洟をたらした神 の商品レビュー
折に触れて読みたい本というのはこういうものを言うのだろう。厳しい生活、夫との関わり、戦争、我が子の死‥が人生の終わりが近づいた著者の透徹した眼差しで綴られる。 とにかく惹かれたのは文体だ。表現が、レトリックが恐ろしいまでに的確なのだ。それは文章の勘所を捉えてるのはもちろん、書き込...
折に触れて読みたい本というのはこういうものを言うのだろう。厳しい生活、夫との関わり、戦争、我が子の死‥が人生の終わりが近づいた著者の透徹した眼差しで綴られる。 とにかく惹かれたのは文体だ。表現が、レトリックが恐ろしいまでに的確なのだ。それは文章の勘所を捉えてるのはもちろん、書き込まれた体験、思考のの一つ一つが著者の骨身に刻み込まれたところから発するものなのだからだろう。凄まじい説得力をもって迫る掌編集。
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選ぶ言葉の全てに、愛情が詰まっている。 子どもに向ける愛情。畑に向ける愛情。 夫に対する、愛憎。 けれども、愛情だけではない、冷静というのか、俯瞰しているというのか、そういう書き方がとても好き。 1歳にならずに死んだ「梨花」。自分の至らなさまで包み隠さずに書く、描写の全部が真摯で、美しい。美しい、というのはそぐわない言い方かもしれないけれど。 入営した息子に会いに行く「船の旅」。その行程を淡々と綴っているだけなのに、出征する兵との会話、それを見送るひとの様子、その最後、一瞬だけの息子との会話を読んで、ふいにめちゃくちゃに泣いてしまった。 「今でもね、白髪を振り乱して、はだしで渚をびたびた波にずぶ濡れてひた走る自分の凄いおわりの幻想を考げえることともあるしね」 境遇が違ったら、時代が違ったら、ぜんぜん違うものが読めたのかな、とも思うし、この時代に生きて、70歳を過ぎてから書いたものだからこその、この本、だとも思う。 私には無理、と思いながらも、自分の芯にしたい本。
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書評で読む。ほんの百年も前、日本はまだまだ貧しかったんだなあ。余裕が無い悲しさ辛さを伝えるこういう本は大事なんだけど、読んでて辛い。
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多くの人が、名作と称える本書は、たしかにその冒頭から重く、かつ繊細な文章は読む人を捉える。一文は長めだと感じたが、そのなかで表情を繊細に変える。昭和初期の重い日常が色と香りとともに届くようだった。地に足の着いた文章というのはまさにこんな文章なのかもしれない。
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20201213 揺らぎのない文章。読んでいてそこまでと思う。日本の一時期の生活記録として、冷静でぶれないので大事な資料にもなると思う。潔い文章だと思う。
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あすへの話題草野心平の言葉 ノンフィクション作家 梯久美子 2017/11/15付日本経済新聞 夕刊 吉野せいという作家がいる。70歳を過ぎてから書き始め、76歳のとき『洟(はな)をたらした神』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。選考委員の開高健は選評で「怖(おそ)るべ...
