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ストーナー の商品レビュー

4.6

138件のお客様レビュー

  1. 5つ

    80

  2. 4つ

    35

  3. 3つ

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2021/01/31

kuma0504が「ストーナー」という真っ白に近い装丁の単行本裏表紙を閉じて読み終えたのは、2021年1月27日の薄暗いコーヒー屋だった。気がつくと、彼の目に滅多にない涙が滲んでいた。 1891年米国ミズリー州の小さな農場の息子として生まれたストーナーは、ミズリー大学農学部生の...

kuma0504が「ストーナー」という真っ白に近い装丁の単行本裏表紙を閉じて読み終えたのは、2021年1月27日の薄暗いコーヒー屋だった。気がつくと、彼の目に滅多にない涙が滲んでいた。 1891年米国ミズリー州の小さな農場の息子として生まれたストーナーは、ミズリー大学農学部生の時に英文学に出会い、鍬を振るう代わりに一生を本の中に埋める気持ちになる。それを指導教授は「きみは恋をしているのだよ。単純な話だ」と言った。本書はストーナーという完全に架空の人物の一生を丁寧に綴った小説である。kuma0504が数えること3度、ストーナーは人生を変える出会いをする。 kuma0504はそれより2か月ほど前に、1909年に日本の田舎に生まれた少女の昔語りを読んでいた(『一00年前の女の子』)。当初彼は日本と米国の民俗学的比較ができるのではないか?と期待していた。ところが紐解いてみると1900年初めの米国は20世紀後半のアメリカと変わりなく、日本のそれは天地ほどにも変化していて、比較のしようがないと思った。冠婚葬祭における、米国都市部の民俗、ジェンダー意識は、それほどまでに長いこと変化しなかったのである(おそらく現在は違う)。 kuma0504は、ストーナーの無欲で実直な生活に、越し方の壮年時代を想った。いっときの火花のような恋についても、経過は丸切り違うが同じ色の気持ちを思い出していた。 最終章に、ストーナー臨終の日々が延々と描かれる。kuma0504は父親のまるまる4か月に渡る看病の日々を思い出し、来るべき日々のことも思っていた。ところが、裏表紙を閉じる前に、訳者の弟子の布施由紀子が「訳者あとがきに代えて」を書いていて、正に訳者臨終の日々に最終章を訳していたのだと知る。 彼はある感慨に耽り、うっすらと泣いた。

Posted byブクログ

2021/01/10

ミズーリ大学の英文学において助教授として生涯を終えたストーナーの生涯を描く小説。読んでいてとても悲しい小説だと思ったのは、ストーナーが愛おしく思い大事にしたもの、例えば娘のグレースとの時間であったり、キャサリンとの逢瀬であったり、あるいは自らの研究者・教師としての職責への情熱とい...

ミズーリ大学の英文学において助教授として生涯を終えたストーナーの生涯を描く小説。読んでいてとても悲しい小説だと思ったのは、ストーナーが愛おしく思い大事にしたもの、例えば娘のグレースとの時間であったり、キャサリンとの逢瀬であったり、あるいは自らの研究者・教師としての職責への情熱といったものが、何故かわからないものによって奪われていくことだ。もちろんそれらは妻のイーディスだったり同僚のローマックスだったりに奪われるというのは確かにあるのだが、なぜ彼ら彼女らがそのような行為に出るのか、結局のところよくわからないから、不条理にも奪わたということになる。しかしそういった世間の不条理はストーナーの世界にどこかぼんやりした影を落とす、という描き方で、ストーナーの世界は守られているという気もする。それが、世間とは異なる真の世界があるのだという文学の世界なのかもしれない。そこが美しい小説なのだと、僕も思う。ただ、やっぱり教え子キャサリンとの逢瀬は、現代的な基準で言えば、申し開きのできない行為だと思い、それを美しいと無邪気に称揚することは抵抗があるのだが。。それに、妻のイーディスはなぜあんな風になってしまったのだろうか。。

Posted byブクログ

2021/01/02

農家出身の男が、大学助教授となり病で死ぬまでの一生を描いた小説である。 主人公であるストーナーの生活は、傍目から見れば幸福な人生とは言えない。農家の家で生まれ育った彼は、貧しいながらも何とか大学に行き、教師の道を選ぶ。結婚した妻は正直頭のおかしい人間であり、愛は無く常に邪見にされ...

