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百歳までの読書術 の商品レビュー

3.6

20件のお客様レビュー

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2022/04/10

津野海太郎の本を読むのは、先日の「最後の読書」に続いて本書が2冊目。「最後の読書」が2018年発行、本書が2015年の発行なので、私の読書の順番は、発行とは逆になっている。 私が読んだ津野海太郎の本は、この2冊だけで彼が若い頃に書いたものは読んでいないので、私にとって津野は「スー...

津野海太郎の本を読むのは、先日の「最後の読書」に続いて本書が2冊目。「最後の読書」が2018年発行、本書が2015年の発行なので、私の読書の順番は、発行とは逆になっている。 私が読んだ津野海太郎の本は、この2冊だけで彼が若い頃に書いたものは読んでいないので、私にとって津野は「スーパー老人」である。津野は1938年生まれなので、2018年に「最後の読書」を出した時には80歳、そしてその作品で、読売文学賞を得ている。そしてまだ読んではいないが、今年になってから、ということは、84歳で「かれが最後に書いた本」という読書案内・ブックガイドを発行している。1938年ということは、私よりも二回り以上年上になる。もちろん、持って生まれた才能の違いが大きいのであるが、それにしても、私が20年後に、このブグログに書いているような感想文程度のものですら書けるかどうかは、相当に怪しいと思う。 本書の中で、津野は「若い諸君にはゼッタイにできない」読書として、むかし読んだ本を読みなおすこと、をあげている。なるほど、と思った。 私にも何冊か読み返す本がある。例えば、沢木耕太郎の「深夜特急」だ。「深夜特急の」第1・2便の発行は1986年、第3便の発行は1992年である。私は、第3便が発行された直後に3冊まとめて読んだので、初めて読んでから30年が経過することになる。初めて読んだ時には興奮した。私もぜひ、沢木耕太郎のような旅をしてみたいと思った。実際には妻子持ちのサラリーマンであったために、そういうことは無理だったが、でも、その後の、留学・海外関連の仕事・外国での勤務、といったキャリアを後押ししてくれたという実感がある。以降、何度か読んだ。タイに勤務していた際に、今はないバンコクの伊勢丹の中に入っていた紀伊国屋で「深夜特急」の文庫本を見つけ購入し、あらためて読んでみた。あらためて読んでみて、やっぱりすごく面白い本だな、と思ったけれども、「遠くに1人で行くことだけが旅ではない」と感じたことを覚えている。それは、当時、タイの会社との合弁会社でタイ人がほとんどという環境の中で責任者となり、バンコクで1人暮らしをしていた私が、日々カルチャーギャップを感じていたことから来る実感であった。私は、タイに「定住」していたけれども、日本での暮らしとは全く違う「遠い場所」に来たなぁ、これも一種の旅だよなぁ、と感じていたということだ。 おそらく、今読んだらまた違う感想を持つはずだ。「30年越しの読書」は、確かに若い人にはまだ出来ない読書だろう。

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2022/01/12

老いと向き合う読書方法?かな? 人生第二部をどうするか色々もがいてるわいには色々響いた。 また単純に読み物としても面白い。歳を重ねた人の文章はこころに響く。

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2020/11/13

老人と読書の関わりについて書かれたエッセイ集。 物忘れ等が進む老いの中で、蔵書の処分、図書館の使い方、速読と遅読など参考になることが多い。 印象に残った文章 ⒈ 読書の基本は通読である ⒉ どうせ、あちらへは手ぶらで行く ⒊ あいつもかなり老人力がついてきたな

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2019/08/30

老後はじっくり本が読めると思ったら、大間違いだった。 歩きながら本を読む「路上読書」の実践者が、70代を迎えてからの「幻想抜きの老人読書の現実」を、ざっくばらんにユーモアを交えて綴るエッセイ集。(アマゾン紹介文)

Posted byブクログ

2019/07/15

1938年生、浦和在住、津野海太郎氏「百歳までの読書術」、2015.7発行。私にとって奥行きのある本でした。一番印象に残った言葉は「せっかく生きてるんだから、ときどき会って話そう」でしたw。①本に埋もれて生きる(死ぬ)か、本棚1~2でいくか(死ぬまで捨てない本が何冊あるか)②読書...

1938年生、浦和在住、津野海太郎氏「百歳までの読書術」、2015.7発行。私にとって奥行きのある本でした。一番印象に残った言葉は「せっかく生きてるんだから、ときどき会って話そう」でしたw。①本に埋もれて生きる(死ぬ)か、本棚1~2でいくか(死ぬまで捨てない本が何冊あるか)②読書スタイル: 著者は路上読書。私は、卓上読書(書斎)、電車(車)内、喫茶店・休憩所・公園のベンチ、図書館 ③月光読書(蛍の光、雪明かり、・・・)④遅読か速読か。

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2019/01/02

元雑誌編集長で評論家の著者が、老人の読書について書いたエッセイ。歳を取ると経済的、体力的な衰え、読書のステイるも変わっていくものである。著者は、歩きながら読むという長年の習慣があったが(今で言う歩きスマホ)、机で読む方法に変えたら文章がよく読めるようになったと言う。(当たり前のよ...

