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屍者の帝国 の商品レビュー

3.6

288件のお客様レビュー

  1. 5つ

    56

  2. 4つ

    74

  3. 3つ

    72

  4. 2つ

    32

  5. 1つ

    8

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2012/08/30

いや、凄まじい。円城塔だからここまで連れてこれたんだ、もう前に進む事のない伊藤計劃と、もうその先を見る事のできない読者を。 この作品が二人の到達点ではないのは確かだけど、それでも二人が目指していた場所が遠くに見えるところまで連れてきてくれた。 しかしこの本に関して何を言おうとして...

いや、凄まじい。円城塔だからここまで連れてこれたんだ、もう前に進む事のない伊藤計劃と、もうその先を見る事のできない読者を。 この作品が二人の到達点ではないのは確かだけど、それでも二人が目指していた場所が遠くに見えるところまで連れてきてくれた。 しかしこの本に関して何を言おうとしても、全てあらかじめ物語に内包されている仕組みには舌を巻くとしか言いようがないな。

Posted byブクログ

2012/08/30

久々に止まらない本だった。 伊藤計劃はどこまで書いてたんだったか(プロローグまでだった)、プロットはほとんど記されてなかったってことだけど、円城塔は何か聞いていたんだろうか、どこまでが誰のプロットなんだろうか、そんなことをどうしても考えてしまったけれど、途中でどうでも良くなって、...

久々に止まらない本だった。 伊藤計劃はどこまで書いてたんだったか(プロローグまでだった)、プロットはほとんど記されてなかったってことだけど、円城塔は何か聞いていたんだろうか、どこまでが誰のプロットなんだろうか、そんなことをどうしても考えてしまったけれど、途中でどうでも良くなって、とにかく没頭して読んだ。 面白かった。 でもどうしても考えてしまう。これが大方伊藤計劃の筋によるものだったら。死を前にしてこの物語を作ってしまうのか、そうだとしたらそれはものすごく絶望的な気持ちになるのだけど、そうでなく大きく円城塔の意図によるものなら。その意図は。 以前読んだ円城塔の著作は私には読みづらかったのだけど、当然彼は今回伊藤計劃の読者を意識しただろうし、その結果としてのこの作品は本当に凄いと思う。こんな仕事ができるものだろうかと思う。 そうありながらしかも、円城塔だからこそなんだろうな、という部分もある。 物語を味わったその後に、小説家という仕事の凄さを見せつけられる思いのする作品だった。

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2012/08/29

時間がある人は読んで見た方がいいかもしれない。  いろいろな事を考えさせられる。この作品に出会って、他の作品にも興味を持った。自分が20代の時には、感じれなかっただろうもろもろが・・・出会えたタイミングが良かった。

Posted byブクログ

2012/08/29

スチームパンク風の歴史改変活劇であると同時に言語・意識・進化についての思弁的内容も併せ持つSF大作。伊藤計劃の未完の遺稿を円城塔が引き継ぐと知った時に感じた期待を大きく上回ってくれた。テーマやプロット、ガジェットは伊藤計劃的だが、その取り扱い方には円城塔らしさも。 次から次へと意...

スチームパンク風の歴史改変活劇であると同時に言語・意識・進化についての思弁的内容も併せ持つSF大作。伊藤計劃の未完の遺稿を円城塔が引き継ぐと知った時に感じた期待を大きく上回ってくれた。テーマやプロット、ガジェットは伊藤計劃的だが、その取り扱い方には円城塔らしさも。 次から次へと意外な役回りで登場する歴史、文学上の有名人にニヤニヤさせられつつ、その研ぎ澄まされた思考に圧倒される。エピローグも作品正立の経緯を思い起こさせ感涙もの。

