失われた感覚を求めて の商品レビュー
結論的な趣旨は良いと思うのだが、ちょっと観念的すぎて好きになれない文章です。著者の苦闘の道筋を、自分自身のために忠実に記録していこう、という意向であるのだろうが、こんなにページ数を費やして出版する意義があるのかな?
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ミシマ社の三島さんが考えた事。 創業から数年。 〝地方〟に拠点を設けたり、様々な人達と出会ったり、資金難に直面したり。 その都度考え、辿りつく境地とは。 たぶんに感覚的。でも腹に落ちるまで読んでいたいと思わせる。
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ミシマガサポーターをしているので、オフィスの移転は知ってはいたのですが、こんなに逡巡されていたとは・・・と驚きました。 城陽市から京都市内への移動は単に社屋の賃貸問題なのかと勝手に思っていたので。 自分自身がバスも電車も時刻表など気にしたことがなく(5分待たない)、それが当たり...
ミシマガサポーターをしているので、オフィスの移転は知ってはいたのですが、こんなに逡巡されていたとは・・・と驚きました。 城陽市から京都市内への移動は単に社屋の賃貸問題なのかと勝手に思っていたので。 自分自身がバスも電車も時刻表など気にしたことがなく(5分待たない)、それが当たり前だと思って育ちました。 現在は都内まで電車で1時間弱、最寄駅は無人駅という地方に暮らしています。時間によって最寄駅では自分しか乗降しないことも珍しくない暮らし。都内の職場から帰ってくると「しーん」と空気が澄んで心底ほっとします。 ただ、これは職場が都内で、その途中にも何でも揃う地方都市があるから成り立つ暮らしなのかとも思っています。 なので三島さんが城陽から移動された理由にとても共感を覚えました。まっすぐ京都市内に落ち着かれた以上に、城陽市でのひとときが三島さんとミシマ社にもたらすものがあったのではないかと思います。試行錯誤を経て進むミシマ社のこれからがますます楽しみです。
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「ぼくは日本一楽しい仕事をしている」といいきる三島さんの著書。 ミシマ社の設立から、城陽オフィスの設立、京都市内オフィスの設立まで。そして、ミシマガジンをめぐるドタバタ劇。 こんなに場当たり的な経営(といえるかも怪しい)なのに、こんなに明るくて、自身の思想をきちんと貫いているのは...
「ぼくは日本一楽しい仕事をしている」といいきる三島さんの著書。 ミシマ社の設立から、城陽オフィスの設立、京都市内オフィスの設立まで。そして、ミシマガジンをめぐるドタバタ劇。 こんなに場当たり的な経営(といえるかも怪しい)なのに、こんなに明るくて、自身の思想をきちんと貫いているのは、三島さんほんとうにすごい。自分が生きていくうえでのいろんなことに対して、余白というか、未知の部分を持っているのはほんとうに大切。「不安定であること」をここまで楽しんでいるひとは、なかなかいないと思った。 読んだあとは、すがすがしい気分にさえなった。いい読書体験でした。
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自由ヶ丘の出版社ミシマ社の三島氏の前作 『計画と無計画のあいだ』の続き的な内容。 出版社を起こして、自由ヶ丘の次に京都の地方に 支所的なものを作ったそうで。 衰退するといわれている出版業界で奮闘する若い 社長の感性と行動と思考に驚きと敬意を感じます。 特にミシマガシンの創刊につい...
自由ヶ丘の出版社ミシマ社の三島氏の前作 『計画と無計画のあいだ』の続き的な内容。 出版社を起こして、自由ヶ丘の次に京都の地方に 支所的なものを作ったそうで。 衰退するといわれている出版業界で奮闘する若い 社長の感性と行動と思考に驚きと敬意を感じます。 特にミシマガシンの創刊についてはなるほどと思い ました。目からウロコ的な。。
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京都府城陽市。 お洒落なカフェもなければスタバもない。ランチはフライばかりのお弁当屋2軒をローテ・・。 日本全国どこへ行ってもありそうな生活者の町の一軒家で、ミシマ社は編集業務をスタートさせる。 アルゴリズムに支配されつつある世界経済に、記号化された便利なフレーズが氾濫する...
