公開性の根源 の商品レビュー
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國分功一郎氏の推薦をきっかけに読んだ。 国民主権の前提においては、その主権者に対する公開性は当然の条件であると考えていた。しかし、「国家活動の始まりが行政であること」「統治行為の効果として主権が生産された」[13頁]という一見倒錯した指摘を踏まえると、民主主義も公開性も、主権という概念でさえ、統治のための戦術的な道具に過ぎないのではないかと考えを改めることになった。 直近に読んだ三田村泰助『宦官』(中央公論新社, 1963)に本書と似た指摘があり驚いた。すなわち、神的な身体を持つ皇帝に近づくことができるのは、宦官という去勢され自然的な身体を持たない存在でしかあり得なかった。宮廷という政治の裏舞台で重要な事項の決定が行われ、秘密・公開を思うがままに操ることが当地の前提にあったということは、ヨーロッパ・中国に共通したことだと考えた。 目的から解放され、無用となった法と遊ぶ[522頁]、という結論に近い部分については私にはかみ砕けない箇所がいくつかあったため、國分功一郎『目的への抵抗』(新潮社, 2023)を再読し、検討しなおしたい。
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