Posted byブクログ

2012/08/28
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

作家にとって死とは何か、ということを考えてみると、それは作品が忘れ去られてしまうことだろう。作者がすでに死んだ身であったとしても、作品が読まれ続ける限りは、その作品の内に作家は存在する。 というよりも、作家とはつまり作品が読まれた後で事後的に存在すると感知されうる存在であるに過ぎないのかもしれない。少なくともテクスト論的にはそうでありうる。生身の作者はすでにこの世には存在していないのかもしれないが、その作品のテーマや文体に作家は生き続けている。新しく作家の作品を読む読者は、作家が100年前に死んでいようが、1000年前に死んでいようが、その作品の内に作家を見出す。その意味では、作者は紙に印字された言葉や画面に映された言葉の中に生き続けているとも言えるし、あるいは死に続けているともいえる。 以上のようなテーマを内包しているという意味で、『屍者の帝国』は伝奇SFを装った円城塔作品であるといえるし、それはまた伊藤計劃の作品であるとも言えるだろう。 正直なところ、最後の100ページくらいまで、私はこの作品を単なる王道展開の伝奇SFだと思って読んでいた。そして、円城塔が、伊藤計劃のあの世界観を再現しきれていないことを残念に思っていた。伊藤計劃の遺稿をベースに書き継ぐからには、そこには伊藤計劃がたとえば『虐殺器官』で描き出したような「肉」の描写が必要だが、円城塔の文体にはそれが欠けているのだ。 伊藤計劃に独特の「肉」の描写。それは『虐殺器官』の冒頭の文に代表されうる。 「まるでアリスのように、轍のなかに広がる不思議の国へ入っていこうとしているようにも見えたけれど、その後頭部はぱっくりと紅く花ひらいて、頭蓋の中身を空に曝している。」 伊藤計劃の小説にとって、死体の描写は極めて重要だ。『虐殺器官』しかり、『ハーモニー』しかり、「The Indefference Engine」しかり。死体を詩的に描き出すところから、伊藤計劃の小説では戦争や生命といった主題が立ち上がってくるのであり、したがって今作においても、まさに「屍者」が主題の一つとなっているがゆえに、そこには「肉」の描写があって然るべきだった。しかし、円城塔が描き出した『屍者の帝国』には、そうした「肉」の描写はほとんど見当たらない。 もちろん今作は冒険活劇でもあるので、多くのアクション・シーンがあり、屍者も生者もバタバタ殺されるのだが、そこには「肉」の描写が欠落している。したがって、半分ほど読んだ段階で、「これは伊藤計劃の作品ではない」として作品を放り出してしまう人がいたとしても、何ら不思議ではないし、むしろ当然だろうと思う。実際、私としても最後の100ページに至るまではそのような感想でいたのだから。 では、最後の100ページを読んでどう評価は変わったのか。それは、結局のところ作家は作家でしかなく、円城塔は円城塔であるし、伊藤計劃は伊藤計劃であるということの気づきであった。確かにそこには「肉」の描写はないかもしれない。しかし、循環する言葉がある。円城塔の文体がある。その文体は「肉」の描写が提供するリアリティを補うものではないのかもしれないが、それとは別の論理的ショックを与えてくれる。小説が書かれることには目標があるのだとして、その目標がたとえば主題の提出ということなのだとしたら、主題を「肉」の描写によって提出するか、それとも論理的ショック療法によって提出するかは手段の違いにすぎない。と、そんな話ではある。 あるいはバトンの引き継ぎといってもいいのかもしれない。伊藤計劃によるプロローグから始まったリレーのバトンは、何者かの手によって受け継がれ、最後の100ページで円城塔によって引き継がれた、と。そして、結局のところ「誰が」書いたのかは重要ではなく、「何が」書かれたのかだけが重要なのだ、と。このようにして二人の作者による『屍者の帝国』は完成をみたのだろう。 「わたしは、フライデーのノートに書き記された文字列と何ら変わることのない存在だ。その中にこの私は存在しないが、それは確固としたわたしなるものが元々存在していないからだ。わたしはフライデーの書き記してきたノートと、将来的なその読み手の間に存在することになる。」(『屍者の帝国』p.432)

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2012/08/26

伊藤計劃を読むと世界が変わる。これまでの作品の中でも、物語、言葉の圧倒的な質量だと思う。 ほぼ設計書だけのところからこれを本として世に誕生させてくれた円城塔の熱量にも、それだけで自分の世界が再起動されそうなくらいのもの。 19世紀に活躍したフィクション、ノンフィクションの人物たち...

