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東京プリズン の商品レビュー

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73件のお客様レビュー

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  4. 2つ

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  5. 1つ

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2019/08/06

どこからが現実部分なのかわからない、ふわふわとした作品。この小説を読むまで、A級戦犯の意味も知らなかったことに気がついた。

Posted byブクログ

2019/07/24
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

 『愛と暴力の戦後とその後』が素晴らしくて、それを読んで以来憲法改正には慎重な立場となった。それからずっとこちらの小説も気になっていて参院選の機会に読んでみたのだけど、けっこうしんどくて投票までに読み終わらなかった。  高校生なのに頭が良すぎる。外国語でディベートをするのもすごいし、それ以前に知識と知能がめちゃくちゃしっかりしていて、そんな子を落第させるなんて、アメリカの先生どうかしている。今50歳のオレの人生のどこを区切っても16歳の彼女より頭がよかったことなんかない。そういう意味ではあまり現実味を感じないほどだった。  時空と人格を超えて通信する場面は面白かったけど、ほかの幻想的な描写は頭に入って来なくて読むのに苦労した。そして何より長くてつらかった。

Posted byブクログ

2019/07/08

天皇の戦争責任のことを 日本人の少女が アメリカで弁明する というあらすじに惹かれて手に取ってみた。 これまで深く考えようと思ったことはなかったけど、確かに天皇って、世界に類を見ない不思議な存在だ。 生と死、男と女、戦争と平和、傀儡と主体、人民と統治。 色々な概念を総合して考え...

天皇の戦争責任のことを 日本人の少女が アメリカで弁明する というあらすじに惹かれて手に取ってみた。 これまで深く考えようと思ったことはなかったけど、確かに天皇って、世界に類を見ない不思議な存在だ。 生と死、男と女、戦争と平和、傀儡と主体、人民と統治。 色々な概念を総合して考えても、答えの出せない人?神? だから、この小説は正直とてもわかりづらい。 色々なところへ飛んでいき、これはあれだと思った。 難解な演劇によくあるやつ。 ひとつの空間を色んなものにみせてくかんじ。 演劇みたいな読書体験。 でもこれはそうしないと、伝えられないからなんだ。 それくらい、私たちは複雑に屈折したものを抱えている。 それは天皇という範囲を超えて、太古の日本から、第二次世界大戦以降まで、私たち日本人が抱えているもの。 もっと広く、世界中の「国民」と呼ばれる人たちが、かかえているものなのかもしれない。 その国に生まれただけだけど、その国の国民となって、生きていく。 その国のルールの中で、考え方の中で。 これまで戦争ものって、人としての生死の尊厳を主題として感じることが多かった。 でもこの本が私に提示してくれたのは、人として生き、行動し、意思を持つことに対する尊厳の根源のようなものだ。 それを揺るがされてしまうものが、戦争ということそれ自体に内包されている。 こんなことしていいのかっていう畏怖みたいなもの。 それを抱えきれない、人は。 そんなストレスフルなこと、絶対やめようよ。

Posted byブクログ

2019/06/29

村上春樹の小説みたいに現実味のない世界が描かれる。米国メイン州と東京が舞台であっちへ行ったり戻ったり。天皇の戦争責任のディベートが中心に置かれるが、何となく勉強になった感じはする。

Posted byブクログ

2019/06/26

東京裁判における天皇の責任という問題を、アメリカ留学中の高校生マリがディベートで追訴する。自分の土壌でない場所で、相手のルールで物事が進めらていく極度のストレスは経験からかなり共感するところがあった。母娘関係、第二次世界大戦の振り返り、戦後の日本人の思考方法など様々な重い問題が何...

東京裁判における天皇の責任という問題を、アメリカ留学中の高校生マリがディベートで追訴する。自分の土壌でない場所で、相手のルールで物事が進めらていく極度のストレスは経験からかなり共感するところがあった。母娘関係、第二次世界大戦の振り返り、戦後の日本人の思考方法など様々な重い問題が何層にも書かれていて、正直読んでて気が重かった。だがそれらを束ね、振り分けて小説にうまく取り込み、主人公の30年の虚無感に救いを見出して示してくれた作者には拍手を送りたい。

Posted byブクログ

2019/05/17

アメリカの高校に単身留学したマリ。課題として出された「天皇の戦争責任」に関するディベートのため、準備を進めるうち、日本とは、自分とは、戦争とは、そして天皇とは、いったいどういう存在なのか、全くわかっていなかったことに気づく。マリが出した答えとは。 ディベート部分や、天皇に関する考...

