1,800円以上の注文で送料無料

嘔吐 新訳 の商品レビュー

4

38件のお客様レビュー

  1. 5つ

    11

  2. 4つ

    9

  3. 3つ

    7

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    1

レビューを投稿

2011/07/25

『私は この壁のそばで存在に傷ついている。』 『存在のなかで彼は立ち止まる、』 『欲望、嫌悪、彼は存在することに嫌気がさしたと言う、』 『すべては充満しており、至るところに存在があり、それは濃密で,重く、やわらかい。』 『ごく近くでありながら、何と余りに遠くにあり、若々しく,冷酷...

『私は この壁のそばで存在に傷ついている。』 『存在のなかで彼は立ち止まる、』 『欲望、嫌悪、彼は存在することに嫌気がさしたと言う、』 『すべては充満しており、至るところに存在があり、それは濃密で,重く、やわらかい。』 『ごく近くでありながら、何と余りに遠くにあり、若々しく,冷酷で、しかも澄み渡った』 『火曜日  書くことは何もない。存在した。』 自分が存在しているという不気味さに吐き気をおぼえる わかるーなんていうのはちょっとあぶないけど 『Some of these days You'll miss me honey』 そうだったらいいな

Posted byブクログ

2011/07/19

精一杯うんと背伸びして、アルベール・カミュの『異邦人』や、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』や、ジャン・ジュネの『泥棒日記』や、ルイ・フェルディナン・セリーヌの『夜の果てへの旅』や、アラン・ロブ・グリエの『反復』や、トマス・ピンチョンの『V』や、ドナルド・バーセルミの『口に出せない習...

精一杯うんと背伸びして、アルベール・カミュの『異邦人』や、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』や、ジャン・ジュネの『泥棒日記』や、ルイ・フェルディナン・セリーヌの『夜の果てへの旅』や、アラン・ロブ・グリエの『反復』や、トマス・ピンチョンの『V』や、ドナルド・バーセルミの『口に出せない習慣、不自然な行為』や、そしてこの本、ジャン・ポール・サルトルの『嘔吐』などなど、誰も見向きもしないから綺麗なままの本をほとんど独占して読むことが出来た中学から高校にかけて,それにしても各々の学校の図書館に何故あれほどまでに尖鋭な現代文学の本が、私を待っていたのでしょうか? それはともかく、『嘔吐』は、カフカの影響を云々されていますが、骨の髄まで徹頭徹尾そのころ芥川龍之介に影響されていた私の文学観では、主人公ロカンタンの吐き気をもよおすこの嫌悪感は、まさに芥川龍之介のペシミズムに通じるものとして理解されたのでした。 実存的存在などこれっぽっちも知らなかった中学生には無理もないことでしたが、その後ひそかにサルトルに少なからず入れ込んでいくにつれ、たとえ今ではもう誰もその思想性に注目しようとはしない流行遅れのような過去の遺物のような扱いをされようとも、私にとっては、思想や哲学をただ思弁的なものとしてだけでなく、現実の社会とのかかわりの中で見出そうとして批判して闘った人として、また1901年から始まったノーベル賞をベトナムの革命家のレ・ドゥク・トとともに二人だけ辞退した反骨の人として、深く記憶に刻まれたのでした。

Posted byブクログ

2011/07/08

暗いきもちだったからなんとなく手に取ったけど、読了できず。この人がもともとおかしいのか、ひとりでいるからこんなにあたまおかしくなったのかわからないけど、当たり前のことがこんなにねじ曲がってみえるならもはや生きていけないと思う

Posted byブクログ

2011/05/23

 目立ちたがりで喋りたがりで知りたがりでおせっかいで、それで何が不幸って頭が良くて、でも結局したいことはそんなことじゃなかった、ただ慎ましく生きていければ良かったんだ。

Posted byブクログ

2019/01/16

高校生のころ、今から40年も前に読んで忘れられない感覚を覚えた。それはゴダールの映画に共通する感覚だ。新訳は少し違う味わいがあると思うのは、時間の隔絶からくるものが大きいのだろう。

Posted byブクログ

2010/10/06

実在論を描いた哲学的小説。 存在と非存在の間の瞬間を違和感として嘔吐という形で表している。実存は本質に先行する。意味もなくただただ存在してるだけ。 まだ僕にはこの本を読むのがはやかったようだ…

Posted byブクログ

2010/09/04

 2度目の嘔吐。サルトル自身が、文学的に見れば自身の小説としては一番上手く出来た、と述べていたらしいが、その通りだと思う。しかし、小説から透けて見える「サルトルの哲学」(「存在と無」で語るようなもの)を理解するには、あまり向かないようにも思える。文学的な面が強すぎて、始めてサルト...

 2度目の嘔吐。サルトル自身が、文学的に見れば自身の小説としては一番上手く出来た、と述べていたらしいが、その通りだと思う。しかし、小説から透けて見える「サルトルの哲学」(「存在と無」で語るようなもの)を理解するには、あまり向かないようにも思える。文学的な面が強すぎて、始めてサルトルを読む人には理解しづらいからだ。「水いらず」に収録されている「一指導者の幼年時代」から先に読んだ方が良いと思う。そこから、(「自由への道」→)「嘔吐」だろう。。  ところで、この小説には、まだ「アンガージュマン=関与」の用語はまだ出てこなかった。「アンガジェ=拘束」の語は出てきたが。そういう意味では、これだけを読んでサルトルを理解した!とは言えないように思える。だから、まだサルトルから離れるわけには行かない。次はいよいよ「存在と無」を読もうか。。

Posted byブクログ

2010/08/03

30歳の独身歴史家、アントワーヌ・ロカンタン。 彼の身に起こった出来事や思想が、約1ヵ月間の日記という形式で綴られていく。 海で石ころを拾った主人公が感じた、突然の吐き気。 その意味とは? 図書館、居酒屋、街の通りなど、孤独な青年の思考が繰り広げられていく。 独学者との昼食。 ...

30歳の独身歴史家、アントワーヌ・ロカンタン。 彼の身に起こった出来事や思想が、約1ヵ月間の日記という形式で綴られていく。 海で石ころを拾った主人公が感じた、突然の吐き気。 その意味とは? 図書館、居酒屋、街の通りなど、孤独な青年の思考が繰り広げられていく。 独学者との昼食。 かつての恋人との再会。 存在に絶望したロカンタンの思索がいきつく場所とは。 20世紀フランスの哲学者・小説家サルトルによる存在の不条理を描いた作品。 鈴木道彦の新訳。

Posted byブクログ