元米陸軍情報将校が解明した真相 原爆と秘密結社 の商品レビュー
今年も原爆記念日がやってきました、あれから70年経過しました。 広島と長崎には違う種類の原子爆弾が投下されて、米国が自前で開発したプルトニウム型爆弾の効果を確認するために、長崎を投下したということは知っていましたが、長崎を選んだ理由については知りませんでした。 それも海軍工廠...
今年も原爆記念日がやってきました、あれから70年経過しました。 広島と長崎には違う種類の原子爆弾が投下されて、米国が自前で開発したプルトニウム型爆弾の効果を確認するために、長崎を投下したということは知っていましたが、長崎を選んだ理由については知りませんでした。 それも海軍工廠のある佐世保ではなく、長崎の浦上天主堂である理由についてこの本は解説しています。この本を書いた人が、元米陸軍情報将校だったという点が私にはとても印象的でした。 彼の立場が悪くなるというリスクを冒してまでこの本で伝えようとしたことを、しっかりと把握しておきたいと思いました。 以下は気になったポイントです。 ・長崎港湾には三菱重工の巨大な造船所があり、戦争末期には巨大クレーンの下で、米軍上陸に対抗すべく「人間魚雷」などの特殊兵器が製造されていた。しかしこれが狙われず、無傷のまま残された(p8) ・1850年になった米国13代大統領(ミラード・フィルモア)は、反フリーメイソンである。(p59) ・フリーメイソン員は、ルシファーが天から追放されて地上にやってきた時からフリーメイソンが始まったと信じて、紀元前またはAD暦年に4000年を加える(p72) ・何世紀にもわたって、フリーメイソンに対して真っ向から敵対していたのは、ローマ・カトリック教会であった(p88) ・五大偽装組織、フリーメイソン、スカル・アンド・ボーンズ、外交問題評議会、ビルダーバーグ・グループ、三極委員会であるが、このうち後者3つは指導者になっている(p95) ・1913年にスターリンは、ウィーンでフリーメイソン員や、死の血盟団らと会談したが、その近所に住んでいたのは、ヒトラーやユーゴの指導者:チトー、ロシアの革命家、トロツキーであった(p100) ・ロシアのボルシェビキ革命は、ロスチャイルド、ロックフェラー、シフ、ウォーバーグ、モルガン、ハリマン、ミルナー等の、国際金融資本が資金提供していた(p101) ・血の血盟団が1871年に立案した計画では、三度の世界大戦を経た後、世界は10大経済地域に編成するとした、地域1:アメリカ、カナダ、メキシコ、地域2:欧州連合、地域3:日本、地域4:南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド、地域9:インド含む南・東南アジア、地域10:中国(モンゴル含む)(p114) ・日本の原爆開発計画は、死の血盟団の工作員が総力をあげて証拠隠滅に動いたので、一般に知らされていない(p145) ・1945年11月24日、米国の占領管理当局は、日本におけるすべてのサイクロトロンを接収して、破壊した後に、東京湾に投棄された(p148) ・日本の原爆開発計画の公式な開始時期は、1941年12月17日とされる。着想は、さらに7年早い1934年。(p149) ・日本の原爆開発計画(A計画)は、二号計画と、F号計画の二つがあった。二号計画は、理化学研究所、F号計画は、京都帝国大学が担当した(p150) ・長崎の街が1945年には、日本のキリスト教の中心地であったという事実は世界の人々に知られていない。1580年頃には長崎は「小ローマ」として知られていた、当時世界最大のキリスト教宗教書の出版地であった(p175、176) ・死の血盟団が、三菱の創設に果たした役割を知れば、三菱造船所を外したのはわかる。フリーメイソンは、キリスト教弾圧にくみする大名に兵器を売りつけてもいた(p179) ・長崎の原爆投下は、軍事施設の破壊を狙うのではなく、日本におけるキリスト教の拠点を打壊すことを狙っていた(p196) ・日本の敗戦直後の1945年9月17日に広島を襲った異常な台風(枕崎台風)があったが、これは人為的に気象を操作した行われた最初の実験だろう(p222) ・真の標的である長崎を世の注目からぼかすことが、死の血盟団の狙いであったので、最初は広島に投下した(p224) ・原爆の秘密を隠ぺいするために占領軍に協力した日本人たちは、自分たちが犯した戦争犯罪、戦時中に築いた莫大な富をそのまま保持することを許された(p227) ・ソ連は、朝鮮北部で原爆開発に従事していた日本の科学者、技術者をその施設とともに接収した。これによりソ連の原爆開発は促進された(p248) 2015年8月30日作成
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