アメリカの高校に単身留学したマリ。課題として出された「天皇の戦争責任」に関するディベートのため、準備を進めるうち、日本とは、自分とは、戦争とは、そして天皇とは、いったいどういう存在なのか、全くわかっていなかったことに気づく。マリが出した答えとは。 ディベート部分や、天皇に関する考察には傾聴すべき点もないではないのだが、とにかく読みづらすぎる。詰め込みすぎで、何がテーマなのか、今なんの話をしているのかわからない。マリは何かの病気なのかと思ってしまう。眼が滑るし、少し時間を開けると内容が思い出せなくなるので、何度も戻って読み直すはめになった。

Posted byブクログ

2019/06/08
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

刊行されるや否や各方面から激賞を受け、いくつかの文学賞を受賞し、最近では『朝日新聞』紙上で「平成の30冊」にも選ばれた、赤坂真理の代表作。しかしわたしはそこまで良いとは感じなかった。その理由として第一に挙げられることが、主人公「マリ」と読者であるわたし自身との間に智識量においてギャップがありすぎること。マリは戦争のことについてまるで無智で、仏印進駐も満洲国のことも知らない。それはもしかしたら平均的な日本人像なのかもしれないが、わたしにとってはあまりにも自明であって、そういった感想をもつような主人公には共感できないのである。また、作品の構成にも馴染めなかった。本作では目次を見るだけでもわかるように、1980年~1981年にかけてのアメリカを物語のおもな舞台としつつ、途中でいきなり現代の日本に舞台が変わるなど、過去と現在、アメリカと日本を行ったり来たりする、まるでSFのような特異な構成をとっている。しかし、なぜこのような構成にしたかがまったくわからない。単に場面が変わるだけならともかく、電話越しに過去と未来で会話をするという、ほとんど『ドラえもん』とでもいうべき描写すらある。あるセリフを物語のなかで言わせる/聞かせる必要が生じたが、うまくそのセリフに繫がるような展開がつくれないために、無理矢理このような設定をつくりあげたのではないかと疑ってしまう。さらに、作中には「東日本大震災」にまつわる描写も登場するが、個人的にはこの点がいちばんよくないと感じた。べつにフィクションのなかに震災の描写を登場させることは構わない。不謹慎だなどと言い立てるつもりもない。しかし、あまりにも無意味にそして無遠慮にその描写が登場したら、それは批判されて当然であろう。2011年、大人になったマリは本人が「アメリカ島」と呼ぶ東京湾沿いの地域に住んでいて「その日」を迎える。震災時には東北3県を中心に各地で津波による甚大な被害がもたらされた一方で、当該地域でも液状化現象が甚だしく、相当な混乱状態になったと報じられていたことが記憶にある。実際、わたしも数箇月後に場所は異なるが幕張方面を訪れ、あちこちに液状化の痕跡が見られたことをよく憶えている。本作においてもやはり液状化の様子は描かれており、そのことはとくに問題ないのだが、その直後、先述したようなSF的な手法によって、急に津波に襲われ高台に逃げようとするくだりに移行してしまう。これはどうしてもいただけない。浦安市には被害が出るような津波は来ていないはずである。そんなに津波から逃げる描写が書きたければ、最初からマリを東北に住まわせれば良いし、そもそもそんなに作者に都合良く自在にいろいろな現象を体験させられるなら、それこそ東條英機や昭和天皇をマリと対面させ、直接言質をとれば良いのである。「小説にはこんなこともできるのか」とは池澤夏樹による本作の「解説」のタイトルであるが、小説にはなんでもできる一方で、安易に小説になんでもさせてしまうのは、逆に冒瀆になりやしないか。必要性の感じられない津波に関する描写で、読んでいて一気に萎えてしまった。「天皇の戦争責任」についてはいまだに完全に解決したとはいえないテーマで、作中には示唆的な記述も少なくないが、それだって専門書を読めば済む内容で、とにかく本作にそれほどの価値を感じないことだけはたしかである。

Posted byブクログ

2019/04/07

「シン・ゴジラ」評がとてもおもしろかったので、著者の小説をしっかり読みたいと思っていた。 イデオロギーにまみれて日本ではまともな議論の成り立たない「天皇の戦争責任」。著者は、アメリカの高校でのディベートという舞台設定と、さながらシャーマンのように過去の人びとやときには野生動物と...