元雑誌編集長で評論家の著者が、老人の読書について書いたエッセイ。歳を取ると経済的、体力的な衰え、読書のステイるも変わっていくものである。著者は、歩きながら読むという長年の習慣があったが(今で言う歩きスマホ)、机で読む方法に変えたら文章がよく読めるようになったと言う。(当たり前のような気もするが) 読書スタイルを変えることで、新たな発見もあったらしい。蔵書の削減方法も自己流で取り組んだ話とか、本好きには興味深い話が紹介されていて、なかなか面白かった。 自分も老後の楽しみのために、本を貯め込んでいるが、老後は著者と同じような悩みに直面するのかもしれない。将来の読書の在り方を考える上で参考になった。

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2017/11/23

老人演技 笠智衆 東京物語 1953 49 歳 三船敏郎 生きものの記録 1955 35歳 三國連太郎 異母兄弟 1957 34歳 ゴンブリッチ 若い読者のための世界史

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2017/09/29

退職したら読書三昧。 それを心の支えに、日々仕事を頑張っていると言っても過言ではない。 なのに。 “読書にそくしていうなら、五十代の終わりから六十代にかけて、読書好きの人間のおおくは、齢をとったらじぶんの性にあった本だけ読んでのんびり暮らそうと、心のどこかで漠然とそう考えている...

退職したら読書三昧。 それを心の支えに、日々仕事を頑張っていると言っても過言ではない。 なのに。 “読書にそくしていうなら、五十代の終わりから六十代にかけて、読書好きの人間のおおくは、齢をとったらじぶんの性にあった本だけ読んでのんびり暮らそうと、心のどこかで漠然とそう考えている。現に、かつての私がそうだった。  しかし六十五歳をすぎる頃になるとそんな幻想はうすれ、たちまち七十歳。そのあたりから体力・気力・記憶力がすさまじい速度でおとろえはじめ、本物の、それこそハンパじゃない老年が向こうからバンバン押しよせてくる。” そうなんだ。 残された家族が本の処分に困らないように、今のうちに売ったりあげたり捨てたりしようとするが、体力気力が持たず途中断念。 それ故図書館を利用することによって、購入〈所有〉を減らすことに作戦変更。 幸田露伴の勉強法 “ひとつのところばかりに専念するのでなく、八方にひろがって、ぐっと押し出す。(中略)こういうふうに手が八方にひろがって出て、それがあるときふっと引き合って結ぶと、その間の空間が埋まるので、それが知識というものだという。” 確かにここ数年、ふっと空間が埋まったと感じることがある。 ああ、ずっと読書が好きでよかったなあ。 覚えられない。 すぐ忘れる。 目がかすむ。 体力がなくなる。 集中力が続かない。 齢をとるって想像以上にいろいろ大変で、読書どころではないらしい。 知の巨人と言われた人たちにしてそうなのだから、私ごときはどれほどぼろぼろになるのだろう。 “おとろえるのはつらいし、わびしい。ところが、その「つらい・わびしい」の一方で、思いがけず、高速度で老いおとろえてゆくじぶんへの抑えがたい好奇心が生じている。そしてそのこと自体におどろく―。  いうまでもなく、老いというのは老人自身にとっても初めて体験するできごとなのだから、つよい好奇心をいだかずにいることのほうがふしぎ。” 齢をとっても好奇心を持っていられたらいい。 すぐ忘れても、すぐ疲れても、読書を楽しめるのならそれでいい。 本を膝に置き、ひなたぼっこしたままあの世に行けたら、と思っているのだけれど。

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2016/08/23

「老い」というものが結構身近に迫ってきているなあと思うことが時々ある。もともと心配性なもので、あんな風になったらいやだなあとか、こうなったらどうしようとか、考え出すと不安のタネは尽きず、夜眠れないときなんかネガティヴ妄想のスパイラルに落ち込んだりする。「病気になる」とか「ひとりに...

「老い」というものが結構身近に迫ってきているなあと思うことが時々ある。もともと心配性なもので、あんな風になったらいやだなあとか、こうなったらどうしようとか、考え出すと不安のタネは尽きず、夜眠れないときなんかネガティヴ妄想のスパイラルに落ち込んだりする。「病気になる」とか「ひとりになる」とかという状況は、わりにリアルに思い描いたりするが(「心の準備」をしているのかも)、これは直視できないなあと思うのが「本が読めなくなること」。そうなったら一体自分はどうなるのだろう。でも、その日は必ず来るわけだ。ゆっくりとか急にかはわからないけれど。 七十歳をこえて自らの老化をはっきりと自覚した著者が、読書にまつわることを中心に思いを綴った本書。「本の雑誌」での連載を楽しみにしていたが、こうやってまとめて読むと、ちょっとしんみりしてしまった。著者は「最終段階に足を踏み入れ、このさき、じぶんの読書がどのように終わってゆくのか、そのおおよそがありありと見えてきた。となれば、こここそが私の読書史の最前線である」と書いている。はたして自分はこんな風に「終わり」を受け入れていけるだろうかと思うと、なんとも心許ない。

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2016/06/16

「読書術」の名とは裏腹に、 書かれてあるのは本との付き合い方に関するエッセイ。 タイトルにつられて買うとがっかりするので注意。 軽いタッチで、面白いと言えば面白いが、 わざわざお金を出してまで購入する本でもない。 図書館の蔵書を借りて読んだ。 気が向いたらまた借りて読む。 もと...

「読書術」の名とは裏腹に、 書かれてあるのは本との付き合い方に関するエッセイ。 タイトルにつられて買うとがっかりするので注意。 軽いタッチで、面白いと言えば面白いが、 わざわざお金を出してまで購入する本でもない。 図書館の蔵書を借りて読んだ。 気が向いたらまた借りて読む。 もともと筆者も、この本はこういう運命になることを想定しているだろう。 現に本書の一部に、図書館の有効活用について、 かなり紙面を割いている。

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