「諜報の神様」と呼ばれた男 の商品レビュー
明石元二郎と小野寺信を学んだ瞬間、日本近代史への見方が180度変わってしまった。なぜ戦争に負けたか?とか、日本のリーダーシップの問題云々だとか、もはや論じることに1mmの価値も感じない。
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太平洋戦争時にスウェーデン武官を務めた小野寺信少将について、インテリジェンスオフィサーとしての役割を中心に、背景となる前半生も含めて解説。少し長かったり、まとまりがなかったり読んでいて辛い時もあったが、影で活躍した小野寺少将の功績に光を当てるものとして非常に興味深かった。 特に...
太平洋戦争時にスウェーデン武官を務めた小野寺信少将について、インテリジェンスオフィサーとしての役割を中心に、背景となる前半生も含めて解説。少し長かったり、まとまりがなかったり読んでいて辛い時もあったが、影で活躍した小野寺少将の功績に光を当てるものとして非常に興味深かった。 特に、関心を持ったのは以下の点。 ・小野寺は年間20億円もの諜報費を使っていた → 今の日本ではそこまで諜報に金は使っていない。ODAや自衛隊の装備に金を使う前に情報ではないかと。 ・同盟国のドイツ、ハンガリーのみならず、親日的な欧州小国士官(フィンランド、ポーランドら、エストニア、ラトビア)から情報を得る。実は、リトアニアでポーランドの協力を得て同じインテリジェンス活動に従事していたのが杉原千畝で、ソ連情報を見ていた小野寺の統括下にあった。杉原のユダヤ難民救援は、実はポーランド士官の退避ルートとしてポーランドの要請で準備していたが、士官の多くはカチンの森で虐殺され、代わりにユダヤ人救援ルートとなった。 ・ロシア語・ドイツ語に堪能で、相手への金銭支援も含めて近づく能力 ・情報はギブアンドテイクが基本。 ・マーケットガーデン作戦の開始情報(ドイツに提供)やヤルタ密約によるソ連の対日参戦(ポーランド亡命政府経由)のインテリジェンスを得ている。ヤルタ密約は、ロンドンのポーランド亡命政府の情報部長ガノからの直々の提供・警告(ソ連に占領されたポーランドのようにはなって欲しくない)であった。 → このヤルタの情報は活かされなかった。的確に情報を集めても情報を使いこなせるトップがいないとダメというケース。また、本情報は参謀本部作戦課で握りつぶされたという話もあるが、そうだとすれば、情報に政策の色をつけていることになり、情報の中立性は確保されるべきだった。 ・また、1944年のロシアのフィンランド 制圧時にフィンランドから、ソ連やアメリカの暗号解読情報を得ている(ドイツにも提供)。これは同時にフィンランドから米英にも提供され、ヴェノナ文書解読にも一役買っていると見られる。 ・情報期間を通じた敵側との秘密工作 → 小野寺武官と岡本公使の確執にもあるように、どのチャネルで交渉するかはなかなかの難しい話。出先機関の間、本省間でのパワーバランス、メンツなど様々な要素が絡んでくる。 ・日本とポーランドの特殊関係。日露戦争時の蜂起支援や捕虜厚遇、シベリアでのポーランド孤児救出などで、ポーランドの対日感情が向上。対ソ情報分析(暗号解読)では他の追随を許さなかったポーランド軍情報部からの情報技術支援を受ける。ポーランド占領時には、情報機関の接収の持ちかけがあったが、ドイツを気にして受けなかったものの、非公式の協力は継続。 ・エニグマの初期解読を行ったのもポーランド。これが英に提供。
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第二次世界大戦終盤、ソ連以外は和平を目指していた。日本でも小野寺のようにソ連の動向を察知しヨーロッパで和平を目指して活動していたものがいた。しかし情報の取捨選択を誤りソ連に和平を頼ろうとしていた日本の軍部。結果的にずるずると戦争を続け、ソ連と中国の参戦を許してしまったと。ひでーな...
