造山古墳と作山古墳 の商品レビュー
2018年シンポの記録。 皆さん、今は古墳ブームですが、造山古墳と作山古墳をご存知でしょうか?大きさで言えば、全国4位と10位ですが、どちらも天皇陵とは違い中に立ち入ることが出来て、造山は立ち入り可能の中では最大の古墳です。本格的な発掘は未だされていなくて、作山ではちょっと歩いた...
2018年シンポの記録。 皆さん、今は古墳ブームですが、造山古墳と作山古墳をご存知でしょうか?大きさで言えば、全国4位と10位ですが、どちらも天皇陵とは違い中に立ち入ることが出来て、造山は立ち入り可能の中では最大の古墳です。本格的な発掘は未だされていなくて、作山ではちょっと歩いただけなのに私、埴輪片を発見しています。何故、そんな凄い古墳が奈良(大和)ではなくて岡山(吉備)にあるのか?ということもちょっと興味そそりますよね。因みに、上石津ミンザイ古墳(履中陵古墳)と造山は5世紀前半前葉で時期と大きさ共に並行しているけれども、仮に造山が古ければ当時日本最大の古墳ということになります。つかみはこれぐらいにします。内容は予想よりも専門的でした。 昨年は、造山古墳のふもとに待望のビジターセンターができました。せめて博物館的な資料館が欲しかったのですが、ないよりはマシ。岡山県人としてはこのコロナ禍の下、一度は訪ねておくべき場所だと思っています。 例によって、私的メモを以下に羅列します。 ・3次元レーザー計測によって、正確な古墳設計が判明した。造山は正確に「歩」の単位で測り、綺麗に造営している。一段目から三段目を横から測ると「2:1:2:1:6:4」になる。数値は違うが、ミンザイ古墳も誉田御廟山古墳(応神陵)、仲津山古墳(仲津姫陵)も同じルール。しかし、作山は違うルールを採用。急いで作った跡が窺われる。(表紙の左が造山、右が作山) ・大仙陵古墳(仁徳陵)は、前方部を長くしているが、実際の造営の困難から言えば、造山から誉田御廟山までが、古墳造りのピーク。(以上新納泉氏の見解) ・総社市窪木薬師遺跡から、釜山福泉洞(ポクチョンドン)古墳群の鉄鋌とヤジリと極めて似たものが出土している(造山周辺地域は渡来人遺跡が多い)。5世紀前半の濃密な交流の可能性。栢(かや)寺廃寺は伽耶だった可能性がある。(亀田修一氏の見解) ・造山古墳が築造された前後に、広い地域で集団の再編が行われた。(平井典子) ・(シンポ発言)古墳造りの匠の親方のような人がいたのではないか。専門家が複数いて、どこの専門家を連れてくるか?という ・(シンポ発言)いや、造山の前に吉備の「改変」があったといって「中央から大王墓が来る」と思っているわけじゃありません。中央とある程度連動する形で、吉備の中のまとまりが再編された可能性を考えています。(平井) ・佐古田堂山古墳や金蔵山古墳は380年頃の造営? ・好太王碑の「391年、倭がやってきた」から考えると、造山の被葬者が若い頃に朝鮮半島に行き、朝鮮人を連れて来たと考えることもできる。造山周辺に渡来系がいたのは間違いない。(亀田) ・造山と倍塚との築造順序 造山・千足→造山第四古墳→第二古墳 ・千足古墳は、石しょうの関係から肥後国、石室は讃岐産の安山岩、造山の造営は、吉備だけでなく、西日本全体の盟主であったことを具体的に示す古墳。 ◯造山周辺の古墳(倍塚だけでなく、関連ありげな古墳など)紹介も充実。造山古墳を目当てに、吉備に来るのならば、この本は最も詳しく場所も特定出来るガイド本になっていると思う。一方で、一部の岡山の専門家でさえ唱えている「造山古墳は大王(天皇)墓である」説は、この本は採用していないようだ。しかし、私は、説得力ある説だと思っている。ま、素人だから無責任に言えるんだけどね。
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