農家出身の男が、大学助教授となり病で死ぬまでの一生を描いた小説である。 主人公であるストーナーの生活は、傍目から見れば幸福な人生とは言えない。農家の家で生まれ育った彼は、貧しいながらも何とか大学に行き、教師の道を選ぶ。結婚した妻は正直頭のおかしい人間であり、愛は無く常に邪見にされている。子どもは妻に取り上げられ、愛人を作るも関係がバレて破局する。大学内では同僚との敵対関係から嫌がらせを受けつつ、何とか定年まで勤めあげた後、ガンにかかり一生を終える。 ストーリーは特に起伏があるわけでもなく、主人公は大学の中で目立った活動をするわけでもない。正直言って、この小説よりも読み応えのある小説はいくらでもあるだろう。 しかし、この小説が素晴らしいのは、「人間の一生とは得てしてこの程度のものだろうなあ」という感覚を我々に与えてくれるところだ。どこかの英雄が活躍するストーリーや、主人公があらんばかりの不幸を背負い逆境に立ち向かう活劇ではなく、ただ淡々と流れる日常に対してストーナーが選択した物語を読者は味わう。それはあくまで一般人の感覚――はっきりとしない言葉や煮え切らない態度――によって下される決断であり、だからこそ、読者はストーナーに自分を重ねてしまうのだ。 そして筆者の描く表現が、そんな淡々さの中に読者を引き込んで離さない。 読者の中には、ストーナーと妻の間に確執が生まれていく間、「何でそこで言い返してやらないんだ!」と憤る方もいるかもしれない。しかし、「自分ならこんなときどうするだろうか」と考えてみると、ストーナーのように一歩身を引いて、子どもの前で争わないよう黙って耐え忍ぶことを選ぶ人が多いのではないだろうか。 また、私生活が上手く行かない中で出会った愛人との蜜月の日々が、ストーナーにとってたまらなく愛おしく、まるで人生のうちで初めて幸せになれたように、生き生きと描写されている。ここでも、読者には彼の気持ち――雑務に忙殺され、家庭内でも不和が続く日々における一時のカタルシス――が痛いほど分かってしまう。だから我々はストーナーを責められないのだ。 読者はまるで自分ごとのようにストーナーの選択を見守り、自分にもあり得るかもしれない人生の軌跡を想起する。この小説が、英雄譚を好むアメリカではウケず、ヨーロッパに輸入されて爆発的にヒットしたというのも非常に頷ける。 おまけとして、私が文中で一番好きな言葉である、ストーナーの旧友デイヴ・マスターズの言葉をメモしておきます。 「大学は隔離施設か、あるいは――最近の呼び方でいうと、なんだ?憩いの家だよ。病める者、老いたるもの、不平分子、その他、社会に適応せざる者たちのためのな。おれたち三人を見ろ。おれたちこそが大学だ。」

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2020/12/13

いっとき翻訳小説好きの間でかなりもてはやされた作品。あらすじを見て特段興味を惹かれなかったのでそのうち機会があれば、くらいで放置していたのだが遂に手にとってみた。1965年に出版された作品で、農家に生まれた主人公が親の勧めで大学に行きそこで文学に目覚め畑には戻らず研究者、教育者と...

いっとき翻訳小説好きの間でかなりもてはやされた作品。あらすじを見て特段興味を惹かれなかったのでそのうち機会があれば、くらいで放置していたのだが遂に手にとってみた。1965年に出版された作品で、農家に生まれた主人公が親の勧めで大学に行きそこで文学に目覚め畑には戻らず研究者、教育者となる道を選ぶ。不器用な主人公は大学でも敵を作り出世とは縁遠い地味な准教授として定年までを過ごす。一方で強い求愛の末に結ばれた妻との家庭も早々に破綻、娘も...という具合でこれだけ見るとなぜ時間を使ってそんな冴えない嫌な話をわざわざ読まなければ...と思うのだけどこれが何故かしみじみ良いのだからわからない。何一ついいことがなかったように見える主人公の生涯なのだけど何故かハッピーエンドにすら思えるから不思議。もしかしたら傍目には何もいいことがなかったように見えるけども結果はどうあれ自分の気持に素直に生きた主人公はハッピーだったのかも知れないしそこに憧れるから出版されてから半世紀も経っているのにこれだけ読まれたのかも知れない。素晴らしかった。

Posted byブクログ

2020/09/19

この世の中に「何の変哲もない人生」などというものはない。 この物語はミズーリ大学助教授として人生を全うしたウイリアム・ストーナーの人生を彼の誕生から臨終までを記した小説である。 田舎の百姓の一人息子として生まれ、両親の苦労のおかげで大学へいくことを許された。 大学で農業を学ぶ...