京都府城陽市。 お洒落なカフェもなければスタバもない。ランチはフライばかりのお弁当屋2軒をローテ・・。 日本全国どこへ行ってもありそうな生活者の町の一軒家で、ミシマ社は編集業務をスタートさせる。 アルゴリズムに支配されつつある世界経済に、記号化された便利なフレーズが氾濫するメディアに、しなやかに対抗し地方で出版という文化を発信する仕事ができるのか否か。 結論はあぁやはり、と同じく全国どこを切り取っても同じ風景が広がる北陸のいち地方の出身者で現在東京在住の身として思わず頷く部分もあり。 三島氏自らの城陽での苦悩とオフィス移転までの経緯を隠すことなく披露しているところは潔い。 タイトルからしてくすぐったい理想論がチラリと伺えるが、読書を「消費する」人たちにではなく、本当に本を読みたい読者に届ける”一冊入魂”の精神は嫌いでない。 どれほど電子書籍が広がろうと、紙の本はなくならないと信じる本読みとしては、応援したくなる。
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ユニークな活動を続ける出版界の異端児、ミシマ社社長の三島邦弘さんの、2013年3月以降のミシマ社の動向を綴ったエッセイ。京都に新たな拠点をつくり、新たな活動を始めるが事態はどんどん悪化する。斜陽産業といわれて久しい出版業界で抗う筆者の思考が伝わってくる。
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いまだ書かれぬ何かを感じ、編み、読み手に届けるのが編集者。その極意は「何もしない」を全身全霊で行うこと。 バブルのようなガツガツの熱さとは一線を画して、でも日々熱く過ごす。感覚的すぎて、支払いが危うくなったりもする。 幼い頃にもっていたはずの感覚を失っている、というこ...
いまだ書かれぬ何かを感じ、編み、読み手に届けるのが編集者。その極意は「何もしない」を全身全霊で行うこと。 バブルのようなガツガツの熱さとは一線を画して、でも日々熱く過ごす。感覚的すぎて、支払いが危うくなったりもする。 幼い頃にもっていたはずの感覚を失っている、ということは、多くの人が感じることだろう。僕もそうだ。感覚を取り戻しながら言語化もすすめる。そんなことが出来るのだろうか。作家であればまた違うのだが、編集者とは、まず真っ白になる、「何もしない」を極めて見る、ということ。 本書でも触れられているが、電子書籍やらアプリやらが出版にのしかかってくると、出版社、編集者という存在が失われていく可能性がある。誰もが作家に、なんてのはけっこう辛いものがあって、それよりも失われそうな職能、ひいては感覚が、ほんとうにもったいない、というか怖い。というわけで、僕はミシマ社の本のファンである。
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とても興味深く読んだ。というか、ものすごく共感しながら読んだ。 禅か武道かなんかで同じような概念があったような気がしないでもないけれど、言語と非言語の境目にある「あれ」が浮かび上がってくるような心持ちだった。 偶然なのかもしれないし、必然なのかもしれないけれど、同じ時期に読んで...
とても興味深く読んだ。というか、ものすごく共感しながら読んだ。 禅か武道かなんかで同じような概念があったような気がしないでもないけれど、言語と非言語の境目にある「あれ」が浮かび上がってくるような心持ちだった。 偶然なのかもしれないし、必然なのかもしれないけれど、同じ時期に読んでいた佐久間裕美子『ヒップな生活革命』も、アメリカでも同じような現象(と僕には読めた)が起こっていることをさまざまな角度から紹介していた。 これって一体どういうことやろう?「あれ」は日本っぽい考え方というか姿勢というか生き方かと思っていたけど、「あれ」の入り込む余地がないと思っていたアメリカでも日本と同じ流れにあるとは。 この感覚、感覚というか、うーん、無駄な力が抜けた感じというか、仙人になった感じというか、この言いようのないものを言語化しようとする試みは、決して一言では言い表せない、本でしか表現できないことだと言えそうだ。
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