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失われた時を求めて(5) の商品レビュー

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5件のお客様レビュー

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2024/07/23

ゲルマント家の館の一角に引っ越してきた主人公は、ゲルマント公爵夫人に強い憧れを抱くようになる。 そして、彼女のおい、サン=ルーと友達になり、兵舎まで会いに行って、彼を通じてなんとか彼女に近づこうと画策する。 また、サン=ルーとその愛人との仲違いも描かれる。 正直言って、これらの...

ゲルマント家の館の一角に引っ越してきた主人公は、ゲルマント公爵夫人に強い憧れを抱くようになる。 そして、彼女のおい、サン=ルーと友達になり、兵舎まで会いに行って、彼を通じてなんとか彼女に近づこうと画策する。 また、サン=ルーとその愛人との仲違いも描かれる。 正直言って、これらの部分にはあまり入り込めなかった。 僕の心に響いたのは、主人公がしばらく離れていた祖母に電話をかけたことをきっかけに祖母の孤独に思いを致すところだ。 また、そこかしこに散見されるプルーストの芸術論や人間観も興味深かった。 『その声は優しかったが、また、なんと悲しい声だったことか。その悲しさは、なによりもまずその優しさ自体に起因する。 ―中 略―  悲しさのもうひとつの要因は、その声だけを身近に聞き、顔という面相を介さずにその声に直面した私が、生涯にわたりその声にひび割れを生じさせてきた深い悲しみにはじめて気づいたことにある。 ―中 略―  むしろこの声の孤立は、もうひとつの孤立、はじめて私とひき離された祖母の孤立の、象徴であり、想起であり、直接の結果だったからであろう。』(「第3篇ゲルマントのほうⅠ」以下同じ。) 『われわれがなにかを感じる世界と、考えたり名づけたりする世界はべつであり、この両者を対応させることはできるが、両者の隔たりを埋めることはできない。 ―中 略―  ところがそのとき私の考えていたのはラ・ベルマの演技を深く知ろうとすることだけで、私の頭にはそのことしかなく、その演技に含まれているものをそっくり受けとるべく私の思考をできるだけ広く開いておこうとしていた。ほかでもない、それこそ賞讃するということなのだと、いまや私も納得したのである。』 『まったく耳が聞こえない者にとって、ひとつの感覚の喪失はひとつの感覚を獲得したときと同じほどに多くの美を世界にもたらすもので、 そんな人はこの「地上」をいまだ音が創造されていなかったころの楽園のようにうっとりとして散策する。』 見えない者には、見えないことで見えてくる世界があるのだろうか。 であるなら、見えないこともそれほど悲観するまでもないのだが。

Posted byブクログ

2020/04/02

ラ・ベルマの2度目の観賞を通して、一回目とは全く異なる芸術観が示される。 サン・ルーの部屋での音の描き方。 軍事談義の奥深さ。 電話の描き方。深め方。 どれも舌を巻く。 毎度のことながら、訳者後書きが理解を深めてくれる。

Posted byブクログ

2019/03/19

これは小説なんだけど、小説だと思わないで、20世紀初頭のフランスにいた1人の青年のエッセイだと思うと気楽に楽しめる。初めて祖母に電話した時の描写などは素晴らしい感性だと感心する。 主人公の家族に関してこれまでおばあちゃんとレオニ叔母さん、それに女中のフランソワーズは存在感があっ...

これは小説なんだけど、小説だと思わないで、20世紀初頭のフランスにいた1人の青年のエッセイだと思うと気楽に楽しめる。初めて祖母に電話した時の描写などは素晴らしい感性だと感心する。 主人公の家族に関してこれまでおばあちゃんとレオニ叔母さん、それに女中のフランソワーズは存在感があったが、両親や祖父はあまり印象に残らなかった。一緒にいる時間が少ない事もあるだろうが。この巻ではそれぞれの人となりが此までよりもくっきりしてきた。

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2018/04/25

ここから第3篇。4巻読んでからから1年以上もあいてしまった。 相変わらず長々うだうだやってるんだけど、どういうわけか今までになくすいすい読める。すいすい読めるおかげで筋がわかりやすいし面白さも増えた。5巻読んだらまた別のを読もうと思ってたけど、このまま6巻を読むことにしようか。

Posted byブクログ

2013/09/02

だいたい、こんなとりとめのない長編を書き続ける(コルク張りの無音の部屋で)という行為そのものが狂気であって、そこに最も惹かれ続けている。プルーストの文体の大まかな特質、パターンは、{場面の実際的な記述、出来事→プルースト(語り手、「私」)の見解=脱線に脱線を重ねて膨張する傾向があ...

だいたい、こんなとりとめのない長編を書き続ける(コルク張りの無音の部屋で)という行為そのものが狂気であって、そこに最も惹かれ続けている。プルーストの文体の大まかな特質、パターンは、{場面の実際的な記述、出来事→プルースト(語り手、「私」)の見解=脱線に脱線を重ねて膨張する傾向がある→場面の実際的な記述、出来事(最初の出来事などの帰結)}であろう。この真ん中の部分は塊として読んで読み飛ばせる。ただし、p395のケンカのような場面で、拳で殴りつけるような動作について「卵形の物体」がどうのこうのというようなユニークなものも多い。プルーストは下手であるだろうし、散漫でさえあるだろうが、その書き手の特性が所々にはっとするような、独創的な表現を散りばめることに成功している。とはいえ、やはり病的であろう。脱線して膨れ上がるキメラ。物語の筋はあってないようなもの。どうでもよいだろう。また、やはりプルーストが同性愛者であるということもあるのか、同性(男)の描写が多い気がする。第五巻は、サン・ルーやロベールとの接触が多いからか。ゲルマント公爵夫人への憧れを傘にきても性向は隠せない。 それにしても、この作品それ自体よりほかの解説や分析の方が面白いかもしれない。そういう傾向があるとすると、そういう作品性は一体なんなのか。マスターピースになりうるのは、この作品より解説や分析が面白いということに関係があるはず。訳者のあとがきを読めば、この訳で読んでもよいと思えるはず。

Posted byブクログ