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しらふで生きる の商品レビュー

3.6

57件のお客様レビュー

  1. 5つ

    7

  2. 4つ

    23

  3. 3つ

    12

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  5. 1つ

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2022/03/06

町田康らしい 解説を読んで納得いく。 人生が寂しいものと捉えてしまったら、帳尻合わせの酒が入らなくなるのか、うむ 購入して良かった。また読もう。

Posted byブクログ

2021/10/24

作者は決して断酒偉いだとか、メリットの恩恵を言いたいわけではない。本書は、酒を飲む意味の無さ、そこに何の解決もない虚無性と、その先にある人間の在り方や考え方を通して、断酒に至った経緯を述べている。断酒をテーマにした下手な啓発本より、身体に染みるように伝わる。

Posted byブクログ

2021/08/12
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

町田康さんの、禁酒本?断酒本?というか、一見はそんな体なのですが、なかなかに深いような、案外そーでもないような、不可思議な町田ワールドが展開される一冊ですね。 何故人は酒を飲むのか?という洞察は、面白いです。 酒を飲む。ということは、自分の望まぬことに従事させられた、失われた自分を取り戻す、プラスの行為である。と考える。 でも、それってホンマにそうなの?みたいな事を考えたり、 飲酒とはなんぞや?から、人間存在とはなんぞや?という謎の深いテーマを町田さん流に思案していくこの思考の流れ、ああ、毎度毎度、おもろいなあ。町田さん、追求するよね~、とか思いつつ読んでましたね。 あと、お酒を止めた町田さんの最終的な感想が、 「いやあ、お酒やめた方が、なんだか頭と体のキレがいいんだよね~」 っていう、超即物的なあたりまえの結論だった、ってのも、フツーにおもろい。ま、そのフツーの事に達するまでの、町田さんの思考、思索の流れが、やっぱ出色やなあ~ってね、思う。そんな一冊でしたね。 で、これは完全に単なる偶然なのですが、自分も、相当な酒好きなのですが、たまたまこの本を読み始める前後から、なんとなくですが、お酒を飲むのをほぼ、止めてます。断固飲まない!わけではなくて、たまたま、飲みに行く機会がほぼ無くなって、んで、自宅飲みも、まあ、止めてみるかな?と思って止めてみたら、想像以上にお酒が無い生活でも、全然問題ないじゃん、って感じになってまして。 ま、自分の場合は、町田さんみたいに完璧にお酒を止めるには至らないと思うんですが、あんだけお酒が好きだったのに、飲まないなら飲まないで、こんなに平気なんだなあ~。ってのが分かっただけでも、おもろいもんだなあ、って思ってますね。ホンマに、この本を読んだのと、自分の断酒が重なったのは、ホンマに偶然なんですけどね。 そんな事も、非常になんというか、興味深い一冊でした。

Posted byブクログ

2021/05/19

実は自分も「しらふ」で生きて、8年目に入っています。食べる、寝る、と同じように、飲む、が人間にとって当たり前だと思っている人はまだまだいっぱいいて、未だに、飲まない理由を説明するのが大変です。特に、昔、がぶがぶ飲んでいた時代を知っている人にとっては、どんなに説明しても納得してもら...

