ソクラテスの弁明 の商品レビュー
私はあなたがたよりもむしろ神にしたがいます。息のつづく限り、可能な限り、私は知を愛し求めることをやめませんし、あなた方のだれかに出会うたびに、勧告し、指摘することをけっしてやめはしないでしょう。 恥ずかしくはないのですか、金銭ができるだけ多くなるようにと配慮し、評判や名誉に配慮...
私はあなたがたよりもむしろ神にしたがいます。息のつづく限り、可能な限り、私は知を愛し求めることをやめませんし、あなた方のだれかに出会うたびに、勧告し、指摘することをけっしてやめはしないでしょう。 恥ずかしくはないのですか、金銭ができるだけ多くなるようにと配慮し、評判や名誉に配慮しながら、思慮や真理や魂というものができるだけ善くなるようにと配慮せず、考慮もしないとは。 はい、反省。 ソクラテスの弁明自体はすごく短いんだな。 知らなかったよ。
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今から約二千五百年前、反感を買っていた人々から「ソクラテスはゼウス神を信じておらず、亜教の神々を信じるようにギリシャの若者をたぶらかしており、公衆秩序を混乱させている」という罪で裁判所での弁明を余儀なくされる。 そこでの語りを後に弟子だったプラトンが物語にしたのがこの本であるとの...
今から約二千五百年前、反感を買っていた人々から「ソクラテスはゼウス神を信じておらず、亜教の神々を信じるようにギリシャの若者をたぶらかしており、公衆秩序を混乱させている」という罪で裁判所での弁明を余儀なくされる。 そこでの語りを後に弟子だったプラトンが物語にしたのがこの本であるとのこと。 ソクラテスは「私は無知の智を知っている」と言っているが、果たしてそうだったのか?と疑問が浮かんできた。ソクラテスは対立する人々から怒りや恨みをかっていたのはわかっていたが、その心を理解できていないことに気づいていないように思う。確かに腐敗した政治家や権力者がいただろうし、生死を賭けて自身の正義を貫き通す姿に共感を覚える人もいるだろうが、私にはその弁明がさらなる亀裂を作るような痛々しさを増幅させているようにしか感じられなった。裁判員は500程。30票差で死刑が宣告される。もう一度智とは一体何なのかを考えさせられるきっかけとなった。
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ソクラテスの裁判とは何だったのか?ソクラテス の生と死は何だったのか?その真実を、プラトン は「哲学」として後世に伝える。シリーズ第3 弾。プラトン対話篇の最高傑作。
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活字が大きく、文体も読みやすいです。他の訳の多くが「だ・である」調になっているのに対し、本書は「です・ます」調で書かれており、この違いだけでもソクラテスに対する印象がだいぶ違ってきます。また、本文の前にある「訳者まえがき」と本文のあとの「解説」も素晴らしく、読み方や考え方のヒントを提示してくれています。 一番印象に残ったシーンは一七の29A後半です。引用します。 「と言いますのは、死を恐れるということは、皆さん、知恵がないのにあると思い込むことに他ならないからです。それは、知らないことについて知っていると思うことなのですから。死というものを誰一人知らないわけですし、死が人間にとってあらゆる善いことのうちで最大のものかもしれないのに、そうかどうかも知らないのですから。人々はかえって、最大の悪だとよく知っているつもりで恐れているのです。実際、これが、あの恥ずべき無知、つまり、知らないものを知っていると思っている状態でなくて、何でしょう。」 これが世間一般に言われている"無知の知"の具体例なのか、こういうことなのかと。 (解説122ページでは"無知の知"という呼称は誤りだと説明されています。が、"無知の知"は一般的に浸透している言葉だと思ったのでそう書きました) この部分ですが、「だ・である調」の訳で読むと、なんだか上から目線な印象を受けます。他の訳と読み比べてみても新たな気づきがあり、買って本当によかったと思っています。
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ずいぶん前に岩波文庫版を読んだが、その時は、ソクラテスの偉そうな物言いばかりにひっかかり、むしろ聴衆側に感情移入してしまった。それに比べてこの新訳は、現代の普通の語り言葉で訳されていて、ソクラテスのセリフを必要以上に尊大に感じさせたりしない。で、今回感じたのは、ソクラテスが市民の...
ずいぶん前に岩波文庫版を読んだが、その時は、ソクラテスの偉そうな物言いばかりにひっかかり、むしろ聴衆側に感情移入してしまった。それに比べてこの新訳は、現代の普通の語り言葉で訳されていて、ソクラテスのセリフを必要以上に尊大に感じさせたりしない。で、今回感じたのは、ソクラテスが市民の多くから反感を買われているのをひしひしと感じながら、飽くまで、ポリスの法の枠を守りつつ、自分の立場を人びとに必死に伝えようとしている姿である。今回はソクラテスに感情移入した。
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友人からのお勧めで読みました。 ソクラテス文学(哲学)はまぁ有名なので常識的な範囲では知ってたけど実際読むのは初。 この本はソクラテス(プラトン)入門という感じですね。 新訳で読みやすいし、解説もしっかりしてて理解が深まります。 知とは 正義とは 善く生きるとは 西洋哲学の...
