西浦田楽の民俗文化論 の商品レビュー
・吉川祐子「西浦田楽の民俗文化論」(岩田書院)で 最も驚いたのは次の一文であった。「『西浦』は若い人ほどニシウラと読み、ニシウレと読む住民は少数派になってきた。能楽(田楽関係者)でもニシウレ世代 は減りつつある。」(23頁)まさかといふ思ひである。この字を素直に読めば確かにニシウ...
・吉川祐子「西浦田楽の民俗文化論」(岩田書院)で 最も驚いたのは次の一文であった。「『西浦』は若い人ほどニシウラと読み、ニシウレと読む住民は少数派になってきた。能楽(田楽関係者)でもニシウレ世代 は減りつつある。」(23頁)まさかといふ思ひである。この字を素直に読めば確かにニシウラである。しかし、水窪の田楽としてこれを読む時はニシウレであ ると私は信じて疑はなかつた。ところがさうではないのである。なぜか。「地名として成立していないことが原因であろう。」(同前)つまり、あの辺りを西浦 区と呼びはしてもそれは通称、「住居表示は奥領家番地で西浦番地はない。」確かに地図には奥領家と出てゐる。西浦では出てこない。私はこれを知つた上でニ シウレ田楽と言つてゐる。ただし、皆が皆さうではない。いづこにもあれ、正式名称から外された古い地名は消えていく運命にある。それにしてもあの有名なニ シウレ田楽がと思ふ。あの有名な西浦田楽のニシウレでさへ、行政上でそれが地名から消えると、あとは言はば座して死を待つのみといふ状態になる……残念と いふ以上に、驚くべき事態である。本書に於ける筆者の問題意識はたぶんこの一事に象徴的に現れてゐる。つまり変化である。外的、内的に、西浦田楽は現在大 きく変はりつつあるといふことである。時代の変化、これはニシウレ田楽にのみ言へることではない。おそらく、他の多くの民俗芸能にも共通して言へることで ある。時代は移り、過疎化と少子高齢化が進んだ。生活していくための現金収入を得るためには西浦に、山奥に留まつてはゐられない……かくして民俗芸能は変 はらざるを得なくなるのである。 ・私は別当高木家の当主を先代しか知らない。先々代も、昨年交替したばかりの当代も知らない。本書の筆者吉川氏は先々代から当代までの三代を知り、それぞ れの交替をきちんと目撃してきた。そんな実体験に裏打ちされた記述が本書には多い。何しろ過渡期である。変化のただ中である。別当高木家の当主交替だけで なく、その他様々なところで交替や変化があつた。本書ではその多くに触れられてゐる。そんな中で、最も根本的な変化は「屋敷から人への意識変化」(45 頁)といふことであらう。世襲の問題である。西浦田楽での世襲は、本来は家で行はれた。つまり、「役割は屋敷につく」(41頁)。だから「屋敷を出る時に はその役割を置いていかねばならなかった」(同前)といふのである。それは屋敷に扶持がついてゐたからである。個人が扶持を持つて出ることは許されないの である。これは当然のこと、山奥に生きる知恵である。ところが、現在はその扶持がない。扶持がなければ、出て行く時に役割を置いていく必要はない。そのや うな事どもが個人の世襲といふ考へにつながる。いかなる形であれ、そんな世襲がうまくいけば良い。実際には「難しい現代の世襲」(184頁)と書かれるや うな状況がある。つまり、「昔のように同じ家に住み、農業や林業を親子でやっていた時代と異なり、現在はそれぞれ異なる職場で仕事をし、同じ家にも住まな い。」(同前)だから「家の中の伝承事は、ほぼ完成された形のものが孫に引き継がれる仕組み」(43頁)もまた崩れてしまつたのである。問題はこれだけで はない。その世襲する家が最近更に減つているのである。それをどうするか。一時しのぎの弥縫策は通用しない状況である。かういふ大きな変化が西浦田楽に起 きてゐる。筆者にその解決策を示すことはできない。そこで観察する。先代から当代への当主交代等々、そんな観察の中から次なる新たな思索と論考が生まれて くるはずである。それもまた期待したいと思ふ。
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