神戸・続神戸 の商品レビュー
戦時下の神戸の下宿屋のようなホテル。さまざまな国の人たちがいて、それぞれの想い強い気持ちがあって、戦争に縛られているなか一生懸命生きている。それを俯瞰に見ている著者の文章が面白かった。解説で人生は近いと悲劇、遠いと喜劇、とあって、面白いと思ったのはそういうことなんだなと思った。続...
戦時下の神戸の下宿屋のようなホテル。さまざまな国の人たちがいて、それぞれの想い強い気持ちがあって、戦争に縛られているなか一生懸命生きている。それを俯瞰に見ている著者の文章が面白かった。解説で人生は近いと悲劇、遠いと喜劇、とあって、面白いと思ったのはそういうことなんだなと思った。続編の戦後編はツライ理不尽な…と悲しくなった。
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まず書いておかなければならないのは、俳人よりも歌人を重視したいと、要らぬ偏見を持っている。寺山のせいだ。 情けないことだが「水枕ガバリと寒い海がある」しか聞いたことがなく、その句を聞いても、作者に注目したことがなかった。 が、神戸の、しかもトアロードといえば足穂のだなっ! と鼻息を激しくし、いわばミーハー的に読んだのだ。反省。 しかし足穂の生年が1900-1977。 西東三鬼の生年が1900-1962。お、すごい、ニアミス有り得るかも……? ただし足穂の神戸時代はおそらく二十歳まで。 かたや西東三鬼の神戸時代は四十代。 合わないではないか。 しかし、神戸のコスモポリタニズム・ダンディズム・モダニズム・エキゾチシズム・コズモポリタニズム・ボヘミアニズムは、きっと時代を超えるのだ。 通じるものを感じた。 33歳で俳句を始めたという、若干の遅さも、また。 ひとまず「物づくし」という言葉がある。 それを派生させて「人づくし」という言葉を作れば、西東三鬼。 (足穂は「物づくし」の遥か彼方にあって思想をもオブジェ化する「オブジェづくし」だろう) 本書は雑誌「俳句」昭和29-31年、「天狼」昭和34年への寄稿。 つまり終戦10年熟成して、ようやく戦中戦後について発表できたものなのではないか。 西東三鬼ほどのコスモポリタン・ダンディスト・モダニズスト・エキゾチシズト・コズモポリタン・ボヘミアンにおいてすら、戦禍が過酷だったのではないか、と思う。 太宰や安吾を連想するが、その列に並べてもよさそうだ。 ところで本書で光るのは、やはり語学。 相手の言葉がわかるからこそ、壁を作らない……といえば2020年現在の「分断ー批判ー流行り」に迎合しすぎだろうか。 いやいや、外国語で思考を複眼化することは、かつてでも今でも、外国でも日本でも、戦時下でも平和な世でも、「跳び出す力」になるのだ。 この力を持っていたからこそ、作者は、日本人ー外国人ー売春ー惚れた腫れたという重さ、に、ユーモアー哄笑ー含み笑いの軽さ、を追記できた。 いわば太宰にも安吾にもできなかった、性的人間としての別側面を、文学史の壁画に描いてくれた。唯一無二。 それは祝祭のイメージ。読書中、映画「アンダーグラウンド」の音楽を流していた。 神戸つながりで時代を前後して、谷崎潤一郎、久坂葉子、中島らものヘル・ハウス、村上春樹の思春期、を連想してもよさそうだ。 また渡辺温「ああ華族様だよと私は嘘を吐くのであった」をも。 →《チャブ屋(チャブや)は、1860年代から1930年代の日本において、日本在住の外国人や、外国船の船乗りを相手にした「あいまい宿」の俗称。「横浜独自の売春宿」といわれることもあるが、函館や神戸など他の港町にも存在していた。また、食事やダンス、社交など買春以外の目的で遊びに来る客もおり、必ずしも「売春宿」とは言い切れない。》 以上のごときごった煮を、 《この「神戸」の登場人物の大方は、戦争前後に死んでしまうのだが、これは私が特に死んだ人のことばかりを書こうとしたのではない。ひとりでにそうなってしまったのである。何故そうなったかは私には判らない。ただ一つ判っていることは、私がこれらの死者を心中で愛していることだ。》 とまとめてしまえる、抒情と老獪が同時に屹立するところに、西東三鬼の魅力を、読む。
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第二次大戦下、神戸トーアロードの奇妙なホテル。“東京の何もかも”から脱走した私はここに滞在した。エジプト人、白系ロシヤ人など、外国人たちが居据わり、ドイツ潜水艦の水兵が女性目当てに訪れる。死と隣り合わせながらも祝祭的だった日々。港町神戸にしか存在しなかったコスモポリタニズムが、新...
