父として考える の商品レビュー
地域とのつながりとか、子育てをしないと見えないことってたくさんあるんだなぁ。二人か子育てを客観的に観察してるのが面白い。
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最初に読んだ時は全く刺さらなかったのに二回目に読んだ時に刺さりすぎてびっくりした。子育てをするようになったインテリ二人の会話という感じで面白かった。
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父として考える P.17 循環する時間と成長する時間 あるステイタスのときに特定のコミュニケーションをし忘れると、そのときに意味があった刺激がそうでなくなるので、「だったら時間を有効に使わなくてはいけない」と思うようになりました。(宮台) おっしゃる通りです。5,6歳までが決...
父として考える P.17 循環する時間と成長する時間 あるステイタスのときに特定のコミュニケーションをし忘れると、そのときに意味があった刺激がそうでなくなるので、「だったら時間を有効に使わなくてはいけない」と思うようになりました。(宮台) おっしゃる通りです。5,6歳までが決定的に重要な時期だと思いますが、結局そのときは一回しかない。取り返しがつかないわけです。この期間を親としてどう過ごすか。 これはじつは、大人と対する時にはない感覚なんですよね。むろん来年の宮台さんはいまの宮台さんとちがう存在ですが、しかしたいていは意識しないでコミュニケートしている。大人にとっては、今年も来年も同じ。仕事の時間は結局は「循環する時間」です。他方で子どもは「成長する時間」を持っている。そういう違う時間性を持つ存在が、同じ家の中に現れた。それがもっとも大きな変化だと感じています。(東) P.25 子どもがいかに勝手に育っていくか たとえば子どもが社交的か非社交的か、明らかに生得的としか言いようのない部分がある。男女の差もある。それは決して能力の高低ということではなく、むしろ人格の総合的な方向性みたいなものなのですが、その差異を全否定するのは不可能です。人間の能力のじつに多くが最初にプリセットされている。だから子供を育てるとは、結局は子どもがいかに勝手に育っていくか、自由にその能力を開花させるか、その環境を整えることに尽きる。それはルソー以来の近代教育学の基本だと思うのですが、なるほどこういうことだったかと意味を体感しました。 P.42 流動性の確保=リスクヘッジ、に挑戦してくる子どもという存在 (住む場所、という要素が子育てに決定的に重要だ、という話のなかで) 子どもにとっては根無し草という概念はありえません。いくら短い期間でも、ある場所にいればそこに根を生やしてしまうし、それは一生の中で特別な経験を構成する。親にとっては流動性だと感覚されているものが、子供にとっては流動性ではない。この「世界観のギャップ」は重要だと思いました。いまの社会では、すべての決定で流動性が前提になっているというか、流動性の確保こそが正解=リスクヘッジだとみなされる傾向がある。しかし子どもの存在はその前提に真っ向から挑戦してくる。
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正直、余り内容の濃い本ではなかったが、読みやすく、今の私にはそれなりに示唆的な本。 また、宮台氏の著作や思想は比較的好きだったが、今回は、彼の限界のようなものを感じた。 東氏との対比で浮かび上がったものだが、宮台氏は非常に鋭く、分析的で構造的なのだが、人間に対する洞察が深くない...
正直、余り内容の濃い本ではなかったが、読みやすく、今の私にはそれなりに示唆的な本。 また、宮台氏の著作や思想は比較的好きだったが、今回は、彼の限界のようなものを感じた。 東氏との対比で浮かび上がったものだが、宮台氏は非常に鋭く、分析的で構造的なのだが、人間に対する洞察が深くないような気がする。早い話が頭の良いおぼっちゃん、という印象。 子どもを捉える視線が、我が子であってもただの観察対象でしかないような気がしてしまう。 もちろん、本人は子どもを愛している、というのだが、自己愛の延長線上にある愛のような気がする。 一方の東氏は、歯切れが悪い。だが、そこには、自身にすべてを委ね、そして日々新たになる特別な個体に毎日触れる中での戸惑いが現れていて、共感ができ、また真実味がある。 おそらく、彼は、娘と「一緒にいる」時間が多いのだろう。一方で、宮台氏は余り多くない時間を娘と過ごし、そこでさっと眺め取った娘の姿を、自身の世界の中にあてはめて理論構築をしていく、という作業を行っているのだろう(しかも、自身の娘の一部の側面での事象を世界の事象に拡大解釈する傾向があるように思える)。 そこには本質的に対象を理解しようという姿勢が大きく違う。 以下、気になったところを。 ・絆コスト ・日本には「大家族時代」なんて存在しなかった ・「大きな社会」。公的な活動に市民が参加し、社会をつくっていけば、「貧しいながらも楽しい地域」が実現できる。それしか道はない。 ・コミュニケーション能力がすべて。子どもはそれをどこで培うか。 子どもは「親⇒子ども」のコミュニケーションから多くを学び、習う。
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前に読んだ堀江さんの本と同様、贅肉をそぎおとして、とんがった表現にて、「父として考える」ディスカッションを実施し、Twitter導入後の社会変革なども両者の独自の主眼にて論旨展開。異論反論は、あるだろうが大変面白かった。一つ残念なのは、後半はこども論的なトピックから離れてしまい、...
