「国語」から旅立って の商品レビュー
これは「外国人児童生徒教育」に思いはあるけど何もできてないような気がして悩んでいる若い先生に読んでほしい! 温さんが小学校時代に出会う先生、教育実習生、の姿に、ちょっと励まされると思います
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まさに日本語、日本人という固定された環境で育った人間にとっては新鮮な内容だった。ここ最近の多様化社会においてもはや日本自体が日本人だけのものではないていう認識を持たねばならないなと。 中国や韓国の文化をもっと知りたいとも思った。
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※このレビューにはネタバレを含みます
もっと言語学的な見地からのお話と思っていたが、著者温又柔の幼少のころからの言語体験を綴ったエッセイだった。 台湾人の両親を持ちながら日本に育った著者。 年齢を経るごとに、親の日本語が不自由なことに気付いたり、台湾と中国の関係を学ぶにつれ、自分の立脚点の不安定さに気付いていく様子が丁寧に綴られる。 「台湾から日本。日本と中国。中国にとっての台湾・・・ 日本育ちの台湾人にとして中国にいるという自分を自覚すればするほど、三つの国々の間での自分の位置がわからなくなってきてしまう・・・」 漢字という共通の表記を用いるからこそ生じる混乱も、日台あるいは日中間特有の問題か。便利なようで複雑だ。 「「又柔」という漢字をはさんだこちら側には、”ユウジュウ”と呼ばれる自分がいて、あちら側には、”Yourou"として生きている彼女がいる。」 平野啓一郎ではないが、「分人」の発想を素直に取り入れて、割り切れる器用さがあればよかったのか? それでも容易に解決される問題でもないのだろう。最終的には、言葉を操る、作家という職業に就くことになる著者ゆえの、言語を軸にした様々な葛藤、見極め、苦悩、割り切りが、成長の過程に沿って語られていく。やがて、 「いろんな人がいるからいろいろな声があるのではなく、一人一人の中にいろいろな声があるのである。だから、祖国という幻想にしがみついても仕方がない。」 という所属に関しての呪縛は、「個」にとっては問題ではないという境地に達し、あとは己でどの言語を「母語」として普段使いしマスターしていくかということになる。それでも、 「わたしには、母語と母国語というふたつの言語の間でどちらの杖も掴み損ねて、一人うずくまっているかのような由ヒの姿が目に浮かび、他人事とは思えませんでした。」 と煩悶は続く。 読んでいて、母語だの母国語といった言葉の問題ではなく、己のIdentityを人は、如何にして獲得していくかの過程の物語なんだなと思った。やがて著者は、 「こんな名前だけれど、わたしは、中国語がへたな、日本語しかできない台湾人なんですよ」 と、「少しおどけながら」受け答えができるようになる。そして、言葉はあくまで道具、何語を語るかは己のIdentityではないと悟っていく(無関係ではないのだけどね)。 「あなたを育みつつあることばが、あなたのことを支えはしても、あたなを貶めるようなことが決してありませんように。ことばに縛られるのではなく、ことばによってあなたを解き放つことができますように。」
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誤字が多くてびっくりした。 この本の内容からして、誤字があるのはよくないのでは?と思わせる作戦なのかと思うくらい。 少しがっかり。 本の内容は期待通り想像通りかな。 著者は繊細で敏感でそのため脆く危うい気がして、私は彼女の文章を読むとどきどきしてしまうのです。
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台湾人の両親とともに幼少期に日本に移り住んで、日本語で育った著者の半生をたどりながら、日本語を覚え始めたときのよろこび、中国語をとりもどそうと決意したきっかけ、外国語として中国語を学ぶ複雑な気持ち、そして大学院生になって自身と近い境遇にあって日本語で書く作家に出会い自分も作家にな...
台湾人の両親とともに幼少期に日本に移り住んで、日本語で育った著者の半生をたどりながら、日本語を覚え始めたときのよろこび、中国語をとりもどそうと決意したきっかけ、外国語として中国語を学ぶ複雑な気持ち、そして大学院生になって自身と近い境遇にあって日本語で書く作家に出会い自分も作家になると決意をするまで、ふたつの「母国」の間でどちらに対しても自分の国と言い切れない苦悩と葛藤、体験した悲喜こもごもの気持ちをていねいに描写して、読む者にも追体験させてくれる。そして、専門的な言葉はまったく使わずに、「国語」「母語」「母国語」とはなにか、「バイリンガル」に育たなければ失敗か、など、いわゆる普通の日本人であっても国際化がすすむこれからの世界では通らずにはいられない問題についても考えさせてくれる。 日本育ちの外国人、外国ルーツを持つ日本人による発信もだいぶふえてきているけれど、日本で育つなかでの違和感や疎外感のようなことは大きいところでは共通していても、男女や環境、持ち前の性格による違いはもちろん、たとえば見ためからはっきりちがうアフリカ系の星野ルネと名前を言わなきゃ気づかれないアジア系の温又柔ではまったく違う。いろいろな人による発信に接してさまざまなケース情報を知ることが真の異文化理解、多文化共生への道だな、と改めて思った。 中3次女が机の上においてあったのをぱらぱらっと拾い読みして、ちょっとおもしろい、という感想なので、ぜひ全体を読んでみてもらいたいし、こういうことに興味を持ってくれるのは頼もしくてうれしい。
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