東北を聴く の商品レビュー
宮城県人にとってのソウルソングは、やはり「斎太郎節」と「さんさ時雨」ですな。エンヤトット、エンヤトット。
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「東日本大震災が起こったとき、わたしが一番欲したのは、東北の声を聴くことだった。濃密な東北弁の声を聴きたかった。文字ではあらわすことのできない、生活のニュアンスがつまった方言で、地震と津波で失われたものが何であるのか、これから何十年にもわたって続く放射能汚染の恐怖と、したたかに向...
「東日本大震災が起こったとき、わたしが一番欲したのは、東北の声を聴くことだった。濃密な東北弁の声を聴きたかった。文字ではあらわすことのできない、生活のニュアンスがつまった方言で、地震と津波で失われたものが何であるのか、これから何十年にもわたって続く放射能汚染の恐怖と、したたかに向き合うための、ことばを探した。求めているのは文字ではなかった。あくまで、本能的に声を探していた」
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東日本大震災をうけて、2011年の9月から2012年の8月まで、三味線奏者の二代目・高橋竹山と著者が、初代・高橋竹山が門付き芸をして歩いた東北の地を訪ね、被災地の仮設住宅の集会所でのライブ・コンサートから始めて、被災者の体験談を聞き、そして数々の東北民謡の源流を探る旅をした、その...
東日本大震災をうけて、2011年の9月から2012年の8月まで、三味線奏者の二代目・高橋竹山と著者が、初代・高橋竹山が門付き芸をして歩いた東北の地を訪ね、被災地の仮設住宅の集会所でのライブ・コンサートから始めて、被災者の体験談を聞き、そして数々の東北民謡の源流を探る旅をした、その内容がこの本です。「牛方節」や「斎太郎節」や「新相馬節」など、東北には有名で、地域に根差した民謡があるということでした。そういえば、民謡、という文字を見れば、東北があたまに浮かびます。東北人といえば、シャイだという印象がありますけれども、そんな東北人が生みだし、愛してきた民謡というものは、僕なんかが考えるに、シャイだからこそ、唄という形式でもって、普段出さない大声を出してすっきりするためのものとしての一面もあったのではないのでしょうか。唄にすれば、これは唄なんだからというエクスキューズが働いて、気兼ねなく声が出せるんだと思うんですよね。
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民謡について歌詞書かれた本を探していたのだが、これくらいしか見つからなかった。 東日本大震災後の民謡研究旅エッセイって感じの内容でした。
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詩人の佐々木幹郎が2代目高橋竹山と震災後に1年間、被災地を訪ねて、津軽三味線と詩の朗読をしたときのことをもとに書かれたもの。 冒頭に幹郎さんの「鎮魂歌」という詩がとても染みました。すばらしい鎮魂歌です。 この本の中では、2代目竹山さんが歌った東北地方の民謡がいくつか取り上げられ...
詩人の佐々木幹郎が2代目高橋竹山と震災後に1年間、被災地を訪ねて、津軽三味線と詩の朗読をしたときのことをもとに書かれたもの。 冒頭に幹郎さんの「鎮魂歌」という詩がとても染みました。すばらしい鎮魂歌です。 この本の中では、2代目竹山さんが歌った東北地方の民謡がいくつか取り上げられています。私が小さいころに聞いたことがあるものもたくさんありました。 エンヤトットという掛け声が有名な斎太郎節もありました。 私は今までは斎太郎節(松島の瑞巌寺ほどの寺はないトエー(略)前は海、後ろは山よ、小松原ダエー)って、なんだか、風景をそのまま歌っただけで、だからなんなんだかねぇ、、、って思っていましたけど、この章を読んで、そのあと、この本の最後のほうで幹郎さんが、 「私は東北の声を聴きたいと言いながら、『聴こえるもの』にだけ耳をそばだてようとしていたのではないか。…」 と語るところと、また、2代目竹山さんの演奏のアンコールは斎太郎節のリクエストがとても多かった、というところを読んでみてから、あらためて、斎太郎節を唄ってみると、行ったことがない松島の風景を潮風を感じながら海の上からしみじみと眺めている気持ちになって、とても心地よかったです。 歌の力はすごい、ってよく言われますけれど、それを体感いたしました。
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※このレビューにはネタバレを含みます
佐々木幹郎『東北を聴く 民謡の原点を訪ねて』岩波新書、読了。震災の年の9月から翌年8月まで、詩人の著者は二代目高橋竹山と共に、初代が門付け芸をして歩いた跡を訪ねた。仮設住宅でのライブ、被災者の体験を聴くその路程は、東北民謡の源流を探る旅となる。 瓦礫に埋もれたつぶれた家の下から、民謡をうたう声を聴いたという被災者の話。このあと津波の第二波がおそってくる。民謡の力とは何なのだろうか。時代を経て人々に口づさまれる中でどのような変容を遂げたのか。稀有な旅の記録である。 最後に佐藤貞樹の『高橋竹山に聞く』(集英社)から、竹山の音をノヴァーリスの詩の如く理解していた話が紹介されるが、 すべての見えるものは見えないものに、 聞こえるものは聞こえないものに、 感じられるものは感じられないものに 付着している。おそらく、 考えられるものは考えられないものに 付着しているだろう。 (渡邊格司訳『断章』岩波文庫、1942年) これが印象的である。初代竹山の音を高校生のとき、聞いたことを思い出した。
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民謡、東北、震災、歌、三味線、歴史、民衆、様々な角度から深く想いを寄せる事が出来る名著だと思う。何よりも、作者の本業が詩人だけあって、久しぶりに美しい文章を読んだ気がする。
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高橋竹山二代目とふたりで震災後の東北を回る。 一代目のこともよくわかりました。 ここにも東北を思う芸術家、詩人があったのですね。
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