実は自分も「しらふ」で生きて、8年目に入っています。食べる、寝る、と同じように、飲む、が人間にとって当たり前だと思っている人はまだまだいっぱいいて、未だに、飲まない理由を説明するのが大変です。特に、昔、がぶがぶ飲んでいた時代を知っている人にとっては、どんなに説明しても納得してもらえてないことは、その眼を見ればわかります。その不信感を和らげるためには、お医者さまからの指示、とするのが一番当たり障りがないので、それを公式理由として採用していますが、まあ止めた理由はそれだけでもないのです。という、もやもやを打ち明けた人から、だったら、これ読みなさいよ、と勧められた本です。著者は自分のように世の中の通りがいい理由に逃げずに、いちいちくだくだと「しらふで生きる」ことを語っています。先ずは「飲む」ことが正気、「飲まない」ことが狂気、という出発点が目鱗。酒に頼ったなんちゃって狂気より酒を入れない人生の方が、よっぽどクレージー!ということになると思います。ということで、酒無しクレージートークがえんえんと続きます。もはや文章が酩酊状態。もともと町田康の特徴なのだと思いますが、読んでいるうちに脳内になんか物質が分泌されていくような気がします。多分お酒を飲みながら読めば、面倒くさいくなって読むのやめちゃう、と思いました。頭脳覚醒状態で読了しても、なんか、なんの話だったかよくつかめないが面白いです。断酒の効用も書かれていますが、これ、自分には付け足しに思え、酒ありでも酒なしでも、人間ってゆらゆらした状態だ、という酔っぱらいのくだくだを聞かされている気分で、読む酒、という初体験本でした。たぶん、とってもいいこと言っているけど、なんか覚えていない、という酔い覚め読後感でした。

Posted byブクログ

2021/05/14

なぜ私は酒をやめるのか? へぇ〜そうゆ辞めかたあるのかなぁ 僕も良くよう飲んでます 角度を変えて視点を増やし折り合いをしてる 図書館で借りたけど、これはこうにしよかなて

Posted byブクログ

2021/04/26
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

作家視点でみる断酒への葛藤と逡巡。対処法。 ユニークな表現に思わず笑った。ちょっとくどいなぁと思うところもあるけど。 俺も酒をやめよう。 ・酒の快楽は苦痛とワンセット ・人生はそもそも苦しみの方が多い(望んで産まれてきたわけでもないし、望んで死ぬわけでもない) ・自分が幸せになって当然という感覚は捨て、アホになったほうが幸せ。かといって虚無的になるわけじゃない ・足らないという感覚はそもそも勘違い

Posted byブクログ

2021/04/06

酒大好き →やめたけどやめた理由を玉川通りに落としてしまった →見失った理由をいろんな角度から追求していく、 という構成で進んでいくエッセイ。 つまり非常にシンプルなテーマなのだが、この追求の発想の幅をよくここまで広げられるなと驚く。 自分は酒飲みではないが、何か不本意ながら辞め...

酒大好き →やめたけどやめた理由を玉川通りに落としてしまった →見失った理由をいろんな角度から追求していく、 という構成で進んでいくエッセイ。 つまり非常にシンプルなテーマなのだが、この追求の発想の幅をよくここまで広げられるなと驚く。 自分は酒飲みではないが、何か不本意ながら辞めざるを得ない際に自己認識ができれば、それが不当に奪われようとしているわけではなく自惚れだということを確認できるだろう。

Posted byブクログ

2021/03/07

独特の文章と、回り道しかしない話題展開。グイグイと引き込まれました。お酒をいま呑んでいないので、参考になるかなーと思い読み始めましたが、参考になったようにらないような。 三鞭酒(シャンパン)、扨(さて)、腰カッターなどなど知らないことたくさん。そこまで読みにくくはないです。

Posted byブクログ

2021/03/07

ちょうど今入院していて、お酒はこれから飲めないかなー、というタイミングで読了。 病気になったからではなく、自発的にやめた思考回路が面白い。他の人の頭のなかを覗けた気分になる一冊。 が、真似できるかというと無理かなあ。これもまた、自分は自分、他人は他人だから。

Posted byブクログ

2021/02/07

●→引用 ●酒を飲むと楽しい、この楽しみが資産である。しかし人生において楽しみだけがあるということはなく、楽しみにはそれに見合った苦しみが必ず伴なう。この苦しみが負債ということになる。 ●飲酒者が飲酒に至る過程を、1.自分は幸福である権利を有している。2.ところが不当にこれを奪...

