自然権と歴史 の商品レビュー
「自然権」という概念の奇妙さは、それはどう考えても「法=権力」が生成する以前には(少なくとも概念として)存在しなかったにも関わらず、いったん「法」が出現するやいなや、それは「法」以前に存在した、と見なされる点だ。 考えてみればそもそも「自然」なる概念は、人間が「自然」の一部として...
「自然権」という概念の奇妙さは、それはどう考えても「法=権力」が生成する以前には(少なくとも概念として)存在しなかったにも関わらず、いったん「法」が出現するやいなや、それは「法」以前に存在した、と見なされる点だ。 考えてみればそもそも「自然」なる概念は、人間が「自然」の一部として同化して生活していた「未開社会」においては存在するはずもなく、文明の進展がかなり進んだ後で、文化と対立するものとして急に「自然」という概念が現れ出たのと、「自然権」概念の不自然さは一致している。 とはいえ、法体系のなかでは「自然権」を自明の実体として考えるのでなければ、「法」の倫理的基盤は確かに、失われてしまうだろう。 「自然権」をめぐるこの本は、特に「近代」の法思想を歴史的にたどる後半部分が面白かった。 「近代以前の自然法の教理は、人間の義務を教え・・・人間の権利は本質的に人間の義務から派生するものと考えていた。・・・17,18世紀の経過とともに、人間の権利にこれまでみられなかったほどの力点がおかれるようになった。我々は自然的義務から自然的権利への強調点の移行を語ることができよう。」(P248) 著者によるとマキアヴェリの考え方の土台の上に、ホッブズが「自然権」概念を提出し、それをいささか奇妙な歪みを伴ってジョン・ロックが展開した。さらにルソーが、奇怪な屈折のなかから「自然状態」を志向することによって、「近代」の最初の「危機」が訪れたという。 西欧の法哲学の流れを概観する本書はちょっと読みにくく、論理の全体を捉えるのが難しいが、様々な示唆を含んでいる。 ひるがえって日本を見れば、真の西欧的「近代」が存在しなかったこの国では「自然状態」的思考が根強く、現在でもなお権利意識が低くて「義務」の尊重の方が強い。ということができるだろう。 この本では自然法それ自体の個々の具体(生存権、所有権など)がほとんど論じられていないのが気になった。近代の認識の流れは語られたが、現代の状況については語られていない。この本の「続き」が読みたいと思った。
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