あすへの話題草野心平の言葉 ノンフィクション作家 梯久美子 2017/11/15付日本経済新聞 夕刊 吉野せいという作家がいる。70歳を過ぎてから書き始め、76歳のとき『洟(はな)をたらした神』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。選考委員の開高健は選評で「怖(おそ)るべき老女の出現である」と書いている。1977年11月に78歳で死去、今月でちょうど没後40年になる。 福島県出身で、開拓農民の妻として生涯を働きづめに働いた。若い頃から文学の才能を認められていたが、農作業と家事に追われて書くことができなかった。農民詩人だった夫は文学に情熱を傾けたが、そのぶん家庭を顧みず、彼女が生活を支えなければならなかったのだ。ようやくペンを持つことができたのは、子供たちが巣立ち、夫を見送った後のことである。 執筆を勧めたのは、夫の友人だった詩人の草野心平である。せいが自らの才能を封印して生きてきたことを知っていた草野は、「あんたは書かねばならない」と強い言葉で語りかけた。「いいか、私たちはまもなく死ぬ。私もあんたも、あと一年、二年、まもなく死ぬ。だからこそ仕事をしなければならないんだ。生きているうちにしなければ――。わかるか」。このとき、せいは72歳で、草野もまた70歳を目前にしていた。 草野の言葉に背中を押され、せいは書き始めた。極限の貧しさの中に生きる農民たちの姿を、石混じりの土のようなごつごつした抒情(じょじょう)のうちに描いた作品は、今読んでも圧倒的だ。 もし草野がいなければ、せいは一生書かないままで終わったかもしれない。すぐれた文学が生み出される陰には、ときおり、産婆(さんば)のような役割を果たす、こうした人物が存在することがある。
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誰でも一生に一冊は本を書ける、 ということはよく言われることですが この本はその一冊が超ど級だったというパターンです。 すごい本です。 著者の吉野せいさんは明治32年いわき市の生まれ。 2年間だけ小学校教員を勤めて その後は詩人の夫とともに 子供を育てながら農業に従事。 70歳...
誰でも一生に一冊は本を書ける、 ということはよく言われることですが この本はその一冊が超ど級だったというパターンです。 すごい本です。 著者の吉野せいさんは明治32年いわき市の生まれ。 2年間だけ小学校教員を勤めて その後は詩人の夫とともに 子供を育てながら農業に従事。 70歳を過ぎてからこの作品に収められた16のエッセイを 書き上げたという事です。 大正から昭和にかけての農業の事や 子供の成長の事なんかを 今目の前で起こっている出来事のように 瑞々しく書いてくれています。 冒頭に「春」と題された 畑仕事を書いたエッセイの中で描かれている 生命の美しさ、これはたまりません。 筆者の吉野せいさんは少しでも広い畑を持ちたいと 毎日スコップで荒れ地を開墾しながら働きます。 なぜなら家族が多いからです。 バンと名付けた犬、にわとりが8羽、あひるが3羽。 ↓ 『これらの仲間の胃袋をふさぐ責任が、ひとから言わせたら 馬鹿馬鹿しいと鼻であしらわれそうなことなのに、してやりたい 責任を無理なく私らは感じているのです』 ある日その8羽の鶏のうちの1羽の姿が見えなくなる。 イタチにでも襲われたのか?と心配していると 朝方、夫の大きな声に呼ばれ庭に出てみる。 ↓ 『「おいおい、出てみろ!」 私は洗いかけた飯茶碗を桶の中に又放り込んで、 眩しい朝日の一面光る庭に出ました。 どんな声がその時私ののどからとびだしたか思い出せません。 兎にも角にもまるで降って湧いたように 小さな雑草の生え始めた土の上に、 あのとさかの垂れためんどりと 十一羽の黄色いひよこが晴れ晴れしく動いているではありませんか 〜中略〜 黄色い細い脚をともかくも踏ん張ったり よろめいたりししっかり歩いたり、 はじめて見るこの世界に驚いたり 喜んだり戸惑ったりしているようです』 ↓ そんな光景を思い出して せいさんはこのエッセイをこんな言葉で閉じます。 ↓ 『ひとりの子を生むのにさえにんげんはおおぎょうにふるまいますが、 一羽のこの地鶏は何もかもひとりでかくれて、 飢えも疲れもねむけも忘れて 長い3週間の努力をこっそり行ったのです。 自然といいきれば身も蓋もありませんが、 こんなふうに誰にも気がつかれなくともひっそりと、 然も見事な命を生み出しているようなことを、 私たちも何かで仕遂げることが出来たら、 春はいいえ人間の春はもっと美しく強いもので いっぱいに充たされていくような気がするのです。』 