●→引用 ●酒を飲むと楽しい、この楽しみが資産である。しかし人生において楽しみだけがあるということはなく、楽しみにはそれに見合った苦しみが必ず伴なう。この苦しみが負債ということになる。 ●飲酒者が飲酒に至る過程を、1.自分は幸福である権利を有している。2.ところが不当にこれを奪われた。3.そこで、自分はそもそも有していた幸福である権利を行使することができる、 ●幸福はそれ単体で存在しない。幸福はいつも不幸とともに存在する。不幸の裏打ちがあって初めて幸福は幸福たり得るのであって、不幸がなければ幸福もない。 ●つまり苦楽は均衡するということである。 ●不満があれば人は酔いによってこれを解消しようとする。酔うのは簡単である。人は酔いやすい。酒に酔い、他人に酔い、自分に酔う。酔えば一時的な満足が得られる。しかしそれはかならずや後に不満足をもたらす。その不満足を酔いによって解消する。さすればまた不満足が生まれる。その不満足を酔いで解消する…、といった具合で切りがない。そこでこれをあらためるためには、さしあたり不満をなくすのがもっともよい。そもそも不満が生じるのは自分が此の世で正当に遇されていない、と考えるからであるがそれがそもそも誤りであり、その誤りを知ること、乃ち、自己認識を改めることによって、現在の不満は消える。しかしそれは虚無に陥る認識である危険性があるが、そうした自己認識を持って眺める世界には、これまで聞こえなかった音や見えなかった景色があり、そのよさを識ることは自己のよさを識ることでもありそれによって私たちは虚無からも不満からも身を遠ざけることができ、そのことによって酒をやめることができる。→そもそも不満だからを飲むのか。たしかにそいうこともある。しかし、どちらかといえば、自分の場合、暇だから飲むと思う。暇であることが不満なのか。 ●これらのことを総合すると、呪術としての正月には、もはやなんの意味も意義もない、ということになる。ということはどういうことか。つまり非常時でもなんでもない、ごくありふれた、普段となんらかわるところのないただの日、といことになる。ということは。そう。別に正月が酒を飲む理由にならない。そして。人生というものは特に楽しいものではないので、酒を飲んで無理に楽しくする必要もないし、楽しくしないと世に後れを取るということもない。というか、逆にそんなこともわからないで、欺瞞の楽しみに現を抜かしていると、そのツケの支払に後日苦しむことになる。以上の如くに正月の認識を改めて、私は正月の間、酒を飲まないでいるべく努力した。もちろん飲みたいという気持ちがそれで消えるわけではない。しかし、いったんそういう風に思うと、飲むための理屈、飲むための道理、飲むための大義名分というものが消える。人間はなにをするにもそうした大義名分、道理のようなものが必要である。 ●文章を書くことは、原材料を加工して製品にして出荷するようなものである。しかし、原材料の、錫や銅やコバルトといったものはかなり脳髄の山奥にある場合が多い。そして工場と港もそこそこの距離があり、その途中には険しい山脈や大河が横たわっている。文章を書くのが上手な人というのは、この遠く隔たった鉱山と工場と港の間に道路を切り開き、鉄道を敷設している人で、文章を書くのが下手な人というのは、細く険しい道しか持たぬ人である。よって上手な人は貨車やトラックで高速かつ大量に文章を運ぶことができるが、下手な人は牛や馬で、甚だしい場合は自ら肩に担いで少しずつしか運ぶことができないし、途中で山賊に殺されたりする。文章をまったく書けなくなった人というのは、飲酒という自然災害によってその道路が途絶し、製品(文章)を作ること、出荷することができなくなった人で、そういう人が、まるでヤケクソになった独裁者ののように自国民(登場人物)を殺しまくるというのは右に述べて通りである。 ●「渇いているからといって(銭で購える)幸福をがぶ飲みすると、その後がもっと苦しくなる故ほどほどにしておけ」

Posted byブクログ