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右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない。 の商品レビュー

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2020/05/30

大正・昭和期の文壇・ジャーナリズムを支えた人たちのエピソードに触れ、言論の在り方について考え直させられる。 現代ではインターネットやメディアの発達・変容によって何事においてもインスタントな即効性が重視されるがあまり、無数の断片的かつ表層的な情報が行き交い、人々の判断力が鈍化してい...

大正・昭和期の文壇・ジャーナリズムを支えた人たちのエピソードに触れ、言論の在り方について考え直させられる。 現代ではインターネットやメディアの発達・変容によって何事においてもインスタントな即効性が重視されるがあまり、無数の断片的かつ表層的な情報が行き交い、人々の判断力が鈍化している。 言論と呼べるほどの事ではなくても、真実や意見を伝えるための文脈をしっかりと持った伝え方(文章・メディア)を今一度見直すべき。

Posted byブクログ

2018/05/14

「一九五八年生まれの僕は新人類じゃなかった。昭和三十年生まれから昭和三十四年生まれの世代は、シラケ世代と言われていた世代です。この世代は、ある意味では最後の旧人類だったとも言える。」最後の旧人類が今、書き残しておきたい論壇を巡る備忘録。と、言っても菊池寛、滝田樗陰などなど明治まで...

「一九五八年生まれの僕は新人類じゃなかった。昭和三十年生まれから昭和三十四年生まれの世代は、シラケ世代と言われていた世代です。この世代は、ある意味では最後の旧人類だったとも言える。」最後の旧人類が今、書き残しておきたい論壇を巡る備忘録。と、言っても菊池寛、滝田樗陰などなど明治まで遡るので著者が見つめてきた、逝し世の論客、編集者の面影です。橋川文三(全く知らなかった…)についての「後ろを見つめたまま前に進む」というフレーズは、本書にもぴったりです。著者と同世代の自分にも五十年前に「明治百年」という言葉があった記憶がありますが今年は「維新百五十年」、なぜ「明治百五十年」と言わないのだろう?と疑問に思っていましたが、平成が終わろうとし、明治生まれもほとんど居なくなったこの時代は明治という時代のリアリティが無くなったからだ、と説明してくれた人がいましたが、本当に本書の登場人物も幻のような人々で、こうやって残しておかないと消えてしまう人々なのかも、しれません。それに抗うように作られた本であり、その著者の思いは「右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない。」という書名に現れています。明治と終戦を歴史にキチンと位置付けれないまま、新しい元号に変わり、今度は「昭和は遠くなりにけり」が始まります。

Posted byブクログ