この世の中に「何の変哲もない人生」などというものはない。 この物語はミズーリ大学助教授として人生を全うしたウイリアム・ストーナーの人生を彼の誕生から臨終までを記した小説である。 田舎の百姓の一人息子として生まれ、両親の苦労のおかげで大学へいくことを許された。 大学で農業を学ぶはずであったストーナーであったが、英文学の面白さに魅せられ、大学を卒業後も大学院に残り、英文学を研究することを選んだ。 若き文学研究者として生きるストーナー。 同じ研究者である友人たちとの交流。 のちに彼の妻となる美しい娘との恋。 第一次世界大戦で友人の一人を失う悲劇。 結婚後、精神を病んでいく妻との確執と娘の誕生。 ライバル教員との対立。 娘の教育を巡っての妻とのいさかい。 新しい恋と別離。 文学への愛を確認する日々。 そして病との闘い。 この小説を通じて、読者はストーナーの人生を完全に追体験していく。 彼の人生はヒーローものというにはほど遠く、むしろ満ちたりたというものではなかったかもしれない。 しかし、成功に満ちた人生などこの世界にあるのだろうか? そんな疑問を本書を読んだすべての読者は感じるはずだ。 全篇美しい翻訳文をとおして、ストーナーの人生の悲哀が語られていく。しかし、そこには人生のきらめきがそこかしこに秘められている。 人生は捨てたものじゃない。

Posted byブクログ

2020/09/02

ありえたかもしれない別の人生。しかしそんなことはない。うだつのあがらない1主人公を通して教訓なぞなく、たんたんと話は進んでいく。そしてそれが実に全体として美しい。この本に出会えたことを幸せに思う。

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2020/07/12

生を全うする事の悲しみと喜び。 相反する感情でありながら、常に表裏一体のこの二つに振り回される人間の愚かさと美しさ。その人間の生に詰まった魅力を感じさせてくれる一冊。 主人公のストーナーに起こる種々雑多な出来事。それらは概して良いことばかりではなく、むしろ辛く悲しい出来事に見てて...

生を全うする事の悲しみと喜び。 相反する感情でありながら、常に表裏一体のこの二つに振り回される人間の愚かさと美しさ。その人間の生に詰まった魅力を感じさせてくれる一冊。 主人公のストーナーに起こる種々雑多な出来事。それらは概して良いことばかりではなく、むしろ辛く悲しい出来事に見てている。ただ読了後に残る密かな心の暖かさ、温もりを感じられるのは、きっとストーナーにとっての一生が「自分にとって良いもの」に包まれていたからだろう。 決して派手な物語ではない。ドラマチックな物語でもない。ただ一人の男の一生を切り取った作品だからこそ、胸にスッと入り込んでくる。淡々と、粛々とした語り口から描かれるストーナーの物語こそ、人間の一生をリアルに切り取った作品なのだと感じた。

Posted byブクログ

2020/05/30

「月と6ペンス」を読んだときのことを思い出した。静かな語り口の中にも読ませる力がある。 小説にしかできない表現があって、それを感じるために小説を読む。自分にとっては、訳書の方がそういった文章に出会うことが多い気がする。読み慣れた言い回しではない、新鮮な表現に出会える気がする。 こ...

