アウシュヴィッツのコーヒー の商品レビュー
ユダヤ人はカフェへの立ち入りを禁じられたが、ドイツ人はカフェへの出入りも家でコーヒーを飲むのも自由だった。土井逸の郡たいは食糧不足とコーヒー不足を第一次大戦で経験して痛い目にあっていた。ナチスはその轍を踏まないように占領した地区で必ず食糧を押収した。コーヒーも配給制度が敷かれた。...
ユダヤ人はカフェへの立ち入りを禁じられたが、ドイツ人はカフェへの出入りも家でコーヒーを飲むのも自由だった。土井逸の郡たいは食糧不足とコーヒー不足を第一次大戦で経験して痛い目にあっていた。ナチスはその轍を踏まないように占領した地区で必ず食糧を押収した。コーヒーも配給制度が敷かれた。しかし1940年、ベルリン市当局が押収したコーヒー豆を市民に売り出した。販売は予約登録制だった。ここにおよそ500人のユダヤ人が登録していた。ダビデの星をつけて公道を歩くユダヤ人だからといって、ユダヤ人にコーヒーをホむことを禁じた法律はない。あとになって事が判明し、ベルリン市はユダヤ人へのコーヒー配給を拒否し、逆に公共秩序を乱したかどで罰金を払わせようとした。あるユダヤ人がこれを不服として法廷に持ち込むが、ベルリン市はユダヤ人にはコーヒーを要求する権利がないと主張する。法廷はこれを否定し、誤った法の解釈に基づくん罰金は違法であるとの判決を出した。
Posted by
著者の世界史観が綴られた労作。コーヒーは常に前面に出てくるわけではなく、欧州と中東地域の関係、欧州諸国、特に英独の対外拡張行動ー奴隷制とプランテーション、南米への入植に注目が注がれているー、交易、対立、その所々にコーヒーがアクセントとして上手く絡められている。書籍名からいきなり第...
著者の世界史観が綴られた労作。コーヒーは常に前面に出てくるわけではなく、欧州と中東地域の関係、欧州諸国、特に英独の対外拡張行動ー奴隷制とプランテーション、南米への入植に注目が注がれているー、交易、対立、その所々にコーヒーがアクセントとして上手く絡められている。書籍名からいきなり第二次大戦とナチスが書かれているかと思いきや、古のアラブの話や旧約聖書やヘブライ語などが言及され、そうした事柄や地域が攻勢に出てくる、上手く構成がなされているうまく攻勢がされている。少し違う角度から世界史を眺めた労作と言える。最初は一般読者向けにはこなれていない文章だと思ったが読み進めるうちに慣れていった。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「アウシュヴィッツとは何か」という問題は、「アウシュヴィッツ以後」の現代にとっての難題中の難題で、うかつに近づける問題ではない。ましてや、コーヒーを飲むとか飲まないとかいう気楽な設定の中で触れるべき問題ではないことは重々承知している。わたし自身は、常日頃どちらかと言えば、「コーヒーさえ飲めれば、世界がどうなろうと構わぬ」と思っている人間である。(中略)わたしが本書で見たいのは、個々人が好き勝手にコーヒーを飲むことを許さない総力戦という、極めてドイツ的な、しかしドイツに限定されない社会体制の進捗である。 戦争が総力戦の段階に入った歴史的時点で、戦時と平時が明快な区別戦をもたなくなった。コーヒーを飲みたいという個人的な欲求が国民的欲求となり、それが国民的欲動となって植民地獲得の動きと化し、ついには世界総力戦に入り込む。そうなれば、一杯のコーヒーでさえ飲めれば世界などどうなっても構わぬと考えていた人間が、どのような世界に入り込んで苦しむことになるのかの典型例をドイツ史が示していると思われるのである。(pp.5-6) ドイツのコーヒーは途絶えた。深刻な事態が迫っている筈であった。ドイツは「コーヒー中毒」の国である。しかもカフェに集う人びとも「世界を観ないことを本質とする世界観の持ち主」(アルフレート・ポルガー)たちで、国家が総力戦をやっていても熱のこもった反応を示さないくせに、コーヒーが飲めないとなると不満を漏らす人間の数ばかり多い。この種の人びとからコーヒーを切らすと何をしでかすかわかったものではない。(p.168)
Posted by
- 1