燃焼のための習作 の商品レビュー
戸外に雨音をききながら語らう空間、連想に導かれてあちらこちらにさまよう話の心地よさ。そんななかにふっと挿しこまれる轢かれた鳩の鮮烈さにはっとさせられたりする。
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「堀江敏幸」さんの作品を読んで、いつも感じるのは、デジタルというよりはアナログな感じであり、それは、2015年に発表された本書に於いても全く変わることはなく、おそらく、この先どれだけ便利な世の中になっていくとしても、変わらずに残り続けるであろう大切なものを、ずっと書かれているよ...
「堀江敏幸」さんの作品を読んで、いつも感じるのは、デジタルというよりはアナログな感じであり、それは、2015年に発表された本書に於いても全く変わることはなく、おそらく、この先どれだけ便利な世の中になっていくとしても、変わらずに残り続けるであろう大切なものを、ずっと書かれているように思われて、それは、どんな時でも人の心に温かいものを齎してくれる、人情の素晴らしさだと思う。 そんな人情味溢れる本書の舞台は、『都内にまだこんな土地が残っているとは思いもしなかった』 と、依頼人に感じさせた、運河沿いに建つ、縦長のマッチ箱のような雑居ビルの四階にあり、そこで便利屋に近い仕事をしている、探偵「枕木」と依頼人との間にあるのは、『昭和の味わいの茶色いローテーブル』、彼らが座っているのは、『黒い合成皮革のソファ』といった渋さで対面している彼らは、早速その依頼内容について話し合い、そこで思わぬ接点がお互いにあった偶然により、過去へと思いを馳せたり、依頼内容自体がどこか迷走気味となる中、外は雷雨で激しくなる。 そして、そんな天候の中、頼まれていた仕事を済ませて帰ってきた、枕木の助手の「鄕子(さとこ)」さんがクリーニング店で起こった出来事を、聞いてもいないのに話し出したのをきっかけに、「そういえば私も」と、前の話の端々に潜む言葉から連想されたエピソードを話し始めるといった、会話の無限ループと化していき、本来は、依頼人の依頼内容を聞くためだけの場だったのが、雷雨がおさまらない為に、そこに留まらざるを得ない事もあって、そうなったのだが、次第に依頼人もその空間に心地好さを感じてきて、自らも積極的に二人の会話に加わるのが、また不思議な温かみがあって面白いし、改めてこの三人の延々と会話をしている光景を見ていると、その関係性の不思議さもだんだん曖昧になってくる中、それがたった一日で、ここまでの親しみやすさになるという面白さも感じられる事で、そこには、それぞれの人間性もあるのではないかと思われた。 例えば、枕木の話し方には、鄕子さんが指摘するように、時折、哲学者みたいな言葉づかいになることがあって、最初はそれに少し煩わしさを感じていたのが、次第に会話を重ねるごとに、そうした話し方にも慣れてきて、そんな煩わしさの中にも感じさせる、その人らしさというか、人間の愛おしさのようなものを感じさせられ、それは鄕子さんが、本編で彼の禿頭の右端に、ふと何か特別なものを感じられた瞬間に見られるように、人が会話をしている、その姿だけで、何かその人自身を表すものがあるといった点に、私はとても興味を持った。 おそらく、それは、その人自身がこれまでの人生で見たり聞いたり体験したりしてきた、記憶の中にある人たちの人生観や、その瞬間瞬間での生の輝きを表しているようにも思われたし、それを忘れずに記憶の片隅にずっと残していた、その人自身の素晴らしさでもあるのだと思う。 タイトルの『燃焼のための習作』は、本編でも登場するが、私の思ったもう一つのそれは、上記したような『その人の生きてきた証』ではないかと思い、「習作」というのは、練習のために作品を作ることで、音楽でいえば「エチュード」にあたる、それらというのは、人生に於いて、いろんな人と触れ合うことで新たな自分を見出していくことであり、それらを積み重ねていくことで、いつか自分が大きな変化を遂げていたような感覚を得る、そこには、それまでに関わってきた一人一人の生き方を記憶に残している、その人自身の心の財産でもあり、それを他の人のそれから連想させられて繋げていくといった、一連の会話の流れには、それらがまたしっかりと繋がりを得ることで、人と人とがどこまでも無限に関わっていくことの素晴らしさを私に見せてくれて、たとえ、そこにあるのが、どうしようもない悲しみだとしても、それを忘れずに心に抱き続ける、そこに人間の愛おしさがあるから、私は、そうしたことも話してくれる人の姿に惹かれるのであろう。
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激しい雷雨によって探偵事務所に閉じ込められた探偵と助手と依頼人の3人は、それぞれの語りから連歌をつらねるようにとりとめなく話し続ける。 再読。 堀江さんは〈日本のニコルソン・ベイカー〉と呼ばれるべきじゃなかろうか。インスタントコーヒーとクリープと砂糖の〈三種混合〉にはじまり、...
