海の見える病院 の商品レビュー
震災から10年、だんだん薄れていく感があるのを実感していた。勧められて読んでみた。 実際に被災したが内陸のため最悪を逃れた私。このような病院の生々しい悲劇を読み、亡くなった方、生き残った方どちらも辛い思いをしている。その思いは計り知れない。 ぜひウチの子供にも読んで欲しい一冊。 ...
震災から10年、だんだん薄れていく感があるのを実感していた。勧められて読んでみた。 実際に被災したが内陸のため最悪を逃れた私。このような病院の生々しい悲劇を読み、亡くなった方、生き残った方どちらも辛い思いをしている。その思いは計り知れない。 ぜひウチの子供にも読んで欲しい一冊。 生かされていることを知って欲しい。
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「だから彼らには「逃げる」という発想が、そもそもなかったのだ。 荒れ狂う海原に身を預けながら、病院の職員であることを果たして 後悔しただろうか。 山田薬剤部長らが、最後にかけた患者への言葉が、その思いを象徴 している。 シーツに包んだ患者を、やっとの思いで屋上に引...
「だから彼らには「逃げる」という発想が、そもそもなかったのだ。 荒れ狂う海原に身を預けながら、病院の職員であることを果たして 後悔しただろうか。 山田薬剤部長らが、最後にかけた患者への言葉が、その思いを象徴 している。 シーツに包んだ患者を、やっとの思いで屋上に引き上げた。だが、そこ は地獄だった。まさに自分たちが津波に呑まれようとしているそのとき、 山田は患者に謝った。 「ごめんね」と。 多くの職員を失った雄勝病院は、また同時に40人の患者を死なせてし まった。残った職員は、多くの同僚を失った悲しみと同時に、患者を守れ なかった負い目を抱えながら生きている。雄勝病院の惨状が、まるで秘 事のように語られてこなかったのは、そこに二重の悲劇があるからだ。」 引用が長くなった。東日本大震災で大津波が襲った石巻市。大川小学 校の惨事は犠牲者が子供だったこともあり、多くの報道がなされた。その 陰にもうひとつの悲劇があったことを私は知らずにいた。 雄勝湾の奥、海を臨む療養型の雄勝病院はあの3月11日、3階建ての 病棟の屋上までが津波に襲われた。震災当日、ほぼ寝たきりの高齢の 入院患者40人、外出者を除く職員28人が病院内にいた。しかし、生き 残ったのはわずか4人であった。 福島第一原子力発電所の事故で避難区域に指定された病院の、混乱 のなかでの避難の模様を綴った作品は読んでいた。あれも辛かったが、 本書はそれ以上に辛かった。 「患者を置いて逃げられない」。住民に避難を促された副院長は院内に 戻り、津波に流された。非番だった看護師は病院に駆けつけ命を落とし た。屋上にいたはずの看護部長の遺体は3階の病室で発見された。 最後の最後まで患者に寄り添う為に、看護部長は屋上から病室へと 戻ったのか。 命を守るはずだった患者を死なせてしまったことへの、自分が生き残った ことへの負い目をそれぞれが抱えていた。 あの大災害だ。仕方なかったじゃないかと思う。しかし、医療従事者である 彼ら。彼女らの意識は違う。まずは患者のこと。だから、余計に心に抱えた 傷と闇は深いのだろう。それだからこそ、報道もほとんどなかったのだろう。 だって、辛いもの。同じ言葉を繰り返すようだが、辛いよ、こんな体験を 語るのは。同僚も患者も失ってしまったのだもの。 亡くなった患者の中には、大震災直前に体調を崩し看護師が強く入院を 勧めた高齢女性もいた。入院を勧めた看護師は遺族に責められる覚悟 でいた。だが、女性の遺族は看護師を責める言葉を持っていなかった。 この部分、読んでいて救われた思いだった。患者の為を思って、患者に 向き合って来た看護師たちの働きを、家族は見ていてくれたのだろうな。 大手メディアが報道したら、きっと妙なドラマに仕立て上げられていただろう と思った。著者が生き残った病院関係者の元に通い、根気強く取材をして くれたおかげて生き残った人々がその重い口を開いてくれたのだろう。 雄勝病院の「あの日」も、語り継がれるべきものだと思う。 命を守ろうとして、命を失った人たちがいる。せっかく屋上に運んだ患者 を、海水が流れ込んでくるコンクリートの床にそっと降ろすしかなかった 時の心情はいかばかりだったのか。 「ごめんね、ごめんね」。患者にそう言って、自身も濁流に呑まれてしまった のだもの。
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※このレビューにはネタバレを含みます
広島の原爆を体験した方に会った事がある。その方は、約60年間、一度も語る事が出来なかったと。言葉にするには、あまりにも辛いと。体験した話を聞くよりも、語る事が出来なかった60年間を思い、胸が痛んだ。想像をはるかに超える現実があったのだと感じた。 この本は、東日本大震災による津波で入院患者を亡くし、多くの職員を失った病院の話である。生き残った職員は、同僚を失った悲しみや患者を守れなかった自責など、我々には計り知れない思いがあると思う。また、職員同士でも当時の状況によって思いが変わる。 語ることで救われる方もいれば、傷つく方もいる。 この本が今でよかったのか・・・わからない・・・。 著者も悩みつつ取材をし書きあげた事が伝わってくる。 多くの思いを感じ胸がいっぱいになった。ただ、亡くなった方々のご冥福を祈ることしか出来なかった。
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忘れかけていた感覚が呼び覚まされて、涙が出てきた。震災後、目に焼き付けておこうと宮城県の沿岸部に何回も行ったが、雄勝病院は本当に海の真ん前に建つ、景色の良さが容易に想像できる病院だった。病院裏の家の屋根には軽自動車が乗っていて、その反対側を見ると、津波が襲ってきたとは思えないほど...
忘れかけていた感覚が呼び覚まされて、涙が出てきた。震災後、目に焼き付けておこうと宮城県の沿岸部に何回も行ったが、雄勝病院は本当に海の真ん前に建つ、景色の良さが容易に想像できる病院だった。病院裏の家の屋根には軽自動車が乗っていて、その反対側を見ると、津波が襲ってきたとは思えないほど静かに凪いでいる海があった。しかし、そこには医療従事者として、決して避けては通れない道があったことをこの本を読んで痛切に感じされられた。 著者の文章や表現に対する批評は二の次になる内容だと思う。
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同業者として、極限におかれた状況下の判断は、正誤はない。 患者を残して避難することも『正』である。 患者を助けられずに悔むより、助かったことに、まず感謝と希望が生まれる。
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語ることができないでいる人たちは、ここに限らずたくさんいる。語ることが必ずしも良いことではないんだろう。 『想像ラジオ』と併読していたので、『〜ラジオ』のすごさが引き立ってしまった。。構成、文章力にもう少し長けていれば、もっと良い作品になったのではと思う。
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