100分de名著 戦争論 ロジェ・カイヨワ(2019年8月) の商品レビュー
近代戦争に「聖なるもの」を見出す。聖なるものは、未知で恐怖と畏怖の源泉となっていた宗教性そのもの。国家と戦争に命を捧げることで、人は至高なものになる。 戦後の今でも、犠牲性というのは取り扱いが難しい。犠牲の捧げ先を見出した人にとっては、その先はかけがえのないもの。大きな物への犠...
近代戦争に「聖なるもの」を見出す。聖なるものは、未知で恐怖と畏怖の源泉となっていた宗教性そのもの。国家と戦争に命を捧げることで、人は至高なものになる。 戦後の今でも、犠牲性というのは取り扱いが難しい。犠牲の捧げ先を見出した人にとっては、その先はかけがえのないもの。大きな物への犠牲は、人の遺伝子に組み込まれているとしか思えない。 戦争と祭りの恐るべき類似性。異なる点は、破壊を主としているかどうかだけ。果てしない消費=蕩尽。 祭りは現代のライブ文化が代替している。もしかしたら、「場外」での乱闘、取り締まり、警備的活動、悪口罵詈が戦争の代替かも知れない。 第4章の結論は苦い。希望はない。ここまで戦争をえぐったからこそ、それをせき止める確実な方途はないのだ。
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内容の解説については抜粋的なところもあるので、ぜひ原著を読んだほうがいい。それよりもロジェカイヨワの思想的背景とかがしることができたことが収穫だった。
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2022.4.10 NHKの再放送番組をNHKプラスで。 戦争は人間にとって避けがたい傾き。であることを知ることのみで戦争は避けられる。 人権宣言こそストッパー。 近代戦争、全体戦争、テロとの戦争 内的体験としての戦争 祭りと戦争 破壊することで生産が生まれる 消費するのみ
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戦争の変遷を説明していた。 中世などの戦争は、権力抗争。 国民の意識はない。限定的な戦争。 しかし、近代に入り、『国家』が生まれ、国民が生まれ、戦争は一変する。総力戦である。 国民は画一的な教育をされ、国家に尽くすことが至高という価値観を育まされる。 中世などが1人の英雄を称...
戦争の変遷を説明していた。 中世などの戦争は、権力抗争。 国民の意識はない。限定的な戦争。 しかし、近代に入り、『国家』が生まれ、国民が生まれ、戦争は一変する。総力戦である。 国民は画一的な教育をされ、国家に尽くすことが至高という価値観を育まされる。 中世などが1人の英雄を称えたのに対し、近代では無名戦士の墓が、それの代わりである。物語っている。 核兵器により、大国間での戦争は不可能に。 冷戦という形で、各地域で戦争が繰り広げられる。 21世紀になると、テロとの戦いとなる。 テロリストを何人絶滅させるための戦争、国民さえも仮装敵とみなし国内のテロリストをあぶり出す。 人間にとって、戦争は気持ちいいものというのが、カイロワの結論(祭りと同じ)。消費的欲求。 それを防ぐ万能薬は無いが、隣人も同じ人間である。助け合うべきだと。価値観を共有することが、今できること。
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「NHK 100分 de 名著 ロジェ・カイヨワ『戦争論』 」。2019年 8月。西谷修。 大変に面白い一冊で、いつかまた読もうと思いました。100分de名著という番組の切口が僕は好きなので、こうなるともう原著は読まなくてもこの本は再読しそう(笑)。 この本自体読んだのが201...
「NHK 100分 de 名著 ロジェ・カイヨワ『戦争論』 」。2019年 8月。西谷修。 大変に面白い一冊で、いつかまた読もうと思いました。100分de名著という番組の切口が僕は好きなので、こうなるともう原著は読まなくてもこの本は再読しそう(笑)。 この本自体読んだのが2019年なのでほぼ忘却。 # 戦争の歴史を紐解きながら、これはよく言われることですが、第2次世界大戦にいたって、完全に「消耗品として兵士」になった。つまり、もう戦場の英雄は生まれない。無名なまま、消耗品として死んでいくだけ。 というわけで国家はこの「無名の消耗品として死ぬ」ということを美化せねばならない仕儀になる。美化宣伝しないと、盛り上がりませんから。で、こうなるともうイデオロギーって言うか、ほとんど宗教みたいなことになる。 # 時代は前後してナポレオンの頃から、「国民国家」が「平民兵士」として誕生してくる、そのダイナミズム。このあたりも実にわくわくと解りやすい本だった。 # 更には「戦争のルール」という歴史で見れば、21世紀のアメリカを中心とした「テロとの戦い 」というお題目の、怖さ。敵を「テロ」とするだけで善悪思想宗教化が完成するし、相手はもはや国家では無いから、敵をいくらでも、恣意的に作ることができる。 更に「戦争の民営化」という概念も面白かった。ただこれはかなり記憶の靄の中。 # 「無名兵士の熱狂」が必要な戦争、という課題から共通した印象が残るのは、「戦争とは祭りである」ということ。地域の祭りであれ、学園祭であれ、ほんとにそこで熱狂したい、熱狂する人々にとっては、「熱狂」が絶対的な価値であり、そのベースには多数姓、一体感が不可避であり、祭りの中では平常時に許されないこともアリ、というモラルの逸脱が起こります。これはこれで、すごく面白く納得させられる論考。(祭り熱狂、一体感、みたいなのが10代の頃に大の苦手だったので(笑)) # 歴史好きな人、戦争好きな人(戦争するのが好き、というよりは、戦争という話題や事象に興味深さを感じる、という意味で)には、かなりお勧め。言葉も平易。
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やはり原著を読まないとだめか? 貴族や傭兵が戦争の主役だった時代から、すべての「国民」が戦士なるのが、国民国家であり、その観点で戦争に肯定的な意味合いを認めることに、多くの日本人は一義的に拒否感を覚えるだろう。このコントラディクションをいかに乗り越えていくべきかが、解説書では皆目...