第二次大戦下、神戸トーアロードの奇妙なホテル。“東京の何もかも”から脱走した私はここに滞在した。エジプト人、白系ロシヤ人など、外国人たちが居据わり、ドイツ潜水艦の水兵が女性目当てに訪れる。死と隣り合わせながらも祝祭的だった日々。港町神戸にしか存在しなかったコスモポリタニズムが、新興俳句の鬼才の魂と化学反応を起こして生まれた、魔術のような二編。 多少脚色はあるにせよ、すごい時代にすごい生き方をしている人たちが描かれていて、うわあという感じ。神戸という港町ならではの空気なのかもしれないけど、誰に従うこともなく、のびのびと自由に、まるで天狗のように駆け回るエネルギーあふれた登場人物たちに感嘆してばかりでした。筆者本人も大変な生活だったはずなのに、つらさや深刻さを敢えて削ってからりとした文章にしているところもすごい。今の時代には、逆にこういう醒めたような中に熱い芯の通った、凄みのある話を書ける人はいないような気がしている。
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筆者の暮らすホテルにまつわる人々を冷静に眺め、ユーモアを交えて淡々と。 物語性が強いわけではないが、戦時下の神戸のふつうのーいや、ちょっと変わった暮らしぶりをサクっと描いている。 折々、筆者の情け深いところ、優しいところに触れられる文があり読んでいて気持ち良い。 敗戦前後の話なだ...
筆者の暮らすホテルにまつわる人々を冷静に眺め、ユーモアを交えて淡々と。 物語性が強いわけではないが、戦時下の神戸のふつうのーいや、ちょっと変わった暮らしぶりをサクっと描いている。 折々、筆者の情け深いところ、優しいところに触れられる文があり読んでいて気持ち良い。 敗戦前後の話なだけあって正直描かれる事象は暗かったり悲しかったりするのだが、なんというか全体を通して軽い。貧乏しようと人が死ねど軽い。今風に言うと、筆者が“ネアカ”が滲み出ているとおもう。 戦時の市井の様子がわかる文章は興味深く面白い。
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現実のお話なのが、虚構であるのか?きっと大変なはずであろう戦中の生活を描いてあるのに悲壮感はあまり漂わない。むしろ色めき、艶のある世界に見える。
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神戸市内の本屋で平積みになっていました。 帯の「森見登美彦氏賞賛」につられて買いました。 知った地名 第二次世界大戦末から戦後まで とても興味深く読みました そうか、こんな人たちがこんなホテルでひっそりと命をつないでいたんだ 何と「濃い」人たち! ひとり一人が小説の主人公のようで...
神戸市内の本屋で平積みになっていました。 帯の「森見登美彦氏賞賛」につられて買いました。 知った地名 第二次世界大戦末から戦後まで とても興味深く読みました そうか、こんな人たちがこんなホテルでひっそりと命をつないでいたんだ 何と「濃い」人たち! ひとり一人が小説の主人公のようです もちろん著者もすごい! 私の母はこの頃、この近くに住んでいたんですよねえ ≪ ひっそりと 自由を我らに 叫びつつ ≫
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不思議な軽みに満ちた小説。俳句雑誌に連載されたそうだが、軽みといえば漱石の「猫」も俳句雑誌ホトトギスに連載されたものだった。短詩の極地たる俳句の雑誌に散文を書くとこんなふうになってしまうのかもしれない。 いわく軽み。いわく写生。 昭和十八年の戦時下神戸で、著者が「小谷氏」に引き合...
