ウェーバーとマルクス の商品レビュー
カール・レーヴィットによる、ウェーバーとマルクスの研究の根本的動機を探る試み。ウェーバーがいう「合理化」とマルクスのいう「自己疎外」が実は同一の事態を指していることを明らかにしている。
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マックス・ウェーバーの本は一冊も読んだことないけど、何となく彼のことはわかったような気がした。あくまでも妄想ですけどね。マルクスさんに関しては…あいまいです。なんせヘーゲルさんをまだちゃんと理解してないもんだから。でもまぁ辞書で調べるいい機会だったんで史的唯物論やら疎外やら、マル...
マックス・ウェーバーの本は一冊も読んだことないけど、何となく彼のことはわかったような気がした。あくまでも妄想ですけどね。マルクスさんに関しては…あいまいです。なんせヘーゲルさんをまだちゃんと理解してないもんだから。でもまぁ辞書で調べるいい機会だったんで史的唯物論やら疎外やら、マルクスの重要キーワードはちゃんとマークしました。それにしてもレーヴィットさんの着眼点はすごいなって。『ウェーバーとマルクスの探求の根本的な動機を比較分析することによって、経済と社会の基礎としての人間に関する両者の見解の共通性とその理念の相違とを明らかにする』。まぁ両者とも研究領域は同じ「資本主義」ですからね。また読まなければいけまへん。
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ヤスパースのヴェーバー論を引いて、「われわれのみたところマックス・ヴェーバーは、それこそ生きた実存哲学者だった」 と評価したことはまさに正鵠を得ている。「実存哲学者としてのヴェーバー」。これは多くの実証主義的な社会科学者に対して挑戦的な言葉であろうが、しかし事実であろう。「実存哲...
ヤスパースのヴェーバー論を引いて、「われわれのみたところマックス・ヴェーバーは、それこそ生きた実存哲学者だった」 と評価したことはまさに正鵠を得ている。「実存哲学者としてのヴェーバー」。これは多くの実証主義的な社会科学者に対して挑戦的な言葉であろうが、しかし事実であろう。「実存哲学者」として到達した自らの「生き方」として、彼は社会哲学者と成り、さらに社会科学者と成ったのである。ヴェーバーの宗教社会学研究もこの文脈で捉えなければならないのではないか。1917年のロシア革命以来、マルクス主義の波はヨーロッパにも押し寄せてきたが、戦後賠償問題をはじめとする「ヴェルサイユ条約」の重荷に喘いでいたドイツの中産市民層の中から、次第に共産主義者に対する「匕首(あいくち)伝説」が語られるようになった。匕首伝説とは、共産主義者の背後からの卑怯な匕首による一突きがドイツを不幸に陥れたと考える、一種のルサンチマンである。ここに目をつけたのがナチスの党首ヒトラーであったことは言うまでもない。ヴェーバーが晩年に提起した「人民投票によるマシーンを伴った指導者デモクラシー」(『職業としての政治』)が、このナチス台頭に親和的であることは、しばしば語られるところである。出版された1932年、ナチスの足音は徐々に近付いていた。
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