友人からのお勧めで読みました。 ソクラテス文学(哲学)はまぁ有名なので常識的な範囲では知ってたけど実際読むのは初。 この本はソクラテス(プラトン)入門という感じですね。 新訳で読みやすいし、解説もしっかりしてて理解が深まります。 知とは 正義とは 善く生きるとは 西洋哲学のスタートであり根っことなった哲学的なテーマが扱われてますが、 裁判を舞台とした対話形式なので読みやすい。 面白かったのは、「無知の知」についての解説。 非常に有名な概念だし、意味するところはわりと理解しやすいと思ってたんだけど、この言葉自体が誤解を招きやすい、と。 ソクラテスが繰り返し表明するのは「知らないと思っている」ということであり、無知の知ということばから導かれるような「無知を知っている」とは態度がまったく違うという指摘。 けっきょく自分はあなたの知らないことを知っている、と言ってしまっては意味がなく、あくまでも「知らない」という謙虚な態度こそが「知」を求めるということである。 これはものすごい納得した。 「真実を語る」というソクラテスの言葉が、ただ語りの内容のみではなくその聴衆の態度反発やその結果導かれる死刑という判決まで含めた「真実」である、などこういう仕掛け的なすごさや気付きもあったけど、無知の知の捉え方の方が感動。 もう1個おすすめされてる「ゴルギアス」も面白そうなんで読んでみようかと思います。
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弁明の邦訳、解説のほか、プラトン対話篇を読むための手引きもついているので、プラトンやソクラテスに興味があるといった方には特にオススメします。納富訳の特徴としては、写本に忠実であり、プラトン研究者の指摘する語句の削除や追加、変更などにはあまり従わない傾向にある、といったところでしょ...
弁明の邦訳、解説のほか、プラトン対話篇を読むための手引きもついているので、プラトンやソクラテスに興味があるといった方には特にオススメします。納富訳の特徴としては、写本に忠実であり、プラトン研究者の指摘する語句の削除や追加、変更などにはあまり従わない傾向にある、といったところでしょうか。
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・かつて岩波文庫の久保勉訳で読んだことがあるが、それよりも格段に読みやすい。もちろん格調高い久保氏の翻訳が果たした功績は尊重されるべきと思うが、教養主義の時代が終わった今、難解な哲学書を平易な日本語に訳しなおす時期にきているのだと思う。この新訳の誕生を素直に喜びたい。 ・ただ、...
・かつて岩波文庫の久保勉訳で読んだことがあるが、それよりも格段に読みやすい。もちろん格調高い久保氏の翻訳が果たした功績は尊重されるべきと思うが、教養主義の時代が終わった今、難解な哲学書を平易な日本語に訳しなおす時期にきているのだと思う。この新訳の誕生を素直に喜びたい。 ・ただ、スラスラ読めてしまうだけに、ソクラテスの主張を「判ったつもり」になってしまうのが唯一の難点だ(「無知の自覚」を促したソクラテス先生に申し訳が立たない)。しかし、誤読・誤解しやすい箇所は訳者解説で丁寧に注意喚起されていて、訳文といい解説といい、本当に心が行き届いていると思う。 ・原告からの死刑求刑に対して、被告人ソクラテスが「自分は何も悪いことはしていない。むしろ善いことをしたのだからメシを食わせろ」と放言するくだりなどは、とんでもなく滑稽な場面であり、喜劇的ですらある。思えば、ソクラテス裁判自体が、全体を通じて、ソクラテスが弁明すれば弁明するほど裁判員の反感を買って死刑に近づいていくという一種の喜劇的な構造を持っていることに、今さらながら気がついた。 ・ソクラテスの死を単なる一面的な悲劇として取り上げるのではなく、多面的な悲喜劇として描き切ったプラトンの文学的力量は流石だ、とも思う。
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ソクラテスが裁判をかけられた時に語った文章。ソクラテスの考えに触れることで、自分の考えを見直すきっかけになる。
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解説がいい。見逃しがちなポイントが照らされている。 無知の知、なんてソクラテスは一度も言っていない。 無知の認識、あるいは無知の疑惑を自覚しているだけ。 自分は無知なのではないか?という疑いを抱いて、本当かどうか確かめるため、色々な人に尋ねて回る。 それが結果的に他者の無知を暴...
解説がいい。見逃しがちなポイントが照らされている。 無知の知、なんてソクラテスは一度も言っていない。 無知の認識、あるいは無知の疑惑を自覚しているだけ。 自分は無知なのではないか?という疑いを抱いて、本当かどうか確かめるため、色々な人に尋ねて回る。 それが結果的に他者の無知を暴くことになり、嫌われ、疎まれる。 確かに、嫌われるでしょうねー。 弁明でも、全く主張をまげず、挑発的ですらある。 昔からの批判に対する弁明が今でも古びない主張。後はおまけで、時代背景を感じさせるピントはずれな弁明。神関係ないし、政治家にならない理由なんて知りたくはない。
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