伊藤計劃を読むと世界が変わる。これまでの作品の中でも、物語、言葉の圧倒的な質量だと思う。 ほぼ設計書だけのところからこれを本として世に誕生させてくれた円城塔の熱量にも、それだけで自分の世界が再起動されそうなくらいのもの。 19世紀に活躍したフィクション、ノンフィクションの人物たちがぞろぞろ登場し、近代ガイブン版『リーグオブレジェンド』さながらのエンターテイメントに、敏感で緻密に構築された世界観。両氏の魅力が、弁別不可能なかたちで混ざりあって、まさにたまらない。 どんなに言葉を尽くしても、この本が語る物語をこの本のかたち以外では伝えられない。日本SFの歴史に間違いなく残り続ける一冊だろうと思うけれど、これを同時代に体験できたことを心から幸運だと思う。

Posted byブクログ

2012/08/26
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

読了。SFマガジンでさわりだけ読んだあの作品が、こんなふうに完成するとは…! 作品成立までの経緯を考えただけでも心動かされるのですが、それを抜きにしても、すごい作品だった。 円城さんてこんな小説もお書きになるんだ、という驚き。伊藤さん筆のプロローグを受けての第一章からはたしかに円城さんの文章なのだが、なんだか「虐殺器官」を読んだときのような印象も受けた。登場するキャラクタやガジェット、ルビを多用する表現法のようなハード的な部分から、ナイーヴなまでに真正面から世界に向き合う姿勢といったソフト的な分まで。そして、これはおそらく著者ふたりに共通の関心分野なのでしょうが、「ことば」の重要性を示唆し、その可能性を信じていることが伝わってくる内容だったのが印象的だった。円城さんお得意の言葉遊びも健在。 円城さんが河出書房のサイトの「あとがきにかえて」で述べられているように、いわゆる歴史改変ものという体の小説であり、映画「リーグ・オブ・レジェンド」みたいなオールスターのわくわく感がとても楽しい。まず一級のエンタメ小説なのは間違いない。私はこの小説に出てくる、某大尉殿が非っっっ常に好きだ。何このひとかわいすぎる。会話文もユーモア満載で、津原泰水氏が自身のサイトで述べられているように、これは円城さんの作品としては今までで一番多くの一般読者に受け入れられる作品となるんじゃないかな。伊藤さんと円城さんの長所が絶妙にミックスされていて、とにかく何についても匙加減が絶妙!という感じがしましたよ。料理に例えるならシェフを呼んで!という感じです。 「ことば」と並んで、今までの伊藤作品を通して繰り返されてきたテーマ「意識」。この小説の「屍者」で論じられていることは、今までロボットとかアンドロイドで論じられてきたこととけっこう重なるんですよね。読みながら、私は森博嗣氏の「女王の百年密室」「迷宮百年の睡魔」を思い出していました。 主人公ワトソンに随行する屍者のフライデーが、森作品に登場する「ウォーカロン」のロイディに重なってしまって。生と死の境目についての考察も興味深い。「生きてるってどいういうこと? 」という問いに対して、森作品では女王様がちょっとウェットな洒落た回答をしていますが、当作品p.319で大尉殿が言う科白も、淡々としているがウィットに富んでいます。 楽しい設定やガジェットで読ませる一方で、次から次へと問いを立て、読者もそれを考えざるをえない。読んでる最中こんなにわくわくする小説というのは絶対に傑作なのです。良き週末であった…。

Posted byブクログ

2012/08/26

「今回の本はEnjoeTohという小説製造機械にProject Itohというプログラムをインストールしたら生成されましたって言われても普通に信じるなぁ」と想いながら読み始めた。読了してもその感想は変わらなかった。 本当にそんな内容だった。文句なし。 両氏の作品がそれぞれに好きな...

「今回の本はEnjoeTohという小説製造機械にProject Itohというプログラムをインストールしたら生成されましたって言われても普通に信じるなぁ」と想いながら読み始めた。読了してもその感想は変わらなかった。 本当にそんな内容だった。文句なし。 両氏の作品がそれぞれに好きなだけに、期待と不安が入り混じっていたけれど、高いレベルでそれぞれの良さが融合していた作品だった。冒頭だけを手掛かりに、この作品を書き上げた円城氏の技量に唸るばかり。 多彩な登場人物に喜び(そして自分の知識不足に「あれもこれも読んでおけばよかった」と思い)、人間という存在について、意識について、言葉について考える。 読めて良かった。

Posted byブクログ