障害のある子の親である私たち の商品レビュー
重い知的障害を持った子の親の、きれいごとではない、胸に渦巻くいろんな感情がありのままに綴られている。 「障害児を持った親」はなにも特別な人間ではない。仕事もしたいし時には息抜きもしたい。「障害のある子を産んだのだから仕方ない」ですませていいのか。障害があっても社会に役立つ働きが...
重い知的障害を持った子の親の、きれいごとではない、胸に渦巻くいろんな感情がありのままに綴られている。 「障害児を持った親」はなにも特別な人間ではない。仕事もしたいし時には息抜きもしたい。「障害のある子を産んだのだから仕方ない」ですませていいのか。障害があっても社会に役立つ働きができれば「立派な障害者」、その親は「勝ち組」とされていいのか。「障害のある子を産みたくない」のは(気持ちは分かるが)、それだけ「障害のある子を育てにくい社会」ということではないのか。等など、考えさせられた。 障害者のことを知る、考える、とは決して「障害があってもこれだけのことができる、人間の可能性の素晴らしさ」「障害児を育てた立派なお母さん」に感動することではない。「立派な障害者」ではない人の生活、支える家族の現状、何が必要なのかを知ることからではないかと思った。
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