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父として考える の商品レビュー

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42件のお客様レビュー

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2010/08/14

宮台真司・東浩紀の対談本。どちらも好きなので、書店で見つけて即購入。 ■血縁を超えるネットワーク(p.84) (映画「サマーウォーズ」に触れた後・・・) 宮台 むかしから社会学者が指摘するように、ああした血縁的な大家族は日本に存在したことはない。「ひとつ屋根の下」に大勢いたと...

宮台真司・東浩紀の対談本。どちらも好きなので、書店で見つけて即購入。 ■血縁を超えるネットワーク(p.84) (映画「サマーウォーズ」に触れた後・・・) 宮台 むかしから社会学者が指摘するように、ああした血縁的な大家族は日本に存在したことはない。「ひとつ屋根の下」に大勢いたとしても、実際には従業員だったり、丁稚奉公だったり、要するに血が必ずしも繋がっていないひとたちでした。  ここに、社会的記憶についての、郊外化=核家族化を背景にした、虚構というかウソがあるわけですよ。柳田国男の言うように、日本では琉球を除けば血縁主義の文化が皆無であるぶん、一緒にいるだけで家族みたいになれるので、養子縁組の制度ができあがったわけです。もちろん、敗戦後の企業が終身雇用制で擬似共同体になったのも、同じ背景があります。  僕は以前から「典型家族から変形家族へ」というスローガンを謳っています。「大きな社会」をつくり出すべく家族的な相互扶助を重視する場合、かつての大家族と同等の役割を果たせば、見かけがどうあってもOKだと「機能的に」考えるのか、特定の家族イメージに「実存的に」こだわるのかで、話がちがってきます。  柳田的な教養を踏まえると、店の一同が家族になったり、企業が家族になったりするほどで、特定の家族イメージなどにさして意味がない日本の伝統においては、「典型家族」ならざる「変形家族」を機能的に構成することこそが適しています。あとは、マスターベーション的に特定のイメージにこだわる安倍晋三的な「ウヨ豚」を取り除けばいいだけ。  無教養な「ウヨ豚」を廃して「真正保守」の伝統に棹すなら、親しい者たちの家族が近隣に住み合うようにして相互扶助すればいいのです。たとえば、子育てのときに相互扶助ネットワークとして近隣の親族を頼れるかどうかが、従来の核家族にとっては重要でした。 →琉球以外血縁にこだわらない、というのは意外。でも確かに。特に武家だと養子よくやってたもんな。自分の母方の祖父も養子に出されてる。 ■学区的共同体の再構築(p.168) 東 (前略)明治以降、地名や町名にはほとんどなんの意味もなくて、学区だけがかろうじてコミュニティとして機能してきた。(中略)実際に日本の建築史を見ると、コミュニティをつくるときはまず学校をつくるのだと。ヨーロッパならば協会をつくるときに、日本では学校をつくる。前近代において共同体の中核だった寺社の機能が失われたあと、日本では学校は、教育機関であることに加え、共同体の核としての機能も果たして来たわけです。  しかし、先ほど宮台さんがおっしゃっていたように、現代の日本では学校はまったくその役割を果たさなくなってきている。だからそれは教育の崩壊に止まらない、もっと大きな影響を社会全体に与えている。 →日本の台湾統治でも、学校の建設が先だったと聞いた。 ■グループワークの効用について(p,172) 宮台 (前略)グループワーク能力がさまざまなモチベーションのベースになっていることが実証されたこと、グループワーク能力の上昇には大人たちとの相互包摂的な関わりが役立つことが実証されたことは収穫でした。いずれにしても、地域再生のためのひとつの方法はそれです。

Posted byブクログ

2010/08/01

お2人の子育てについて、かなり具体的に書かれていました。ノイズ耐性云々の、宮台さんの指摘はいつも重要だなぁと思わされます。ただ、ノイズ耐性が低いことを前提とした子育ての仕組みってできないものでしょうか、と少し思いました。

Posted byブクログ