それからタイトルの洟をたらした神というのは 息子さんのノボルのことです。 ノボルは当時流行のヨーヨーを欲しがる。 しかしお金がないために買ってやる事ができない。 ノボルは家を出て行く。 遅くなっても帰ってこないので心配していると 息子が得意そうな顔をして帰ってくる。 手には自分で作ったのであろうヨーヨーを手にしている。 ↓ 『その夜、吊りランプのともるうす暗い小屋の中は、 珍しく親子入り交じった歓声が奇態にわき起こった。 見事、ノボルがヨーヨーを作り上げたからであった。 古い傷口が癒着して上下の樹皮がぼってりと、 内部の木質を包んでまるく盛り上がった 得難い小松の中枝がその材料であった。 枝の上下を引き抜き、 都合良く癒着の線がくびれている中央に ぐるり深くみぞを彫り込み、 からんだ糸は凧糸を切って 例のあぶらぼろで磨いて滑りをよくした入念な仕上げだ。 せまい小屋の中から、 満月の青く輝く戸外にとびだしたノボルは、 得意げに右手を次第に大きく反動させて、 どうやらびゅんびゅんと、 光の中で球を上下しはじめた。 それは奇妙な奇術まがいの遊びというより、 厳粛な精魂の恐ろしいおどりであった。』 ↓ 月夜に照らされて手作りのヨーヨーを操る我が子の姿。 なんとも神々しい場面、まさに神、洟をたらした神と せいさんの瞳には映ったのでしょうね。 こういう文章を読むと、 技巧がどうしたこうしたとか、 才能があるとかないとか そんな事はどうでもよくなってしまいますね。 つまるところ、 どれだけ目の前の出来事に まっすぐに向き合ってきたのか? つまりどれだけ日々を真摯に生きてきたのか? それを出来る範囲で誠実に言葉にすること、 そういうことなんだろうなあ、 と思ってしまいます。 2017/01/17 22:54
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”素晴らしい文章”か何かで検索してお勧めされた作品。 70歳を過ぎてからの数年間で執筆されたとか。 簡単には読めなかった。文章が骨太で重いのだ。 上っ面ではなくて、一字一字に覚悟が宿っているような。吉野さんは読者を意識して書いた訳ではないだろう。けれど、読む側が軽い気持ちで読むこ...
”素晴らしい文章”か何かで検索してお勧めされた作品。 70歳を過ぎてからの数年間で執筆されたとか。 簡単には読めなかった。文章が骨太で重いのだ。 上っ面ではなくて、一字一字に覚悟が宿っているような。吉野さんは読者を意識して書いた訳ではないだろう。けれど、読む側が軽い気持ちで読むことをさせてくれない、何か強い意志を感じた。 日々、ただ生きるために、自分と家族を養うために、それだけといえばそうだけど、一番大事な部分、生きることの根っこと向き合ってきた人の文章だから、私の胸にぐいぐい迫ってきたのだろう。
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※このレビューにはネタバレを含みます
福島いわきの開拓小作農家であり詩人であった三野混沌の夫人、吉野せいさんの自伝。貧困の中での子供の事、出会った人々の事等々。 吉野さんは当然プロの書き手ではないですが、選ばれる言葉は素朴かつ質実で、力があります。文体は違いますが、水俣病を描いた石牟礼道子さんの「苦界浄土」を思い出しました。悲惨さを描くには美しすぎる文章でしたが。
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こういう文章が老年になっていきなり書けるというのは、すごい。 厳しい生き方をした人だけに緩みのないきりりとした文章。ロマンティシズムや抒情性が育つほど豊かな生活ができなかったせいか、ゆったりしたところややわらかい感じはない。 流行っていたヨーヨーを子どもに買ってやれない「洟をたら...
こういう文章が老年になっていきなり書けるというのは、すごい。 厳しい生き方をした人だけに緩みのないきりりとした文章。ロマンティシズムや抒情性が育つほど豊かな生活ができなかったせいか、ゆったりしたところややわらかい感じはない。 流行っていたヨーヨーを子どもに買ってやれない「洟をたらした神」は明るさが感じられるが、貧しいがゆえに死なせてしまった赤ん坊の思いでを綴る「梨花」は切ない。戦時中の理不尽な出来事を描く「公定価格」、貧しい者がさらに貧しい者を捕らえる「いもどろぼう」など忘れがたい。 下手な作家が書けば「それがどうした」ということになってしまうような平凡な日常でも、この人が書くと、斬り込まれるような鮮やかさが感じられる。
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