前に読んだ堀江さんの本と同様、贅肉をそぎおとして、とんがった表現にて、「父として考える」ディスカッションを実施し、Twitter導入後の社会変革なども両者の独自の主眼にて論旨展開。異論反論は、あるだろうが大変面白かった。一つ残念なのは、後半はこども論的なトピックから離れてしまい、論段が難解になり少なくとも僕はついていけなくなってしまった点。引用を二件、 社会システムにおいてはオフラインの欠落をオンラインでは埋められない。「現実」にダメなやつが「ネット」で回復できるのは自意識においてだけで、社会の枢要な領域では「現実」にダメなやつは「ネット」でどうあろうが永久にダメだということです。 こどもは、知識やしつけから学ぶのではなく、体験から学ぶということです。体験から学んだ子だけが、知識やしつけを幸せのために役立てることが出来ます。なぜか。理由は簡単です。「ひとを幸せにできるひとだけが、幸せになれる」ことを学ぶからです。これを学べない子が幸せになることは、絶対にありません。
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それぞれの子どもを例にあげて対談されているので大変読みやすい。 ニュータウンなど新住民の多い同質性の高い空間での問題、学力低下問題の考証など、すでに書かれていることでもあるが、更に分かりやすく、面白く読めた。 子育て政策に対する非子育て独身世帯のある種の不満に対する答えに納得。
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この二人が「父親」として語るとは。 関係ないけど、子一人親と子二人親の違いが、実感として読み取れておもしろい。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
前半は子育ての話だけど、後半は両者の展開するいつもの持論。両社会学者の子育て論は意外にも普通。だけどそこが逆に良いのかも。両者とも教育する家族には絶対にならないって述べてるし。東先生の書斎で娘さんが微笑んでいる写真を見て嬉しくなりました。
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東浩紀と宮台真司の対談本。 父親の視点から家族・教育・社会等、 様々な意見を交わし合っている。 特に最近よく思う、 フラット化した社会における、 ダイバーシティ(多様性)の問題が指摘されていたのが興味深かった。 やっぱり、 「豊かさ」って「多様さ」だよな。 業田良家の 「人...
東浩紀と宮台真司の対談本。 父親の視点から家族・教育・社会等、 様々な意見を交わし合っている。 特に最近よく思う、 フラット化した社会における、 ダイバーシティ(多様性)の問題が指摘されていたのが興味深かった。 やっぱり、 「豊かさ」って「多様さ」だよな。 業田良家の 「人類の代表」という短編漫画に、 「渾沌とは豊饒のことである」 というようなことが描いてあるのだけれど、 コミュニティの中に金持ちもいれば貧乏人もい、 ヤクザもいれば坊主もいる、 みたいな「無秩序」で「渾沌」とした環境が、 豊かさの証左なのだと思う。 こういった豊かな環境が作れる器は、 日本では「学校」である。 そして、 学校にいるのは子供だ。 つまり、 子供を中心としたネットワークの形成が、 豊饒な地域社会を作っていくためには大切なのだろう。 あとは、 子育てや教育のベクトルが、 子供自身や親に向き過ぎているのも気になる点。 というのも、 俯瞰して考えれば、 「社会の成員を作る」というのが、 子育てや教育の本意だと思うのだけれど、 それが今は近視眼的な自己利益の達成に、 多くのリソースが使われているように見える。 こういった個人主義が行き過ぎると、 いずれ社会が持たなくなるのは目に見えている。 だからこそ、 この本にも書かれている、 「社会のための子育て」という視点は、 よりよい社会環境を作る上でも欠かせない要素だと思う。 などなど、 最後らへんの、 宮台真司の選民思想的な発言は少々鼻につくが、 全体としてはとても面白く読んだ。
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最初はいいが、途中からよくわからなくなってくる。 頭が良い人が頭が良い人と、どうでもいいことを話しているだけにしか聞こえない。 この対談の中で紹介されている、実際に行動を起こしている人をよく調べたほうが役に立ちそうです。 以上
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