現象学ことはじめ の商品レビュー
野中郁次郎氏および山口一郎氏の共著『直観の経営 「共感の哲学」で読み解く動態経営論』を読んで、山口一郎氏の解説が分かりやすかったこともあり、竹田青嗣氏の『現象学入門』を読んで基礎的な知識を得た後に、山口氏が著した現象学の入門書も読んでみたくなり購入。 哲学の入門書は、哲学をより...
野中郁次郎氏および山口一郎氏の共著『直観の経営 「共感の哲学」で読み解く動態経営論』を読んで、山口一郎氏の解説が分かりやすかったこともあり、竹田青嗣氏の『現象学入門』を読んで基礎的な知識を得た後に、山口氏が著した現象学の入門書も読んでみたくなり購入。 哲学の入門書は、哲学をより深く、または専門的に学びたいと思っている読者のためのガイド的役割のものが多いが、本書は創始者であるフッサールの現象学を対象としつつ、現象学が"日常生活を重視する哲学"と位置づけ、サブタイトルも「日常に目覚めること」として、普段当たり前のこととして気にも留めない事象(数えること、時がたつこと等)をあえて取り上げ、それを現象学的アプローチによって解説する構成となっている。これは、いわゆる教科書的な"段階的積み上げ"ではないものの、初学者にとってはとっつきやすい構成といえる。 また、誰しも経験したであろう事例を取り上げたり、ただでさえ難解な現象学の解説に可能な限り平易な言葉を用いたりしたところに筆者の工夫と苦労が窺える。 自分は、哲学への興味のきっかけが「時間論」であり、最初に何気なく中島義道氏の時間論を読んだのだが、本書では中島氏の時間論における分析哲学的アプローチを真っ向から批判し、「過去把持」「未来予持」「延長志向性」「交差志向性」「受動的綜合」「相互主観性」などの現象学特有の用語を使いながら"現象学的時間論"を展開している。 中島氏の分析哲学的時間論も説得力を持つが、分析哲学特有の言語分析から解説される時間論がいまいち腑に落ちなかった身としては、「過去⇒現在(今)⇒未来」といった"一方向の一次元的な客観的時間"ありきの論考よりも、"今"を"点"ではなく過去把持と未来予持による「生き生きした現在」として幅を持たせ、相互主観性によって"時間の流れ"が生成されるという現象学的時間論は、これまでに読んだどの時間論よりも腹落ちした。 ただ読了後の率直な感想としては、著者の読みやすさにこだわった構成であっても、"現象学全般"の理解には至らなかった。 本書は2002年に出版された初版に対する読者からのフィードバックを基に、より分かりやすさを追求して2012年に改訂版として出版されたものであるが、それでも300ページを超える分量に対してほとんど図表がなく、かつ読み進むに従って現象学用語が頻発されてくるため、初学者にとっては最後まで理解しながら読み切るのは骨が折れると言わざるを得ない。 とはいいつつ、本書が現象学を学ぼうという読者に対する新たな視座を与えてくれるというということもまた事実である。 時間論のみならず、異文化に触れたときに誰もが体験する"カルチャーショック"が現象学を理解するきっかけにもなり得るという論考は、グローバル化の進展する現代社会においても現象学が有用であることを示唆しており大変興味深い。 日々の当たり前とされている出来事や種々のメディアから流れてくる情報、そして自分の専門分野でさえも一度立ち止まってその本質を徹底的に見つめ直す(=本質直観する)ことの重要性と有用性を現象学は教えてくれるのだと、本書を読んで再認識した次第である。
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フッサール現象学の解説書です。本書の「はじめに」には「この本は、現象学の入門書です」と書かれていますが、ふつうの入門書では取り上げられることのすくない、内的時間意識の構造や受動的総合、発生的現象学についてのくわしい説明がおこなわれているのが特徴です。 われわれの日常を構成してい...
フッサール現象学の解説書です。本書の「はじめに」には「この本は、現象学の入門書です」と書かれていますが、ふつうの入門書では取り上げられることのすくない、内的時間意識の構造や受動的総合、発生的現象学についてのくわしい説明がおこなわれているのが特徴です。 われわれの日常を構成しているさまざまな現象は、現在と過去把持・未来予持のあいだに「相互覚起」による対化が生じることを源泉にもっています。それと同時に、そうした周囲世界を構成しつつその世界を生きている自己もまた、自他の区別のつかない先自我の本能的志向性によって予感された意味との相互覚起を通して、身体の自己中心化による形成を遂げていきます。本書は、このような明示的な構成に先立つ受動的総合の次元で生じている出来事の全体像を、時間や身体、他我といった、現象学ではおなじみのテーマの解説を通してえがき出しています。 本書は語り口こそやさしいものの、高度な内容にまで踏み込んで解説をおこなっています。また、著者自身の解釈を積極的に提出しており、村田純一、浜渦辰二、野家啓一といった研究者らのフッサール解釈に対する批判も述べられており、入門書というにはかなり意欲的な内容になっています。もし本書の内容が難しいと感じられるようであれば、谷徹の『これが現象学だ』(2002年、講談社現代新書)など、他の入門書を読んでから、再チャレンジすることをお勧めします。
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現象学は、この自分の常識が、実は、ちょうど自分の性格のように、これまでの自分の生活をとおして作り上げられてきている、つまり、自分の常識になってきていることに気づくように仕向けます。つまり、現象学は、自分と他の人の常識との「ずれ」を感じるとき、その「ずれ」について考え、どうして、そ...
現象学は、この自分の常識が、実は、ちょうど自分の性格のように、これまでの自分の生活をとおして作り上げられてきている、つまり、自分の常識になってきていることに気づくように仕向けます。つまり、現象学は、自分と他の人の常識との「ずれ」を感じるとき、その「ずれ」について考え、どうして、その「ずれ」が生じるのか、自分と他の人の「常識の成り立ち」を本当に納得できるまで考え尽くそうとします。(山口一郎)
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