ラピスラズリ の商品レビュー
格別敬遠していたわけではないが、 この年になってやっと山尾悠子を読む気になった。 が、遅すぎはしなかった――というより、 人それぞれ、物事には適切なタイミングがあって、 自分にもやっと、そのときが巡ってきたのだと思った。 冒頭の語り手が深夜営業の画廊で銅版画の連作を目にし、 イ...
格別敬遠していたわけではないが、 この年になってやっと山尾悠子を読む気になった。 が、遅すぎはしなかった――というより、 人それぞれ、物事には適切なタイミングがあって、 自分にもやっと、そのときが巡ってきたのだと思った。 冒頭の語り手が深夜営業の画廊で銅版画の連作を目にし、 イメージを膨らませていると、店主がそれらの絵解きをする。 後の物語で、 その銅版画のモチーフになったと思しい事件が叙述されるが、 それらの物語が連続・連結しているとは限らない。 ただ、某かの関連を持つことは窺えて、 連屏風を眺めるような印象を受ける。 もしくは物語同士が少し遠い血縁でもあるかのような。 広大な屋敷には、 冬眠する貴族と、彼らを世話する使用人たちの他に、 亡くなって幽霊となった 「ゴースト」と呼ばれる者が徘徊している。 建物内の人間に招かれなければ入室できないというゴーストは、 ひょっとして吸血鬼なのかと、チラと思ったが、 読み進めると、 長い眠りを貪って若さと美しさを維持する住人たちの方が よほど吸血鬼じみていると思えてくる。 使用人たちが季節ごとのルーティン・ワークをこなして 屋敷の秩序を維持する様は、 まさに「種まきと刈り入れのメタファー」【※】であり 「新年を迎えるための通過(パッサージュ)」【※】 なのではあるまいか。 【※】高山宏『殺す・集める・読む』 「テクストの勝利~吸血鬼ドラキュラの世紀末」より引用。
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千野帽子氏絶賛。上手だとは思うが好きではない絵、という印象。 二つの点で不思議な読書体験だった。 ひとつはビジュアルなイメージ。読んでいると、閉じていない瞼の裏に絵が浮かんでしょうがない。次から次へと、文庫本にプロジェクターがつながっているのか?と思うほど。ただし、明るく楽しい話...
千野帽子氏絶賛。上手だとは思うが好きではない絵、という印象。 二つの点で不思議な読書体験だった。 ひとつはビジュアルなイメージ。読んでいると、閉じていない瞼の裏に絵が浮かんでしょうがない。次から次へと、文庫本にプロジェクターがつながっているのか?と思うほど。ただし、明るく楽しい話しよりは暗くて寒い話しが多いので、一緒に体温が下がるような気がして滅入る。 ほんのり暖かさや希望をほのめかす切片もあるけど、雪、冬眠、湿気、滅び、幽霊、転落、曇天、湿気が横溢して戸惑う。 もうひとつは逃げる「意味」。私たちは、ポップ音楽を聞いているとき別に意味を求めたりはしない。歌詞がわからなくてもリズムやメロディが好きならそれで充分だ。なのに、小説を読むとなるとストーリーが全体として持つ意味を求めてしまう。例え悲惨な事件が起きる物語であっても、人間の宿命的な弱さあるいは強さが描かれていたり、主人公がその体験を通して成長したりすると納得する、といった形で。 だけど『ラピスラズリ』に収録されている短編中編はそこからするりとにげていく。 「で?それに意味は?ないの?なかったの?ないのに、単に○○しただけ?」 夢を見たときのあの感じ、といえば伝わるだろうか。 合う人は合う。私には合わなかっただけで。
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高田馬場芳林堂で人と待ち合わせていて、 平積みになっているのを見つけました。 思わず、購入。 レジ前で、待ち合わせの相手と遭遇。 (2012年1月24日)
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