激しい雷雨によって探偵事務所に閉じ込められた探偵と助手と依頼人の3人は、それぞれの語りから連歌をつらねるようにとりとめなく話し続ける。 再読。 堀江さんは〈日本のニコルソン・ベイカー〉と呼ばれるべきじゃなかろうか。インスタントコーヒーとクリープと砂糖の〈三種混合〉にはじまり、ここにでてくるエピソードはどれをとっても『中二階』に引けをとらない細部への執着心にあふれている。 人にはオチのない話をしたい気分というのがあって、それに「オチ、ないのかよ」とツッコミを入れてほしいときもあれば、こんなふうにオチのない話を数珠つなぎにして永久に話の終わりを留保してくれるような空間が嬉しいときもある。そんな話に耳をそばだてて盗み聞きしたい気分のときもあり、そんな人のためにこの小説はある。この辺の呼吸も『もしもし』のようなベイカー作品を思い出すのだ。
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2019.01.12 読了 あれ、これで終わっちゃったのか…。読み終えたときに感じたことはそれだった。最後にもう少し纏まった落ちがあるのかと思って、勝手ながら期待を膨らませ読み進めていたので、何もないのか…という印象で終わった。ただ、大きな感動やどんでん返しはなかったものの、読ん...
2019.01.12 読了 あれ、これで終わっちゃったのか…。読み終えたときに感じたことはそれだった。最後にもう少し纏まった落ちがあるのかと思って、勝手ながら期待を膨らませ読み進めていたので、何もないのか…という印象で終わった。ただ、大きな感動やどんでん返しはなかったものの、読んでいて妙な居心地の良さを感じる不思議な作品である。 この作家の作品は初めてで、他の作品のことは何も知らないが、登場人物の会話も全て描写かのように通常の文章書きで書かれ、「」書きが一切ないという独特な文章構成に最初は抵抗があったが、次第に慣れてくると、自然な会話の流れが妙に心地よく感じた。 時間を跨いで小刻みに読んだこともあり、最初の方の話を忘れてしまったので、、改めて再度味わいながら読み直したいと思う。
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言葉はどこまでも続く。 それが堀江文学の魅力だが、今作では私には退屈な世間話に聞こえてしまった。 また違う機会に読み直せば、楽しめるかもしれない。
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3人の登場人物たちはひたすらに語り合い、食べ物や飲み物を口にし、煙草を吸ってはまた語り合う。会話の中で水を差すように発せられた言葉が、聞き手の記憶に波紋を投げかけ、その波紋がまた別の会話の渦を呼び込む。 それゆえに3人の会話は滑らかな軌道を描かず、現在と過去とが、その場でのや...
3人の登場人物たちはひたすらに語り合い、食べ物や飲み物を口にし、煙草を吸ってはまた語り合う。会話の中で水を差すように発せられた言葉が、聞き手の記憶に波紋を投げかけ、その波紋がまた別の会話の渦を呼び込む。 それゆえに3人の会話は滑らかな軌道を描かず、現在と過去とが、その場でのやりとりと電話口のやりとりとが「混線」する。けれどもそれはあくまで「脱線」ではなく、本書の卓抜な比喩を使えば「スイッチバック」ーー「急勾配を一気にのぼるんじゃなくて、右から左、左から右と、小刻みに動いていく」ことーーである。この二つの比喩の、些細だが決定的な差異を緩やかに確かめるような本書の筆致がとても好ましく感じた。 そう思ってあらためてテクストに目を落とすと、数ページごとにそっけなく置かれている「*」のマークは、スイッチバックを転轍するときのわずかな「あそび」のように見えてくるのだ。
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「殺してやるとか、死んでやるとか、いままでありがとうとか、あとから分類しやすい台詞じゃなくて、相手のことをよく知ってなければ言えないことが胸に突き刺さるんだ、きっと。」
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かぎかっこが一つもない文体で、物語と物語が、付かず離れず、行きつ戻りつする感じが、川の流れのよう。雨、海、湿気、珈琲、緑茶、汗。水の気配に満ちたお話。
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そういえば、あんなことがあって、そういえば、こんなこともあった・・・。めくるめく挿話の連鎖による物語。 下手をすると飽きられてしまう手法ですが、あの名作『なずな』の作者にかかっては心配無用。気づけば、読み終わるのを惜しんでいました。
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何とも不思議な小説。現実の世界よりも作中の時間がゆったりと流れている気がする。 どちらかというとエッセイを主に読んでいたのだが、小説も面白かった。
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