第二次世界大戦終盤、ソ連以外は和平を目指していた。日本でも小野寺のようにソ連の動向を察知しヨーロッパで和平を目指して活動していたものがいた。しかし情報の取捨選択を誤りソ連に和平を頼ろうとしていた日本の軍部。結果的にずるずると戦争を続け、ソ連と中国の参戦を許してしまったと。ひでーな。首脳陣が見たいものしか見なくなるとこうなるよね。 また、日本軍OB向けの雑誌があることを知った。いろんな雑誌があるのね。
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★2014年11月23日読了『「諜報の神様」と呼ばれた男連合国が恐れた情報士官 小野寺信の流儀』岡部伸著 評価B+ 第二次大戦中に中国、欧州で活躍した陸軍情報士官だった小野寺氏の記録。 諜報活動というと何となく胡散臭い後ろ暗いイメージであるが、それらを補ってあまりある人間と人間の信頼関係に基づいた取引が基本であったことが語られる。 彼がもたらした情報の質の高さと量には、驚かされる。 日中戦争開戦のきっかけは、どうも中国共産党が深く関わっているらしいこと。小野寺は早い終戦を目指して、蒋介石との和平交渉を画策したこと。日本陸軍は、中国国民党の背後に米英があるにもかかわらず、簡単に屈服させられると楽観していたこと。 中国と早く終戦して、ソ連に備えるべきという皇道派の小野寺氏は、結局主戦派である中国支配を目指す統制派に破れ、中国から呼び戻される。 次に海外へ出た小野寺氏は欧州へ向かう。ここでも、多くの仲間に支えられ、質の高い情報を入手し続ける。 独ソ不可侵条約の破棄とドイツ軍のソ連侵攻(日本はドイツは英国侵攻優先と信じていた)、侵攻したドイツ軍の機甲部隊の思わぬ苦戦、ノルマンディー上陸作戦の情報、ヤルタ会談でのソ連の対日参戦は、ドイツ降伏の3ヶ月後の決定など全てが確度の高い情報であった。 さらには、彼は米国の原子爆弾開発の可能性まで読み取り、通報もしている。 それらは、ソ連に国を奪われた旧ポーランドの諜報機関のメンバーと小野寺の友情、人間としての信頼関係の結果、そして、それ以前からの日本がポーランドの国民に対しての厚情の結果もたらされたものであった。日露戦争時のロシア軍に使われ、捕虜となったポーランド人への温かいもてなしや、ボルシェビキ革命の混乱からシベリヤに送られたポーランド人の遺児たち765名を救った日本政府の思いやりなどが、ひとかたならぬポーランド人の心に残る恩義となり、それが、連合国側となった亡命ポーランド政府となっても、小野寺へ正しい情報を送り続けた大きな要素であったとは、知らなかったとはいえ驚きだ。 終戦間際になっても、日本陸軍の中枢は、最重要の小野寺情報を生かすことも出来ず、最後までソ連の和平仲介に希望をつないで、結果ソ連軍の侵攻を招き、多くの死亡者、捕虜、抑留者を出す不幸へと繋がる。ソ連共産党のコミンテルンによる日本政府への工作が十二分に成功していた証?! 小野寺は、軍人としての立場をわきまえつつ、様々な妨害工作を陸軍中枢部から受けながらも、最後の和平交渉への糸口を探り続けた。スウェーデン王室とのコネクションから英王室を通じて、国体護持の条件を暗示し、終戦の条件を実現出来たのも、もしかしたら、小野寺の努力の結果かもしれないと示唆している。(終戦前日に英王室から天皇へ親電が到着した。) また、情報の多くは、マスコミから流れる公知の情報から、推定、裏付けをとっていたと言うから、すごい分析力である。 戦中、戦後にこのような凄まじい陸軍情報士官がいたことには、驚きを禁じ得ない。しかし、海軍でも、陸軍でも、都合の悪い情報は握りつぶされてしまった。そして、自分たちに都合の良い現実だけを上層部に上げる。この体質は、いまの日本企業でも変わっていないと思わず、苦笑してしまう。それが、組織の持つ特性なのか、日本人の持つ特性なのかは、まだ私には分からない。 内容的には、もう少し絞れば、非常にレベルの高い作品だと思う。やや、繰り返しが多い点がうざったいので、編集者がしっかり、推敲して修正すれば、しっかりしたものになると思う。しかし、内容は秀逸であり、小野寺氏の功績の素晴らしさに変わりはない。そして、それを生かせず、多くの犠牲者を出した当時の日本政府(今も?)の愚かしさは非常に残念である。
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