「シン・ゴジラ」評がとてもおもしろかったので、著者の小説をしっかり読みたいと思っていた。 イデオロギーにまみれて日本ではまともな議論の成り立たない「天皇の戦争責任」。著者は、アメリカの高校でのディベートという舞台設定と、さながらシャーマンのように過去の人びとやときには野生動物と心を通わせられる主人公の組み合わせで読者を土俵にとどまらせる。 ベトナム、ネイティブアメリカンの人びと(あるいはその精霊)との対話は、ともすれば「米国だってお互い様」という主張の準備のようにも受け取れる。が、それはとりもなおさず日本もまた加害者である、という歴史から目を背けられないことも意味する。 主人公のマリが東京裁判的正義を振りかざす教師に立ち向かうシーンは、実際にはそれができない日本人のささやかな幻想かもしれない。だが、そのセリフには胸を打たれる。 「『私たちは負けてもいい』とは言いません。負けるのならそれはしかたがない。でも、どう負けるかは自分たちで定義したいのです。それをしなかったことこそが、私たちの本当の負けでした。・・・自分たちの過ちを見たくないあまりに、他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ、私たちの負けだったと、今は思います」(P526)。 安藤礼二、三島由紀夫(「英霊の聲」)といった参考文献はまさにゴジラとも響きあう。他の著作も読みたい。

Posted byブクログ

2019/03/22

2019/3/7の朝日新聞朝刊に平成の30冊という記事が掲載されていました。その中の20位にランキングされていたのがこの本。天皇の存在について考えさせられました。時代が行き来し、理解し難く、読み進めるのが難しい本でした。

Posted byブクログ

2018/11/15
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

小説の面白さは素材選択の時点であらかた決まるようです。 「天皇の戦争責任」という重いテーマを、戦勝国の米国で、そして理詰めだけの議論競技「ディベート」という場で、さらに日本人一人という孤立無援の状況で展開されるストーリーの着想は秀逸です。 とはいえ、付随して展開されるサブストーリーは私には意味不明で、この小説の素晴らしさを減じたように感じました。 そして私がこの小説から気づかされた点が2箇所ありましたので、紹介します。 キリスト像はなぜ磔の図であるのか、なぜ拷問の果てに死んだ救世主の図を崇め、その後に復活した彼の方に興味を持たないのか? それは、イエスを教会が神の一人子として独占するために、子孫のない絶対唯一の存在とした方が都合がよかったからなのでは?という指摘が1つ。(P516) もう1点は、議論相手から真珠湾攻撃というだまし討ちを非難されたときに、これはあくまでも手違いの事故であってそもそも軍事施設を攻撃したもので民間人を狙ったものではないと主張すると、では南京大虐殺や731部隊が犯した残虐行為は?と問われたときの答えです。 この時、当時の天皇が彼女に乗り移ったかのようにこう答えます。 「彼らの過ちはすべて私にある。子供たちの非道を詫びるように、私は詫びなければならない。しかし、私の子供たちに対する気持ちを吐露する人の親であることをつかの間許していただけるなら、やはり、前線の兵士の狂気やはねっかえり行動と、民間人を消し去る周到な計画とはまた別次元であると言おう。そしてこの意味において、あなた方の東京大空襲や原爆投下は、ナチスのホロコーストと同次元だと言おう。だからといって何もわが方を正当化はしない。が、前線で極限状態の者は狂気に襲われうる。彼らが狂気の方へと身をゆだねてしまったときの拠り所が、私であり、私の名であったことを、私は恥じ、悔い、私の名においてそれを止められなかったことを罪だと感じるのだ。私はその罪を負いたい。」(P521) この小説を読んでよかったと心底思えた箇所でもありました。 解説の池澤夏樹は「小説にはこんなこともできるのか」という言葉で締めくくっていましたが、間違いなく小説の可能性を味わうことができる1冊です。

Posted byブクログ