」として分析した、柳田國男の先駆者としての地位は今日でも揺るぎないであろう。 しかし、その後に続く南方熊楠の考え方も大変興味深い。日常的に生態学・博物学を専門とし、植物や菌類の細かな観察・研究に没頭していた南方が、人類学の〈比較文化論〉としての民俗学という巨視的な観点から考察したことは、柳田には無かった俯瞰的な視点であろう。農民伝承を学問的(アカデミック)に分析類型化した柳田に対して、経済制度といった社会事象も加味して比較民俗学を提唱した南方熊楠。柳田をして「日本人の可能性の極限」とまで言わしめた所以である。そして、もう一人、柳田のアカデミズムに対抗する存在として折口信夫がいる。折口の視点は、もはや科学としての民俗学を超えた古代研究に精通した「国文学的基本思想」が基底にある。「常世の国」「まれびと信仰」など、柳田民俗学には無い「タマ=神」という魂の往来を通して常民の伝承・民話を捉えていくという、これもまた詩人折口信夫の比類なき魅力と言える。 本書は、それぞれ3人の先達、偉人に関する書物を読んだ後で、民俗学の全体を体系的に捉え、より一層の理解を得ることができる最適なテキストだと言える。 2024.7.8 公祥

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2021/09/14
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※このレビューにはネタバレを含みます

そして山間部のどこかに現世とは異質の空間である幽界=隠り世があると想像していた。 1 民俗学の成立と発達 より  ちょうど大正七年ごろに、各地の村の民間伝承のあり方に一つの傾向が出ていた。つまり旧い事はそのままいい伝えるという村人の姿勢が次第に失われつつあったことである。 祭りにともなう神輿もやはり「前から」なくなっている。 2 日本民俗学の先達たち より 土の生産を離れた都市民が、かならずしも農民と同様の世界観をもつとはいえないのである。 4 ハレとケそしてケガレ より たしかに柳田のように、カミ→妖怪とみてしまうと、妖怪は当初存在していなかったことになる。一方、超自然的存在に邪悪なものを認め、カミとともに人間に畏怖心を与えていると考えることは、西欧的な神と悪魔の対立に通じている。 13 妖怪と幽霊 より 民俗学というシンプルなタイトル。入門書的な広く浅くな章立て、けれども楽しく読むことができました。ゴジラが出てきましたが、てっきりあれは災害や原発のメタだと思っていました。識者によって様々な解釈があるのでしょうか。 今聞いたら笑ってしまうような生活様式や思想、暮らしとその時々の楽しみなど、興味深く異論反論も交えて語られています。科学や技術が発展し、山や谷が削られ、海を埋め立てられた現代の暮らしの中でも、ああ昔と比べて変わってないな、と不思議と感じることもあります。土着というか、染み付いてとれない習性のようなもの。自分が民俗学という学問に惹かれる所以。

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2021/05/26

図書館でなく、初めてかった宮田登さんの本。 著者は元 日本民俗学会会長。 前書きには民俗学をもっと学びたい人向けに教科書的な本の紹介をしている。 平田篤胤の異人への関心。山伏を異人と見た。山間部のどこかに現世とは異なる空間である幽界=隠り世があると想像。 しかし荒唐無稽な作り話...

図書館でなく、初めてかった宮田登さんの本。 著者は元 日本民俗学会会長。 前書きには民俗学をもっと学びたい人向けに教科書的な本の紹介をしている。 平田篤胤の異人への関心。山伏を異人と見た。山間部のどこかに現世とは異なる空間である幽界=隠り世があると想像。 しかし荒唐無稽な作り話というのではなくて日常生活の中にどう位置付けられるかを明らかにしようとしていた。幽界は人間の潜在意識に関わるものとして見ていた。 アジアの民俗学は、戦後は日本を含め比較民俗学での交流が開始されてきている。 柳田國男は、民俗学を科学として体系化を行なった。現代的課題に取り組むべき使命を持った学門。 郷土=ムラ=地域住民のまとまりを正確に観察しようという態度があった。 明治20年頃の文明開化に伴い家々の年中行事の改廃が激しかった。 また女学校を出ていると雑煮の汁加減も変わると言われ、村の外からの知的刺激が民俗のあり方を変えていく。 宗教観 仏教や神道の前に、民間信仰があって、それに寄り添う形になったのが、日本式の仏教、そして神道。 漁師の町では網などを持っている家とそれに従う村民という構図があるが、昭和の小説家で出てくる網元の語源はここだろうか。 同じ窯の飯を家族構成員でみんな一緒に食べるのが慣習、不文律だった。 行事の時に村のみんなで食べるというのが転じて、お中元などの像等習慣にかわった。素麺、冷麦を送るのはこの元となる行事からきている。

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2021/05/20

 民俗学の発祥と歴史、今さら聞けない「ハレ」と「ケ」の違い、柳田國男や折口信夫の思想と功績をはじめ、民俗学の基本的知識から現代での動きと展望が紹介されている。  もともと放送大学のテキストとして編まれたものというのもあってか、章ごとに何を具体的に学べるかがはっきりしている。また全...

 民俗学の発祥と歴史、今さら聞けない「ハレ」と「ケ」の違い、柳田國男や折口信夫の思想と功績をはじめ、民俗学の基本的知識から現代での動きと展望が紹介されている。  もともと放送大学のテキストとして編まれたものというのもあってか、章ごとに何を具体的に学べるかがはっきりしている。また全15章構成と章の数は多く感じるが、1章につき45分程で読めると思う。とても読みやすい。  折に触れて読み返したいと思います。

Posted byブクログ