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呪いの時代 の商品レビュー

3.9

101件のお客様レビュー

  1. 5つ

    23

  2. 4つ

    36

  3. 3つ

    22

  4. 2つ

    3

  5. 1つ

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2012/11/04

批判や自説を説くことに終始し、破壊をめざす「呪いの時代」をどう生きるか。その問いに対して、筆者は、呪いを解除するには、あまりぱっとしない「正味の自分」を、真の自分として受け入れ、けなげに生きる自分を祝福することと説く。自分を愛するということを考えさせられた。

Posted byブクログ

2012/10/30

ネット上での言論が面白かったので手に取ってみる。 ネット上で所謂アンチ行動を取る心理、というのテーマとして扱っているようだったので。 そういう意味で、「呪い」や「祝福」についての内容は大変面白かった。胸のつかえがとれたようだ。 連載を集めた単行本であるため、話はもっと色々な方向...

ネット上での言論が面白かったので手に取ってみる。 ネット上で所謂アンチ行動を取る心理、というのテーマとして扱っているようだったので。 そういう意味で、「呪い」や「祝福」についての内容は大変面白かった。胸のつかえがとれたようだ。 連載を集めた単行本であるため、話はもっと色々な方向へ広がる。 政治や原子力、それら作者が「本質」を語ることができない(畑ちがいであるため)内容について同列に触れることは、なんか本文で言うところの「呪い」に近いものがあるんじゃないかと考えるのは私だけでしょうか…

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2012/10/26

最近は内田樹をよく読んでいる、と言ったら、急に古文の先生なのだけれど哲学も教えている先生から貰った本。 先生の書き込みがあって面白い。

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2012/10/25

本の中で象徴的な「ギルティフリー商品※」をこう説明してくれている。 「誰もが「私は存在することそれ自体によって、何か罪を犯しているのではないか」という有責感を、 程度の差こそあれ抱いている。その心の隅にある「疚しさ」を標的にして「この商品を買うとその疚しさが緩和されますよ」とさ...

本の中で象徴的な「ギルティフリー商品※」をこう説明してくれている。 「誰もが「私は存在することそれ自体によって、何か罪を犯しているのではないか」という有責感を、 程度の差こそあれ抱いている。その心の隅にある「疚しさ」を標的にして「この商品を買うとその疚しさが緩和されますよ」とささやきかける」 ことによって商品を売り付ける新手の商法だということ 行き詰った今の市場経済で、消費行動の動機づけにはもってこいだ。。 そりゃ近所のスーパーに行けば、こぞってみんなエコバッグ使ってるわ。 「商品購入を通じて自分が趣味がいいとか、 知的であるとか、成熟しているとか、 政治的に正しいとか、さらには「地球に優しい」とか、 そういうことを他人のみならず、 自分に対しても証明しようと思ったら、 買わなければならない商品のリストはエンドレスになる他ない。 (だから購入欲を原理的に無限にできる巧妙で悪質なマーケットが作れる)」 「地球環境なんたら」だの「地球の気持ちを考えた云々」とかうたったものが なぜあんなに気味悪いとを感じていたか理由がわかった。 ※「ギルティフリー」guilty freeというのは「有責感のない」ということである。 自分が購入した商品はその製造過程・流通過程・廃棄過程のどこにおいても 「悪いこと」(熱帯雨林の破壊とか、有害物質の垂れ流しとか、第三世界住民の収奪とか、 産業廃棄物による環境破壊とか)に加担していないので、 それを購入した自分の手が白いことにほっとするような商品がギルティフリーであるらしい(たぶん)。(内田樹の研究室」より)

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2012/09/30

★4.5 「呪詛」から「贈与」へ。 今の時代を生きる上で、本当に大切にしたいものを再確認できた気がする。過去から学ぶ視点もすごく勉強になる。

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2012/09/29

呪い=批判的な言葉づかい 今、世の中にあふれている呪いの言葉 弱者は救済を求め 被害者は償いを求め 正義の人は公正な社会を求め 呪いの言葉を使う 呪いは破壊 簡単で、瞬間的で印象に残る 時に記号的に媒介されて 抽象的な「的」となる 身の丈に合わない自尊感情をもち 癒されな...