「月と6ペンス」を読んだときのことを思い出した。静かな語り口の中にも読ませる力がある。 小説にしかできない表現があって、それを感じるために小説を読む。自分にとっては、訳書の方がそういった文章に出会うことが多い気がする。読み慣れた言い回しではない、新鮮な表現に出会える気がする。 この本の存在はTBSラジオ「アフターシックスジャンクション」内での、「日本翻訳大賞特集」のコーナーで知った。自分の尊敬する宇多丸さんが、人生ベスト級と言っていたので読んでみたが、確かに「倦怠夫婦もの」(宇多丸さんがこの言い方をする)が好きな氏のお気に入りというのも納得な一冊だった。 しかし、夫婦間の話もこの物語のごく一部分に過ぎない。ウィリアムストーナーの一生を通して、人間が経験するあらゆる感情をつぶさに描いている作品で、まさに「ストーナー」というタイトルはふさわしい。書き出しから、主人公たるストーナーは教員として生きるが特に名声を残すわけでもなく平凡な一生を閉じたようなことが書いてあるものだから、読了するまでずっと、誰もが抱く漠然とした悲しみとか劣等感のようなものを漂わせている。自分は映画をよく見るので、単純な興味から安易に比較してしまうのだが、映画よりも小説の方が、テーマそのものだけでなく、そこに付随する雑多な物事を表現しやすいと思う。 人の生涯を静かに綴る物語を読むと、自分の過去と未来に想いを馳せずにはいられない。なぜなら、自分の人生もまた客観的に見れば人並みのささやかなものだからだ。しかし、側から見ればただ1人の男の一生でも、それは文章で読むことによって、ストーナーの視点を得ることによって豊かさと奥行きを与えてくれる。すべての人生に問いかける圧倒的な表現、小説にしかできない表現が詰まっている。

Posted byブクログ

2020/08/03
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

忍耐強く不器用な、ある男の凡庸な生涯を、丁寧に静謐に、慈愛に満ちた美しい文章で描いた物語。時代の影響か、得てして人間の生涯とはそういうものであるという主張の表れか、物語全体に薄らと悲劇の感が漂い、一ページごとに新しい不吉な影を発見するが、それは同時に慈しみであり、歓喜であり、愛である。あらゆる対極的なものがそうであるように、悲しみと喜びが、愛と憎しみが、慈しみと侮蔑が、表裏一体であることを証明するような、そんな物語。 著者が語るように、私もストーナーが不幸だとは思わない。心の底から惹かれるものに出会い、その研究を続ける傍ら、自身が適度に適性を持ちうる教職を、これまた適度な愛とやり甲斐と責任感で生涯続け、結婚生活は荒寥としていたものの、短いながら真実誰かと愛し合う経験を持ち得た。フィンチの友情と、終盤に真実の愛を証明してくれた、キャサリンの著書も忘れてはならない。 それでもこんなに物悲しく、それ故に温かい気持ちになるのは、これが私たち自身の物語だからである。非凡と平凡に関わらず、人間の一生の物語だからである。誰にでも悲劇があって、成功があって、愛があって、憎しみがあって、光と影は切り離せず、全て受け入れても、受け入れられなくても、生きて死ぬ。それが真実であることを、我々は知っているからこそ、ストーナーの生涯に愛しさと悲しみを見出すのだろう。 それにしてもストーナーは受動的に過ぎるかなと思わないでもないが、全てを拒否するイーディスよりかは生き易いかな、、、 以下、自分のためのメモ、消化不良点。再読時に注意すること。 ①イーディスについて 支配的な父親から男性性に嫌悪を抱き、その嫌悪をそっくりそのままストーナーに向けていた、という解釈。イーディスとローマックスはなにか繋がりがあるのでは?と思ったけど、あれはストーナーに向ける悪意を互いに感じ取った同士、みたいなものだったのか?それにしてはストーナーに対しての特別な情報網がイーディスにはあったように思える。 ②ローマックスについて 自身の身体障害からくる劣等感やプライドやその他諸々、世間に対しての鬱憤を全部ストーナーにぶつけていた、という解釈。前々から気に入らなかったんだろうけど(理由はわからない)、同じような身障者の学生にストーナーが"贔屓しなかった"のが、自身に対する邪悪な世間の代表、のように思えたのではないか。 ③フィンチについて フィンチは出兵しなかったストーナーに対してもっと思うところがあるのでは?と睨んでたけどそんなことなかったな、でもなにか読み落としてるかも。

Posted byブクログ

2020/05/02

とても単調、大きな抑揚もなく淡々と物語は綴られる。 なのに、なぜこれほど心揺さぶられるのか。 恐らく人生とはまさにそういった単調で抑揚がなく淡々としたものであることを、人は歳を重ねることで見出していくからではなかろうか。

Posted byブクログ