1,800円以上の注文で送料無料

日本古代の寺院・官衙造営 の商品レビュー

5

1件のお客様レビュー

  1. 5つ

    1

  2. 4つ

    0

  3. 3つ

    0

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2022/01/26

養老四年(720)に藤原不比等が亡くなった後、皇親の長屋王を首班とする議政官たちが直面した蝦夷・隼人の叛乱にどう対応したのかを東は多賀城や下野薬師寺など、西は大宰府と筑紫観世音寺などから考えている。更に若き日の造宮卿藤原武智麻呂との関係についても記されている。 下野薬師寺といえ...

養老四年(720)に藤原不比等が亡くなった後、皇親の長屋王を首班とする議政官たちが直面した蝦夷・隼人の叛乱にどう対応したのかを東は多賀城や下野薬師寺など、西は大宰府と筑紫観世音寺などから考えている。更に若き日の造宮卿藤原武智麻呂との関係についても記されている。 下野薬師寺といえば、のちに孝謙天皇の信頼が厚かった道鏡が別当として左遷された場所である。元々はこの地の有力氏族下毛野氏の氏寺だったものが、このころ官寺となったということが発掘成果や正倉院文書などの史料から推測できるらしい。 また、多賀城の第1期とも時期がかさなるとみられ、同一の政策の下に造営された可能性もあるという。 古代の東国だけでなく、のちの国分寺・国分尼寺にもつながる地方の官衙や寺院の状況がこの本を読むと理解できると思う。 前期多賀城の壮麗さについても解説されていて面白い。藤原京を縮小したような構造など、造営当時は非常に威圧感のある佇まいだったのではないかと想像をめぐらせてしまう。

Posted byブクログ