呪い=批判的な言葉づかい 今、世の中にあふれている呪いの言葉 弱者は救済を求め 被害者は償いを求め 正義の人は公正な社会を求め 呪いの言葉を使う 呪いは破壊 簡単で、瞬間的で印象に残る 時に記号的に媒介されて 抽象的な「的」となる 身の丈に合わない自尊感情をもち 癒されない全能感に苦しんでいる人間は 創造的な仕事を嫌い 何かを破壊する生き方を選択する 破壊は“何かがそこにあったが 今はもうない”という 破壊という仕事の達成 繰り返しまた次のものを消す 政治家の失言 ネット上の罵詈雑言 就活・婚活の壁 世の中には 呪いの言葉があふれている これが呪いの時代 創造は具体的で 逃げも隠れもできず個人的 自分が暴露される だから呪いの呪縛にかかる 他人を呪うことは自らを呪うこと 創造は破壊する努力の数百倍以上の努力が必要 自分の正味の実力に自身がない人間ほど 攻撃的になり、その批評は残忍なものになる でも、人間は弱く愚か では、どうするか 「自分を受け入れ 自分を抱きしめ 自分を愛する」 ほんとうの私なんてどこにもないと認め そして他人に祝福の言葉を送ろう 妄想的に構築された 「ほんとうの私」に主体の座を明け渡すことなく 生身の具体的な生活に深くとらえられた あまりぱっとしない 「正味の自分」を主体とし維持し続けていく ほんとうの自分なんていない 自分探しの旅は 欠如感・不充足感を満たしてくれるような他者や 自分を支えてくれる容れ物 土台、壁、屋根を探しているだけ 評価されない場所へ逃げ込むのではなく 現実を受け入れなければ そして、子ども達には 「君たちには無限の可能性がある」 でもそれを開花させるには 自分がどれほど無知で 非力であるかを知らなくてはいけない その上で 努力すれば「それなり」の成果があると 信じることを応援しよう そして、 オトナになるということは 「だんだん人間が複雑になる」ということ 自分自身の中にあるさまざまな 人格特性を許容できる人間は 他者も許容できる 自分を許すことができる人間だけ 他人を許せる 他者と共生するというのは 他者に耐えることではなく 「私と同じもの」を見出し その部分は私自身であると認めること そのために オトナは 切り出すユニットの数を増やしておく 自分の論理を細かく割っていく 自分の感情 自分の身体 割れば割るほど共有できる要素が増える 批判は提言に 壊さずに創り出す 排除せずに受け入れる 傷つけず癒す そんなことが書かれていた

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2012/09/28

自分たちが生きている現代に、内田樹さんがいてくれて本当によかったと思いました。現代社会の便利さに甘えて生きている大人たちのなかにも、こんなに話の分かってくださる「大人」はいるんだと、これこそ勇気が湧いてきました。今時っ子がよく口にする「勇気をもらった」としての意味合いとはまったく...

自分たちが生きている現代に、内田樹さんがいてくれて本当によかったと思いました。現代社会の便利さに甘えて生きている大人たちのなかにも、こんなに話の分かってくださる「大人」はいるんだと、これこそ勇気が湧いてきました。今時っ子がよく口にする「勇気をもらった」としての意味合いとはまったく違う、自分の中に芯を置くことのきっかけとなった本です。

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2012/09/12

ここ一年半の欲しかった答えが書いてあった。内田先生は本当に「健全な思考」の持ち主だと思う。正しいとかどうとかじゃなくて、でも本当に正しいと思う。人間を人間らしくたらしめるものは、見えないものを信じることや、成果が出ないものに対する努力や我慢だと思う。そして自分を愛すること、本当の...

ここ一年半の欲しかった答えが書いてあった。内田先生は本当に「健全な思考」の持ち主だと思う。正しいとかどうとかじゃなくて、でも本当に正しいと思う。人間を人間らしくたらしめるものは、見えないものを信じることや、成果が出ないものに対する努力や我慢だと思う。そして自分を愛すること、本当の意味で利己的になること。 身の程を知っていること。だと思った。

Posted byブクログ

2012/08/28

どうもわたしには難しいというかピンとこない。読んだ後も、なんなのかよくわからない。。 以前は面白く読んだ本もちらほら有ったのだけどな。だんだん肌にあわなくなってきた。

Posted byブクログ

2012/08/27
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

内田先生の本です。 印象的な部分を引用します。  だったら、そういうピットフォールに落ち込まないように、自説の正しさにつねに留保をつけておく節度が必要だと僕は思います。「私はとりあえず手持ちのデータに基づいて『正しいことが事後的にあきらかになる蓋然性が高い見通し』を述べている。しかし、私はすべてのデータを網羅したわけではなく、これから起きる出来事の全てを予見できるはずもないので、私の見通しは誤る可能性がある」という宣言を議論の出発点に置くべきなのです。そのときにはじめて「私が吟味しなかったデータを吟味した人」、「私が予測しなかった出来事を予測した人」との生産的な対話が成立する(P83~)。  贈り物というのは、それ自体に価値があることが自明であるようなものではないのです。贈り物は受取った側が自力で意味を補填しないと贈り物にならない。挨拶を送った側が返礼がないと傷つくこともそれで説明できます。挨拶を返さない人は、「あなたが発した空気の振動には何の価値もない」という判定を下した。僕たちはそのことに傷つくのです(P179)。  「木で鼻を括ったような説明」が私たちを不快にさせるのは、そこで述べられていることが間違っているからではない(必ずしも間違ってはいない)。そうではなくて、そこに聴き手の知性や判断力に対する信頼と敬意の痕跡を見て取ることができないからである。「お前が私の意見に同意しようとしまいと、私の意見の心理性は揺るがない」と耳元で怒鳴りつけられ続けていると、私たちは深い徒労感にとらわれる。それはその言い分が実践的には「おまえは存在する必要がない」という宣言と同義だからである。「お前ななんかいいんだ」と言われ続けていると、その呪詛は私たちの生命力を酸のように侵してゆく(P274~)。

Posted byブクログ