不思議な軽みに満ちた小説。俳句雑誌に連載されたそうだが、軽みといえば漱石の「猫」も俳句雑誌ホトトギスに連載されたものだった。短詩の極地たる俳句の雑誌に散文を書くとこんなふうになってしまうのかもしれない。 いわく軽み。いわく写生。 昭和十八年の戦時下神戸で、著者が「小谷氏」に引き合わされて一緒に釣りなどしているエピソードが個人的には興味深い。井上靖の「闘牛」のモデルといわれた辣腕のイベント仕掛け人である。数年前サトウサンペイさんから聞いたことがあるが、大丸宣伝部にいた彼を引き抜いて新聞に漫画を連載させたのが小谷氏だったそうだ。神戸という土地の不思議さを思う。
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あの時代、みんながみんな「お国のため」モードじゃなかったのだということがわかってよかった。 どれだけ上手く騙したり煽ったりしても、全員を暗示にかけることは、絶対にできない。
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この人の文体は、下手くそな浅田次郎と洗練されていない森見登美彦を併せたような印象なのです。でもたまらなく惹かれる。 歯科医で俳人の著者。戦時下に東京から神戸にやってきて、移り住んだのは多国籍の長期滞在者がいる世にも怪しげなホテル。 インテリなのにプライドをまったく感じません。...
この人の文体は、下手くそな浅田次郎と洗練されていない森見登美彦を併せたような印象なのです。でもたまらなく惹かれる。 歯科医で俳人の著者。戦時下に東京から神戸にやってきて、移り住んだのは多国籍の長期滞在者がいる世にも怪しげなホテル。 インテリなのにプライドをまったく感じません。しかもお人好し。ホテルを出て購入した家に人がなだれ込んでもそのまんま。便所が詰まれば糞まみれになって掃除する。 いずれの話も飄々としていて、かつ無理に人を笑わせようとしていないから、余計に可笑しい。しかも切ない。 彼が当時を共に過ごした人たちはみんなどうしているのか。あらためて、戦争はしちゃいけないと思う。
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『神戸・続神戸』は、新興俳句運動の中心人物のひとりであった俳人・西東三鬼が物した随筆である。太平洋戦争末期、三鬼が下宿していた神戸のホテルにおいて、住人たちが繰り広げていた狂騒的な日常を描いたものだ。 三鬼自身も戦時下で反戦的な俳句を詠んだとして検挙された経験もある人物だが、『...
『神戸・続神戸』は、新興俳句運動の中心人物のひとりであった俳人・西東三鬼が物した随筆である。太平洋戦争末期、三鬼が下宿していた神戸のホテルにおいて、住人たちが繰り広げていた狂騒的な日常を描いたものだ。 三鬼自身も戦時下で反戦的な俳句を詠んだとして検挙された経験もある人物だが、『神戸・続神戸』に出てくる人物たちは、それに輪をかけた曲者ぞろいである。どこからともなく貴重な食肉を仕入れてくるエジプト人や、体ひとつで渡世している娼婦たち。ロシアの老婆は日本娘をドイツ兵に売りさばき、台湾の青年はバナナの密輸入に精を出す。男たちは闇物資を、女たちは体を売り、特攻や結核や空襲でゴロゴロと死んでゆく。 このカオスのようなホテルはほどなく空襲で全焼し、前後して住人も死んだり消息不明になってしまう。このような社会の底辺の、いわば非国民たちの存在が公式に記録されるはずもないから、彼らが生きていた証は三鬼が書いたこの本の中にしかない。だが、三鬼が語る彼らの「生」の、なんとリアルなことだろう。なまなかな小説などには出せない凄みが、この随筆にはある。歴史には決して残ることのない、名もなき庶民たちの生の記録がここにある。 彼らの境遇の悲惨さは、ほとんど戦場ルポルタージュの様相を呈しているが、一方で奇妙な明るさにも満ちているから不思議だ。日本全土が軍事色に染まってゆく中、自らが異端者であるという事実は、彼らを萎縮させるどころか、矜持の源泉でさえあったようである。三鬼を含め、彼らはみな生まれついてのアウトサイダーであった。日章旗でも旭日旗でもなく、ただ独立不覊だけが、彼らの掲げる旗であった。
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