やはり原著を読まないとだめか? 貴族や傭兵が戦争の主役だった時代から、すべての「国民」が戦士なるのが、国民国家であり、その観点で戦争に肯定的な意味合いを認めることに、多くの日本人は一義的に拒否感を覚えるだろう。このコントラディクションをいかに乗り越えていくべきかが、解説書では皆目見当がつかなかった。 ロジェ・カイヨワ『戦争論』 (NHK100分de名著)、西谷修著 Day74 https://amzn.to/2Oh2NVs
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NHKの番組テキスト。テレビで見てうおおと思って、読んだら難しかった。でも衝撃は蘇る。カイヨワって遊びの研究してる人かと思ってた。 以下、雑メモ。 ・戦争は消費。蓄積経済の行き着く先。祭と同じ(部分的に)。 ・経済のグローバル化→国家はむしろ足かせ。市場の主役は国民ではなく企...
NHKの番組テキスト。テレビで見てうおおと思って、読んだら難しかった。でも衝撃は蘇る。カイヨワって遊びの研究してる人かと思ってた。 以下、雑メモ。 ・戦争は消費。蓄積経済の行き着く先。祭と同じ(部分的に)。 ・経済のグローバル化→国家はむしろ足かせ。市場の主役は国民ではなく企業などの「法人」、それらが国家権力や軍事力を活用して市場のさらなる拡張を追求する。 ・今は「テロとの戦争」。敵はどこにいるかわからない。国民が潜在的な敵。情報を開示させ監視の目を光らせる。それが「セキュリティ(安全保障)」。国家が「テロリストだ」と言えばその人が敵。人権無し。殺してよい。 ・ドローンとかAIとかで、コスト(兵員の死)のかからない戦争ができる時代。もはや戦場に人間はいない。殺される相手は上述の通り「人間の敵」なので人間じゃない。そういう理屈でどんどん戦争ができる。 ・…いやいやいや、私もあなたもあの人もこの人も、みんな生身の人間だ。戦場に飛び散る血や肉片は、こうして血が通って生きている私と同じ人間だったものだ、その禍々しさを惨さを直視して「人間だ」って叫ぶことしか、この流れに棹さす手だては見つからない。暗澹たる気持ちだ。
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「ロジェ・カイヨワ『戦争論』」西谷修著、NHK出版、2019.08.01 133p ¥566 C9498 (2019.09.24読了)(2019.07.26購入) 【目次】 【はじめに】人間にとって戦争とは何か 第1回 近代的戦争の誕生 第2回 戦争の新たな次元「全体戦争」 第...
「ロジェ・カイヨワ『戦争論』」西谷修著、NHK出版、2019.08.01 133p ¥566 C9498 (2019.09.24読了)(2019.07.26購入) 【目次】 【はじめに】人間にとって戦争とは何か 第1回 近代的戦争の誕生 第2回 戦争の新たな次元「全体戦争」 第3回 内的体験としての戦争 第4回 戦争への傾きとストッパー ☆関連図書(既読) 「「平和」について考えよう」斎藤環・水野和夫・田中優子・高橋源一郎著、NHK出版、2016.05.30 「ヒトはなぜ戦争をするのか?」アインシュタイン/フロイト著・浅見昇吾訳、花風社、2000.12.31 内容紹介(amazon) 人間はなぜ戦争を避けることができないのか 第二次世界大戦後、数年の時点で書かれた本書は、戦争の不可避性を「文明の発展」と「集団的人間の特性」から分析、国際的な反響を得た。二度の世界大戦を経ても、なぜ「懲りない」のか。戦争を惹起する、非合理な人間の全体性とは。国家に飲み込まれない「個」の在り方を、人類学的視点から考える。
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クラウゼヴィッツの「戦争論」を読んだこともあり、書店に平積みになっていた本書を見つけ購入した。 クラウゼヴィッツは、フランス革命とその後のナポレオンセンセ王にプロイセン軍として従軍した「国民としての戦争」について、記述している。 一方、カイヨワは戦争を、未開社会での「原始的...
クラウゼヴィッツの「戦争論」を読んだこともあり、書店に平積みになっていた本書を見つけ購入した。 クラウゼヴィッツは、フランス革命とその後のナポレオンセンセ王にプロイセン軍として従軍した「国民としての戦争」について、記述している。 一方、カイヨワは戦争を、未開社会での「原始的戦争(戦闘)」、異質の文化・文明の抗争である「帝国戦争」、日本の武士のような封建社会における「貴族戦争」、国家同士が国力をぶつけ合う「国民戦争」と分類した。そして、「世界戦争」として、ひとの尊厳がなくなるほどテクノロジーが先行した大量虐殺を伴う戦争へと突入した時代に警鐘を鳴らす。 筆者(西谷修)は、さらにテロやAIを活用した戦争に危惧している。 戦争を語るとき、ローマ神話の「マルス」(勇猛さ、武勲など)を見るのではなく、「ベローナ』(戦争の凄惨さを表す)を見よと警鐘を鳴らしている。 クラウゼヴィッツとカイヨワをもう一度読み比べたくなった。
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2019年8月100分de名著カイヨワ『戦争論』 話題になっています。国家に飲み込まれない「個」の在り方をさぐる講義です。
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